麦秋の決意、背番号3と。

日に日に、麦秋が近づいている。

聖書が言う、〈畑は、早白くして〉という情景に、スティング(1951年~) の『Fields of Gold』(1993年発表) なんかを思い出す。

麦畑の上を風が渡っていくと 僕らは想い出すだろう
太陽の下 輝いてうねる麦の海で
愛を語ったことを

あの夏の日から 幾年も過ぎて
子どもたちが 日暮れの麦畑を 駆けていく……

すると、心はすぐに、『Heart of Gold』に移っていく。

ニール ヤング(1945~)が、1972年に発表したアルバム『Harvest』の中に収められた。

僕からすると、バックアップコーラスに、リンダ ロンシュタットとジェイムズ テイラーが参加してる、ってだけで聴く価値がある。

僕は生きたい
僕は捧げたい
気高い心 ってやつを求めて

ハリウッドやレッドウッドにも行った
海を渡ってでも  求め続けてきた

まだそこにはたどり着けないけれど
高貴な心を 探し続けよう

そうやって 僕は齢を重ねていくんだ……

サッカーの高みを求め、長くやって来た、 田中 隼磨。
手術に踏み切った右膝ばかりではなく、満身創痍のことだろう。
でも再び、背番号3が、アルウィンに戻ってくることを願う。

その日、僕らは、Field of Gold で、Heart of Gold に出逢う。

きっと。

では。

まぶしい空 潮風と赤いキャンディ。

― 神は、人のおこないを、その動機によってお測りになる。

ふと、そんな言葉がこころに浮かぶ。

動機によって、としてもらえまいか?、というのは虫のいいお願いなんだろう、きっと。

それはともかく、やはり、1970年代を味わいながら暮らしているのだ。

これ、梅雨の合間にのぞく陽射しに持って来いの曲、だと思うんですが、いかが?

では。

Hold On ! YMG (栃木戦レビュウ 各論)

3連敗のあと3連勝で、10勝到達とは、御嶽海ナイス!、と喜んでいた今朝、京子さんのメールが入る。

―  田坂さんにしっかり対策されなーんも出来なかった
いいようにボール持たされ自陣でのパス回し
攻撃に行けない
村井チェアマン山雅のゴール裏に来たんだね
村さん 大野さんのシーンどう感じたんだろう?
どちらもレッドカードで一発退場っす!!
朝から毒吐き ―

【人にやさしくない理由】
真剣にお怒りのファン&サポーターは、まことにありがたい存在、いろんな意見があってこその山雅だ。

2019シーズンのデータですが、山雅の新規観戦者の割合は、1.9 % 。

要は、アルウインの観衆中、ご新規さんは、100人のうちせいぜい2人。

根強いリピーターのファン&サポーターが圧倒的となれば、その眼が肥えているのは当たり前。
かつ、高年齢な方々は、山雅がビッグチームになるのを、この先30、40年などと悠長に待てないのだから、当然、意見や批判も厳しくなろう。

【ボール保持60%は、もともとわかっていた】
ただ、萬年が甘く見積もって失敗したのは、こうまで鮮やかに栃木が過去に先祖返りできる、とは想定しなかったことだった。
直近のゲームを観ても、〈かつて見た栃木〉へと、ここまで蘇生するとは!

これを山雅対策、とするのは、チト自分らの実力を買い被りし過ぎなような気がしますね。
たとえ相手がどこだろうと、今節はトンネルをひとつ出る覚悟の栃木だったんですよ。

ガツン、と向かってくる栃木と読んだからこその阪野先発だったわけであって、ボールを持たされた、というのは、ボールを持って相手をはがす技量の無さを素直に認めない言い方で、すがすがしさに欠けます。

喰いつかせてその裏を獲るには、自陣へ誘うことだって敢行すべきなので、どこでパスを回しているかというよりも、テクニック不足、連携(意思統一)の希薄、これを曝してこその反省でありましょう。

栃木の戦術がどうのこうのではなく、それを上回って振り切ってしまう実力が山雅には無いだけ。

【ファール裁定についての私見】
重症者が出なくて幸いだった、のがいちばん。
クレームに関しては、何をいまさら、という感あり。

ファールによってゲームが中断した際、主審に詰め寄る迫力は、犯した側の栃木のほうに執着心を感じたのをどう考えるか。

もしも、ゲームを当方に有利にコントロールしたければ、異議申し立てでかえって当方にカードがでないような方法、例えば、キャプテンを通すなどして喰い下がってみるような努力があったのか?、なかったのか?

