球には サッカーを、

話題にしよう。

その多くは、印象によるところの、〈山雅らしさ〉の議論。

これにはうんざりしている、と前にも語った。

走る、球際強く、休まない、諦めない、といったどのチームも追求しているであろうことを、ことさら、俺っちの専売特許のように呼ぶのは、チト違うんじゃあないか?

すくなくとも、裏付けで語らいないと、前に進めない。

指揮官が、(皆が言うように昔のように)走らせる、と言ってみせたのは、あれ、周囲に対するより、チームに覚悟せよ、とのことに違いないだろうし。

そこで、データから、過去とは明らかに違う、ここ2シーズンの特異な点を確認しておきたい。

2012年 ☞  8人
2013年 ☞  7人
2014年 ☞  9人
2015年 ☞  9人
2016年 ☞  9人
2017年 ☞  8人
2018年 ☞  8人
2019年 ☞  9人
2020年 ☞  3人
2021年 ☞  5人

これは、山雅シーズン毎の、リーグ公式戦で、80%以上のゲーム数出場(時間ではない) を果たしたプレイヤーの人数を並べたもの。
註) J2は、34試合(母数42)、J1は、27試合(母数34)をクリアしていることが基準。

一目瞭然。

かつては、ピッチにおいて、8人前後のプレイヤーが核となってリーグを戦っていたけれど、この2年は、そういうプレイヤーが半減してしまった。

これには、いくつもの要因があるだろう。

メンバーを固定しない起用法だったのかも知れない。

あるいは、コロナ禍などにより交代人数枠がほぼ倍加したことによる、戦力の、選択的な逐次投入なども、その理由だろう。

いかなる理由であれ、これでは、いざゲームとなった時の、お互いの意思疎通、阿吽の呼吸、という面でかなり厳しい。

ボール周辺でだけチマチマとやりあっている場面が多かった、ってのは、フィールド全体を見すえた意思統一に欠けた証拠、と思っているんですよ。

さて。

なかでも、決定的な理由として、怪我による中長期の離脱が多発したこと、これは確か。

たとえば、昨季を通し、ディフェンス陣については、入れ替わるように負傷リリースを読まされた。

結果として、サイドバックセンターバックを担ったメンツでは、

星 キョーワァン   ☞  20ゲーム
前  貴之              ☞  28
篠原 弘次郎        ☞     6
橋内  優也          ☞   21
大野  佑哉          ☞   27
宮部  大己          ☞   20
野々村 鷹人        ☞   20      ……と、リーグ半分程度の出場で背比べ。

これを、センタバック陣においては世代交代の渦中にあった、とすることもできるんだろう。
けれど、そこには、統率力の減衰、という弱点が露呈していた。

今季、これに復帰、新加入を含めて、ディフェンス陣にあってどんな定位置競争が展開するのか、それを大いに楽しみにはしたい。

ただ、基本的な事がらとして、シーズンを乗り切れる身体づくり、そこが真っ先。

僕が、フィジカルコーチ専任のリリースがないのを、ことさらに奇怪がっている理由はそこにあります。

では。

『疲れた……』で言いたいのは、

つまりは、あまり良い時間を過せなかった、とか、くたびれただけだった、をサラッと言いたいんだろうな。

と、若人の会話を聞くたび、そう思うようにしている。

決して、くどくど説明したくないクセや、その語彙の貧弱をあげつらってはいけない。

しかし、自分ではほとんど意識していないのに、

― 疲れてるみたいね?、と問われると、ハッとしますな。

あぁ、表情や動作に滲み出るものがあったんだろうなぁ、と立ち止まってしまう。

電車の中、立っているのが大義だったり、大変そうにお見受けしたら、自分が座っている席を、サラリと、ごく自然に譲って差し上げたらいい。

好意を受けるか断るかは、その御方にお任せすればよいから、迷うこともいらない。

まぁ、挨拶みたいなもの。

相手がそれを返そうと、返すまいと、こっちの知ったことでなし。

朝の自分を、気持ちよく始めるための儀礼と思えば、向こうの反応はどうでもいい。
あぁ、家で女房とでも喧嘩して出て来たか、または、挨拶することを自分に躾けられずに大人になっちゃったか、ぐらいに思え。

あるブログで、傑作なのがあった。

電車で席を譲る運動、というのをやってる高校があって、そこで回数ナンバーワンを獲った高校生の言い分が、

まずは、自分が席に座ることがポイント、なんだそうだ。

たしかに、一面、おっしゃる通り。

この無邪気な証言、良識を育てようとする善意が、ややもすると陳腐な発想へと向かうことの一例ではありますな。

我先にと空いた席に殺到すると、あとは寝たふりを決め込む無関心。

これは、日本人が、相当に疲れていることから来るのか、どうか?

