さらなる ベスト5曲に遊ぶ。

この前はジョン レノンのやつだった。

が、それでは片手落ち。

……ということで。

ポール マッカートニー (1942年~ ) の ベストファイブを楽しもう。
(1~ 5の順番は、順位にあらず)

1)  Michelle (1965)

2)  Lovely  Rita (1967)

3)  Honey Pie (1968)

4)  Another Day (1971) ☞ アルバム『LAM』への格別な敬意を表し。

5)  Jet (1973)

お気づきかも知れないが、女性にまつわる曲、つまりは、ラヴソングで筋を通してみたつもり。

こうでもしないと、ポールの数多な作品群から、5つはなかなか選りすぐれない。

逆に言うと、ラヴソングこそ、彼の真骨頂ということかいな。

では。

それくらいでいいよ、英語は。

その年代の子を持っていないので、目的や、詳細なプログラムは知らない。

が、現在、〈英語〉(英語? or 米語?)は、小学生から必修の科目らしい。

児童諸君には、この科目をなんとか好きになってもらいたいが、

こと外国語については、否応なしに使わざるを得ない環境に投げ出されないと、駆使できるようにはならない。

この国に生活する限り、不幸にしてそういう環境に曝されるのは、100人にひとりも居ないだろう。

なので、日本の街角で、日本人が当たり前のように英語を操っている光景は、幸せなことに、これから100年経っても、おそらく出現はしない。

どうしても、そういう世界を求めたいならば、

そうだな。

高校生より上級の、日本語を除いた教科はすべて、英語を母国語とする教師を雇い入れて、英語オンリーで教えるくらいにしないと無理な話。

つまり、明治初頭の、旧制大学の授業を再現すれば、万事よろしいかと。

これを暴論と言うのなら、将来、ほとんど(日常会話として)使わない外国語の習得に、幼い子のエネルギーを、それも世代全体で大量に、費消させることのほうが、よっぽど、乱暴な話ではないか。

『More Than I Can Say』は、バディー ホリイ(1936~1959)が、生前準備していたが、急逝。

残されたバンド クリケッツが、バディーの死後 1960年に発表した曲。

歌詞は、こう始まって、それが繰り返される。

I love you more than I can say

I’ll love you twice as much tomorrow ……

比較級の表現を覚えて、辞書を片手に、こういう秀歌を楽しむ。

〈英語〉教育の目的は、そのくらいにするのが、身のため世のためだと思うんです。

僕はこの曲を、柳ジョージの (泣ける!) 歌唱で知った。

けれど、こういうのも、なかなか味わいがある。

では。

球にはサッカーを、

語らないと。

日没も後ろに延びつつあるし。

……、とは思うんですが、

来季トップチームの仕込みについて小出しのリリースがあるけれど、

僕のような者からは、その狙い、真意など、とうてい量りえないわけなんで、いまヒトツ興が乗らない、この無責任。

あぁ、3月には、数十年ぶりに奈良の地へ……が、今いちばんの愉しみなのだ。

で、頭の中を、いちおう整理しておくにとどめましょう。(12/28 早朝現在)

❶指揮官交代に続く、チームコーチ陣の刷新。

❷契約満了、完全移籍によるアウト。
早々に戦力外となったプレイヤーは、パウロ淳一、山田 真夏斗、安田理大の3人を除いて、移籍先が決まった。
他クラブへの転出(完全移籍) は、5 4人。
これ、案外に少ない、と診るべきなのか。
引退は、隼磨。

❸完全移籍による加入は、ふたり(喜山、藤谷 壮)。
喜山は久方ぶりの復帰。思い切って、フォワードに?、それはないか。
藤田は、(おそらく)右サイド突破要員ですかね?

❹ユースからの昇格は、ひとり(田中 想来)。
新卒は、5名。
学卒に関するスカウティング手腕は、山雅、かなり秀逸なんで、期待大。

❺レンタルからの復帰が、3名 (鈴木、米原、村越)。

……、現有戦力の骨格は(契約更新によって)、保持しつつ
出し入れは、11人とまったくの同数、大勢は、ほぼ決したんだろう。

これで、去就未決定は、ルカオ、中山 陸 (VF甲府からのレンタル)、山口 一真(ゼルビアへのレンタル) の 3人を残す。

ただ、山口は、靭帯をやっちゃってリハビリ中だから、実戦復帰はせいぜい来季後半、なんとも悩ましい。

20人くらいを盛大に入れ替え中の、相模原や岐阜さんに比べれば、かなり地味な動向。

でも、これは、2022季をそこそこやれていた逆証明、とポジティブに考えますけどね。

クラブの財布事情も知らずして、あの子がほしい、この子は要らんと、あまり注文つけるわけにもいきませぬ。

では。

無題。

21日に埼玉県の某市で投函された葉書が、きのう届いた。

叔父(母の弟)からのもの。

ご無沙汰しております、で始まって、改行。

妻〇〇が今月15日に永眠し、18日に葬儀を執り行いました。
以下……、年末の移動のさまざまのリスクを考え、事後報告とさせていただきますのでご理解ください、生前賜りましたご厚情に感謝いたします……、と続く。

この叔母とは、数えるぐらいしか逢ったことがなかった。

照れ隠しに違いなかったろうが、

自分よりも年上で、当時は婚期を逃がした(と世間でいうような)年齢の女性を妻に迎えたことを、

― 人助けだよ、とか叔父が言うのを聞いて、(たしか高校生だった) 僕は、

― よく言うよ、救われたのは、叔父貴のほうだろうが!、と内心思った。

叔父の家には二度ほど泊めてもらった覚えがあって、叔母の上品な柔和さ、穏やかな家庭の雰囲気に触れると、

将来、こういう女性と巡り合えれば……などと夢想していた。

要は、僕にとっての憧憬の女性だったわけだから、

その訃報に、食事の味覚を感じないほど、かなり応えている。

最後にお逢いしたのは、かれこれ20年近く前にもなるのか。

不義理なやつよ、これ以上後悔しないためにも、早々に、叔父を弔問しなくちゃならない。

では。

転校生は語る。

指折り数えてみたら、いままでに、住む処を10回は変えた。

転校は、2回している。

転校とは、幼少時にはけっこう重大な体験であって、

子ども心にも、転校しない者たちが、なんともお気楽で、無邪気なやつにみえたものだ。

ジム クロウチ (1943~1973年) の『New York’s Not My Home』は、亡くなる前年に発表されているから、ちょうと今年で 50年が経った。

いろんな処に住んで

たくさん競争をしてきたんだけれど

連中のうつろな顔を みているうちに

どうも、なんだか真っ当じゃあない、って思えてきたのさ

ここから出て行かなくっちゃ、って。

救いがたいほどに 孤独な俺

やっぱり 出て行かないと

…… ニューヨークを、故郷にはできそうもないから。

では。