こういう部分に気魄を込めずして、相手のスタイルをいろいろ言ったところで生産的ではありません。

ひたすら自分の不足にフォーカスして、持ち堪えましょうよ、山雅。

では。

栃木のビンタに 貧打で報う (第15節レビュウ)

5/14の夜、20時30分からわずか数分間。

高度400kmを周回するISS(国際宇宙ステーション)が、かなり明るく光りながら頭の真上を通過するのが観られた。

サッカーフィールドとほぼ同じ面積(108m × 73m)で、富士山を100個分ちょっと重ねた高さを、地球を90分かけて1周している物体。

それが、南西の空に忽然と現れると、一直線に北東へと進み、やがて雲間に消えて行くのが肉眼ではっきりと。

0 – 3 のミゴトな敗戦に接し、山雅のやり方が、ISSの飛行とよく似ているので、こんな話を持ち出した。

3連勝と輝くと、やがて、うっすらと消えゆく有り様、そして、かなり定常的に一本調子の軌道が、それだ。

結論から言うと、この調子でいけば良くって 5~10位近辺の順位で今季を締めるようになることを、リアルに覚悟した。

〈理由〉
❶5敗のうち4戦で、 3点以上を失点している
不利を挽回すべく攻めに前傾したところをカウンター一閃で沈むケースが多い。これは、パスワークのクオリティ不足によって、シュートまでやり切れない途上で、ボールを奪取されているから。
これを改善するには、各個の技量レベルを上げることにかなり依存しているから、どうしたって相当の時間を要する、あるいは、一定の限界がある。

❷対戦するチームに個別に適合するようなスタイルは採らず、一定の布陣とスタイルを貫いて戦っている。
これについては是、とすべきだと思う。
それが、今山雅が自己に求める〈格〉というもの。

けれど、❶で指摘した個の成長を、どこまで我慢できるのか?、がこれからのゲームマネジメントのポイント。

もしも、切羽詰まった状況になり、それでも、ゲームをモノにしたければ。

栃木と愛媛のように、相手が厳しく寄せて来た場合にまったく機能しなくなる、距離とリズムとテンポの自在さ。
これに、なんらかのテコ入れをしないとならない。

今回は速く詰められたので、シュートまで行ったのは4回でした、ではお話になりません。

また、コーナーキックからの失点が一向に減らないことに対して、どういう守り方をするのか?
正直、今節は緊張感を含め、無策に等しかった。
マークや態勢が適正なのかが、チームで共有されている感じが皆無。
単に、上背で対抗する、といった簡単な話でもないな、これ。

実は、投稿が冗長なので読む気がしない、と同居の読者から苦言があり、それに報おうと、簡略にして、今回は、以上。

各論は、追々に採り上げようと思うけれど、これでもきっと、及第点はもらえそうにありません。

では。

心あらば つばくろよ 。

のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて 足乳根の母は死にたまふなり

【読み】のどあかきつばくらめふたつはりにいて たらちねのははは しにたもう なり

斉藤 茂吉。歌集『赤光』(1913年 発表) の中にある。

玄鳥の、〈玄〉とは黒色のことで、燕を意味する。

〈足乳根の〉は、その後にかならず〈母〉が続く。

はじめは女性の胸の描写だったが、いまや意味を失い、〈母〉を導く紋切りの五文字。
こういうのを枕詞(まくらことば)と呼ぶ。

けれど、枕詞を、字数のムダと思わずに使い、しかも、それが成立するところに短歌の根強さがある。

ところで、職場の、大型トラックが出入りするプラットホームの天井では、今年も燕たちが多くやって来て、子育てに忙しい。

先日、ひな鳥が一羽、足許のケースの中、さかんに啼いている。

どうやら誤って巣から墜ちたのを、誰かがそこへに入れたんだろう。

でも、巣は地上数メートルの高い場所にあって、とても差し上げてやることもできず、まして、どの巣に居たのかも皆目わからない。

近くに寄って来る親鳥もない。

今は盛んに動いているが、次第に消耗すれば、その行く末は目に見えている。

捨て置くこともできず、ひょっとしたら、隣家にやって来ている燕夫婦の温情にすがれるかも? と思い、持ち帰った。

主人に頼み込んで脚立を貸してもらって、玄関の上方にある巣の中へ入れてやった。

巣にはいまだ雛の気配は無かったけれど、毎日電線に止まっては、萬年を見下ろしているよしみで、なんとかお願いしたい、と実に虫のいい気持ちだ。

その後、ひな鳥がどうなったのかを確かめる勇気もなくて、幾日かが経っているのです。

では。