なにを今更 (相模原戦レビュウ❷)

果たしてこれを、ラストゲームのレビュウとすべきか?、とも思いましたが、来季へつなぐこと、として記します。

篠つく雨に視界を悪くしながら、北ゴール裏同志のチノと肩を並べて、ゲーム後のセレモニーに立ち合っていて思ったことです。

❶名波監督による、かなり的確な、リーグ戦総括。

終わってみれぼ、勝ち点であと、たったの2つ届かずだったから、やはり〈痛恨の昇格逃がし〉。

逆に言えば、最後まで期待を持たせるほど追い込んだチーム指揮に、僕の評価は相当に高いです。

❷社長による、昇格できなかった根底には、まだまだ〈甘い〉部分が在った、との発言。

クラブ、チームの組織内部的突き詰めについちゃあ、当事者の方々にお任せするしかないんだろうれど、やはり山雅は、強くなければならない、というもの言いには、外してはもらっては困るポイントがありまして。

最高のファンサーヴィスは、勝つこと (by 落合 博満)、の定理には僕も同意する。

けれども、〈強い〉の中身が、山雅が、単なる常勝チームになればそれでいいか?、となると、チト、違うような気がします。

これは、前にも指摘した〈原点回起〉の、原点とはどこか?、をもっと突き詰めないと出て来ない答えのように思う。

セレモニー最中、近くのご婦人が、ビジョンを示せ、とか不平を漏らすのが聞こえて来たんです。

ですが、求めるのは、軽々しいビジョンやスローガンとは、まったく別の、具体的な行動と行為を伴った、もっと奥深いもののはず。

いちばんやってはいけないのが、クラブ経営、事業運営、チーム管理と運営、ゲーム催事運営、そういったもろもろのセグメントをごっちゃにして批評、評価を加えること。

それらをはっきりと区分して語っていかないと、どうどうめぐりな批判が繰り返されるだけでしょう。

僕はどうかといえば、クラブ経営はかなり堅調、チームも、あらたな世代形成へとなんとかシフトしつつある、とそれなりの評価です。

ひとりのファン&サポーターとして、せいぜい、どんなサッカーをやってもらいたいのか、それを中心に注文しつつ、見守りたい、この先も。

では。

ラスト20分間の光明 (2022.11.20 相模原戦レビュウ❶)

ゲームどんづまりの90分。

外山 凌によるクロスに反応して走り込んだ、中山 陸のゴールによって、

1 – 0 の勝利。

山雅が、反復攻勢に手が届くようになったのは、ようやく 70分過ぎから、

それまでは、良く言えば伯仲、悪く言えば、チャンスを潰しまくりの行ったり来たり、その中に、相模原の惜しいセットプレイが挟まれる、そんなゲームでした。

ディフェンスラインを下げなかったために、センターバックとボランチの距離感が良いといった美点もあって、悪くはなかった。

ただ、横山 歩夢よりは、ルカオのほうが数倍走っているといった面白い現象も在ったりして、チト不足感はありました。

で、息を吹き返したラスト20分。

ここでは、新卒から2~3年の年代のプレイヤーたちが、しっかりと働きを魅せていた。

その意味で、これからの山雅の方向性は確かに提示された。

いや。

ゲームを通して、それらの世代が躍動しなければ成り立たない山雅の将来が透けて見えていた、と思います。

では。

なんとなく勝てる,と思うな!! (相模原戦プレビュウ)

このメンツで戦うゲームも、これで最後。

……と思うと、若干は、感傷的にもなる。(各方面で引退ニュースもあれば)

―  もう来季ですね、ユニフォームも買ったんで来年も応援しますよ、とクレ君。

―  いや、山雅が 9 – 0 で勝って、裏で、藤枝が長野に 0 – 9 で大敗すればさ、

などと、およそみっともない悪あがき。

それはともかく、前期の対戦で4点獲ったからといって、楽観視すると痛い目にあうでしょう、きっと。

しかも、下方をみれば、勝ち点で今治、富山が追って来ていて、最悪、6位転落ですからね。

勝って、なんとか藤枝と勝ち点で並び、2016季のデジャブが、最高位。

けれど、どのリーグで闘っていても、どこでゲームをおこなおうと、誰がユニフォームを着ていようと、山雅は山雅。

じゃあ、山雅なるものの核心とは、なんなのか?

今日のように天候が芳しくなくたって、〈山雅〉を楽しむために週末、10,000人内外の熱心がアルウィンに集う生活、結局は、これ。

もちろん、チームの戦うスタイルと作法、それは時々で、どうにでも変容、変転していくのが当たり前。

〈山雅らしさ〉という形容詞によって求められる、なんらかの不変性は、それとはまったく別次元のことであると思うし、しかも、それを云々する時代は、かなり前に過ぎ去っている。

(追記)
だから、実は。

〈原点回起〉の、回起は方法論で対応するとしても、原点の部分に関しては、いまだ議論が尽くされていない、と思います。

さて、対戦相手の相模原。

既に契約満了を告げられたプレイヤーが多く、元山雅戦士もピッチに立つ。

でも、えいやあ!、と感傷気分をかなぐり棄てて、お互いに手加減なしの激戦を期待するのだ。

では、長い冬ごもりの前、それを求めて、アルウィンで。

松本が誇るもの。

松本の誇り、田中 隼磨 (松本山雅所属) が、一昨日、現役引退を発表した。

選手生活の最後のほうは、怪我との苦闘が続いていて辛かったと思う。

松本へ来て、9シーズンを戦い、ここに、#3のユニフォームを脱ぐ。

とにかく今は、その働きに感謝しつつ、お疲れ様のひと言に尽きる。

これで、相模原戦は、#3松田 直樹のオーセンティックユニフォームを着込んでの観戦が決まり。

チームとしても、それなりのゲームをしなくちゃあね。

……、などと、やはり松本の誇る れーずんくっきー(by 藤むら)をいただきながら、

これもまた、松本の自慢、東山山麓線からの眺望に想いを馳せている。

では。

思いっ切り演ってくれ『Stand by Me』

チュービスト (チューバ奏者)の御方から、ご厚意でコンサートのチケットをいただいたのは、かれこれ、2年前のこと。

その方が所属している楽団の演奏会のやつだったんだけれど、COVID – 19の自粛騒ぎによって、結局は、中止になってしまった。

その後も、演奏会は復活していないようだ。

あれから、それなりの月日が経った。

だが、僕たちが、現在やらされている、この流行り病対策は、だらだらと惰性化していて、とても科学的でもないように思われるし、

ただあるのは、ワクチン打って、のそれだけ。

なにかにつけて制度的にも手厚い保護を受けているご高齢の者は、大人しく粛々と、その勧告に従っている。

けれど、一体この先、どれだけワクチン打つのかいな?、とその胡散臭さに気づいた者がだんだんと増えているから、接種率が一向に高まらないようだ。

という僕も、繰り返される〈波〉議論にうんざり。

ワクチン漬けの乱暴さを疑っている者のひとりだから、舞い込んで来た接種勧奨の葉書は、そのまま打っちゃってある。

さて、名曲『Stand by Me』(1961年発表) は、僕のそばに居ておくれ、と訳したくなる。

けれど。

動詞 stand には、~の側につく、~を支持する、という意味が込められているらしい。

となると、〈僕を支えておくれ〉くらいの気持ちで聴きたい。

ブラスには、たまった憂さを、楽しく吹き飛ばす効能があるようです。

では。