いつもだったら、いま頃盛り?

季節の憶え、4/13、庭のハナミズキが、小さく開花。

見上げると、隣家のつばくろ(4/2飛来)が、電線に3羽止まって、こっちを見下ろしてなにやら話している。

山 雅治は、名前に、yamagaが紛れているから、馴染み深いのであります。

僕自身は、桜を愛でることも、観桜も、ほとんどしない無粋人ではあるが、

彼の作『桜坂』(2001年発表) はここ30年の中でも、かなり傑出した曲、と思っている。

失恋を語っている歌詞。

どの程度のつきあいだったか?、いまだ未練が残るようだけれど、恋の成就のためにどれだけ奮闘したのか、疎遠になって久しいのか?、そんなことは一切ぼかされている曖昧さ。

そんな不満も、卓越なサビのメロディーの中に消えてしまう。

面食いなのに、家人は何故か、この歌手が好きでないらしく、この曲を聴こうとしない。

少々真っ正直に過ぎるけれど、こんなアレンジだったら、オリジナルの臭みも感じずに、ココロに入ってくるのでは?

では。

強く上がれ 賢く下がれ (沼津戦プレビュウ)

まづ、リーグ戦16%を消化した時点での、総括 ― 。

3部リーグ、戦力拮抗のありさまは〈西高東低〉を基調として、

萬年の観察によれば、讃岐、鳥取、北九州のみっつが、活きの良いサッカーで油断できない、というのが開幕直後の感想だった。

それは、今も変わりないので、対鳥取と北Qを、1勝1分で終えたのは、上々の出来で序盤の関門を通過したと診ます。

讃岐とは、6月中旬にホームで対戦だから、その前の今治戦とともに、ここがひとつの節目でありましょう。

ここで。

前節、讃岐がパルセイロとやって、0 – 4 で敗北したことをもって、その力を過小評価するに走ることは、きわめて禁物。

セットプレイ、ゴール前の雪崩れ込みと、こぼれ球への寄せ、それらを巧くやって大量点の長野でしたが、
ゲーム自体は、シュート20本を放ち、ペナルティエリア進入回数は、長野の2倍強を記録した讃岐が、7割方は押していた。

逆にいえば、そういうゲームをモノにしたところに、今季、長野の強さがある。

目ぼしい補強もなく、レンタル戦力でやり繰りしつつ、ある意味カウンターとセットプレイ重視に徹する、という意味での。

これは、5/13のプレビュウの一端にもなるんですがね。

で、アスルクラロ。

昨季は、萬年、愛鷹に出かけたのにもかかわらず、じつに印象に乏しいチームなんですね、これが。

思うに、アウェイはスコアレスドロー、ホームでは横山の一発による1 – 0 勝利、そんな事情で、強烈な記憶に残っていないのか。

で、前節のホーム対福島戦(1 – 1)を、DAZN見逃しでつまみ食い。

4 – 1 – 2 – 3 の、かなり攻撃的な初期布陣。

中盤までではボールを繋ぐけれど、ここぞ! とみるや、すかさずロングボールで相手ディフェンスの裏狙いでフォワードに託す。

なんだ、きわめてオーソドックスじゃん。

中山 雅史のめざすサッカーとは、案外、常道、中庸で、ソツのなさを良しとするのかいな?

まるで、高校教師のような、その変哲もない地味なスーツ姿のごとく。

ならば、山雅のやることは、明確。

あくまで自分流儀の〈守功一体型/高強度〉を90分間続けて、時に後退して守備となったら、ロングボールの処理を誤らない事、これに尽きるでしょう。

では、アルウィンで。

ホームで勝つことの責務……。

ホームだから勝つべし、とよく耳にする。

が、そんなものは、理論、および、道義的にも在りはしない。

過去のデータからすると、Jリーグでは、わずかな例外(大宮アルディージャとか)を除き、大概、ホーム勝率はたしかにアウェイ勝率を上まわっているらしいが、

勝率上のデータが存するだけで、その要因は、どうも、推定の範囲のようだ。

素人考えだと、移動や外泊の負担が無いだけでもありがたい、それくらい?

だいたいが、勝利できる力量がチームにあれば、ホームアウェイにかかわらずに、勝ち点3 を手に入れるでありましょうし、

前にもちょっと触れたが、ある論文 (by 中京大学) によれば、

ホーム勝率と、観客数(と観客密度)には、なんの因果も認められない。

勝たなきゃあ、間近で観る地元民が嬉しくない、それだけのこと。(その心情が大切か?)