フィルコリンズによる『Another Day In Paradise』(パラダイスに居られたのに、1989年発表)。

たまには、こんな曲を聴きたくなる時がある。

もう一度考えてみろ(Think Twice!)、と、自分に言い聞かせたい時に。

では。

身の程を知る賢さ。

学業に齟齬をきたしたのはわかるが、なにも、学歴においてもっとも象徴的な学校の受験会場まで出かけていって、わざわざ人を傷つけることもなかろう。

いちばん不快なのは、自分と同世代に切っ先を向ける姿勢。

やるからには、自分に理不尽を押しつけた体制( = 強者)を攻撃しないと、筋が通らない。

学歴社会という名の、実は、学校名格差社会の幻想。

分相応、身の程を知る、といった美徳が廃れてしまったので、日本の国で生きることが、より一層辛くなっていることは、確かだ。

例えば、神社仏閣の庭で引いたおみくじ。
その恋愛運のところに〈身の程をわきまえろ〉とあれば、誰もがカチン、とくる。

けれど、今日び、こういうサバサバした渡世の真理や現実は、おみくじくらいしか教えてくれないのだから切ない。

他方、せいぜい成城とか学習院卒で、一国の政治リーダーになれたのは、
有り余る財力と、ふんだんな勉学環境を使った挙句、たとえその程度の学歴を刻めなくとも、世襲の恩恵を利用することでなんとかなった、という結果だ。

校名格差と、世襲による職業固定化、これって、今日を生きる青年諸君に対する往復ビンタみたいなもので、

今回、事を犯した彼は、このふたつの罠で、身動きが取れなかったのかも知れない。

学校の勉強が好き、出来る、それはそれでかまわない。

でも、それとはまったく違った意味の、頭の良さ。

いわば、聡明さや賢さのようなものが、世の中に多く恵みをもたらしているのに。

では。

山雅 NOW ❿ シリーズを終える時

シーズンの突入時における総括……、

成績の低迷、下位リーグへの降格を前にして
残念と無念が、まるで、枯れ尾花を幽霊と錯覚するような錯乱に変わり果てると、やれ原点だ、一体への復帰だとか、要でもない出直し論に、ずいぶんと騒がしかった。

勝てば嬉しく、負ければご不満の、山雅ファン&サポーターの一途さがそれほど変わるわけもないのに、なにをうろうろ。

僕にいわせると、たしかに客商売とはいえど、クラブが必要以上に動揺し、周囲に忖度し過ぎるんです。

プロクラブをサポート、スポンサードするのは、勝利の歓喜と、敗戦の落胆。

この両方を引き受ける、ってことでしょうに。

かつての #10レジェンドが、今回クラブを去ることが、組織解体への布石でないのをただただ祈るのみ。

が、すったもんだは、七十五日(2~3箇月)も経ちつつあるから、人々の口先もすり減ってきて、いわば、終息気味。

もともと攻守に精彩なきサッカーが治らない、というお話に過ぎなかったんだから、そこをさぁ、どうする? 、が課題として残ったのみ。

スタイルの徹底に乏しかったことは、山雅にあって、スタッツのランキングに顔を出したのは、GK圍 謙太郎のセーヴ数に過ぎないことが顕著。

圍のやつにしたって、攻め立てられ続けたことの結果だもの。

たいして変わり映えのしないメンツ
降格の2年目に、多くのチームは、スクラップ&ビルドを迫られる。
山雅にとっては、それが、2021シーズンだった。

傍からみるに、けっこう攻めの姿勢による編成、と好感を持ったんだが、タレントが活きなかった、活かせなかった、という感じ。

で、今季は流出を防いで、変わり映えのない陣容に持っていくのが、編成の狙いだったんだろう。
まづは、そこが原点か、とは僕も思う。

さて、ここから、どうやって、劇的に変わっていくのか? 変えていくのか?

復帰組も多いことなんで、ポジションのコンバート、ポジション競争におけるチーム内序列見直しなどを、遠慮なくやるべきでしょう。

チームがみづから変わろうしているのが、ピッチ上から察知されれば、ファン&サポーターは敏感に反応します。

まづは、そこをやってもらいましょう。

リーグをざっと見渡せば
千差万別のストーブリーグの様相。

でも、結局は、2部リーグからの降格組が、いちばんのライバルになりそう。
すなわち、相模原、愛媛、北九州。

この3チームの強みは、J2を闘ったタレントを多く擁すること。

指揮官の異動にしても、相模原は続投、愛媛は復帰(石丸氏)、北Qは内部昇格なので、それほどのギャップなしのスタートと診る。

あとは、岐阜がけっこう、トップチームの有名どころを加入させている。
川西 翔太だけが得点源、といったスタイルからの変貌を期してだろう。
ただ、そのタレントが加算されて、ひとつのチームになれるかどうか、そこでしょうね。

で、その川西の移籍先の、富山にも目配りしないと。

ただし、僕が、一番手に推すのは、実は、鹿児島。

新加入を眺めると、このメンツが巧く融合すれば、けっこう面白いサッカーになる、と診ていて、山雅ホーム開幕戦は、そういう意味で試金石。

他はいいから、ひたすら自分のチーム内融合と、タレントの化学反応を気にしたら?……、ですかね。

では。

冬の訃報 『Be My Baby』を聴く

元旦那の、フィル スペクター (1939~2021.1.16) が亡くなった時は、記事にしたはず。

だから、この度の逝去を採り上げなかったら、それこそ片手落ちというもの。

ロニー スペクター が、1月12日、次の世に旅立った。

1943年生れの、享年78歳。

その魅力は、絶頂な頃の映像を観るだけで、十分に納得できるから、あまりいろいろ言わない。

フィル追悼の折は、たしか、ベット ミドラー (1945~ ) のカヴァーをご紹介した。

最近のでは、ケリイ クラークソン (1982~ ) が素顔で演ってるカヴァーに惹かれるけれど、今度こそは、ご本人のオリジナルで、ご冥福を祈ろう。

https://youtu.be/sRy2pV7b2QA

では。