このことは、ファン&サポーターが、勝敗に対して、応援(勢力/方法いづれ)の責任を背負わなくていいことを意味する。
(責任を感じてしまう者があるのかどうかは、知らない)

同じように、クラブやチームにも、ホームで勝つことに格段の責任を感じる必要はない、と思う。

最高のファンサーヴィスは、とにかくどこでやっても勝つこと、これだけわかっていてもらえれば、それでいい。

ただ、アルウィンの皮肉、と呼ぶべき現象はあるかも知れない。

かつて鈴木 雄斗(現ジュビロ) が山雅に加入した時、

アウェイチームとしてアルウィンでやったときは、敵側の声援が嫌だったが、これからは、それを味方につけて戦える、と語った。

彼のように感じるプレイヤーもいれば、

逆に、アルウィンの熱狂によって、心身が高揚してしまうアウェイチームがあったって不思議ではない。

なんともはや。

では。

カーボンゼロに背を向けて (地方政府には内密)

すこし考えれば解かることだが、

現況、ゴミからプラスティック類を除いたら、あとには、食物残渣と紙類しか残らず、その割合は、どうだろうか、せいぜい全体の40%弱ではあるまいか。

ゴミ総量の60%強を、週一の収集でまかなえるとしたら、大したことだけれど、

町会から離脱している我が家では、ゴミの出し方が変わった4月から、

さて、どうしようか?、と思案した挙句、

トレイなどは洗ってスーパーマーケットの回収箱へ持っていくとして、大型のやつは、まとめてラーラ松本へ持ち込む、ことにした。

つまり、包装紙などのコマゴマしたものは、頬かむりして、可燃物として出してしまえ、という魂胆。

ところがです。

はじまって、一週間も経ってみたら、

― トレイひとつひとつ洗うのにだって、(有料の)水道水を使うわけよ、まったく。

と音を上げてしまった家人。

― トマトひとつふたつ買うにも、トレイとラップがついてくるんだから。

― そもそも、上流のメーカーや販売のところで、プラスティック包装をやめるのが先決なのに、その包装代(価格に含む) も払わされ、さらに、捨てるときには、水道代や手間を負担させられる消費者は、往復ビンタをくらっているようなものではありませぬか?

昔どこの商店でも使ってた、〈経木〉(薄い木の皮) を利用するとか?

ま、持続可能なんたらの理念に理解が深く、そして、従順なこの地の消費者は、反対の声も挙げず、このシステムに組み込まれていくんでしょうが、

そこは根が悪人の僕のことだから、すすんで共犯者と成り下がり、違反に対する罰則でにっちもさっちもいかなくなるまでは、このまま、頬かむりを続けるのでありました。

では。

そんな魅力は 望まない (ひと月向こうの件)

観客数の、正の変動要因として、魅力あるアウェイチーム が挙げられることを、この前は書いた。

やって来るチームに、魅力、つまりは、ネームバリューがあればあるほど、観客数は増える、と。

たとえば、長野パルセイロ。

その定常的な観客数は、現況、2,500人だろうから、

昨季の対山雅戦(第9節)、 観客数 13,000人超であったことは、

山雅効果が、10,000人の増加に現われた、といっていい。

なんとも魅力あるチームなんです、山雅は。

興行的には、半ば自殺行為的な、日曜日の 19:00キックオフであっても、この数字を叩き出したのだから、

今年の土曜日ナイトゲームにおいては、営業収益をもっと求めたくなるだろう。

で、二匹目のどぜうは、より小さい手間(運営努力)をもくろみ、

アウェイゴール裏を、全席指定の、通常より1,000円アップ価格にすることによって、手に入れたいらしい。

ホーム自由席にしたって、通常の500円増し。

大っぴらに山雅色を出して応援できない山雅ファン&サポーターの行動予測をした結果の、プライスアップなんでしょうか?

もしも、アウェイ山雅が持っている魅力が、ホームクラブの収益増大だけだとしたら、

(もともとこの対戦を特別視していない僕にてみれば) あまり嬉しくもないお話。

あくまで、山雅がやってるサッカーそのもの、によってすべてのスタジアムを魅了したいものです。

では。