ピーター フランプトン (1950年4月22日生れ) が作った曲。
強烈な印象はないけれど、じわじわと効いてくる、そんな魅力があります。
本人の歌唱よりも、カヴァーにけっこう上出来が多いから、存在感が深まっているのかも知れない。
あるいは、同業者に好まれる楽曲なのか。
こんなピアノによる編曲も好きです。
時代的なこじつけを行なうのなら、煮詰まった60年代が終わり、もっとシックにやろうか、という70年代への流れ込み、そんな気分で好まれた?
では。
ピーター フランプトン (1950年4月22日生れ) が作った曲。
強烈な印象はないけれど、じわじわと効いてくる、そんな魅力があります。
本人の歌唱よりも、カヴァーにけっこう上出来が多いから、存在感が深まっているのかも知れない。
あるいは、同業者に好まれる楽曲なのか。
こんなピアノによる編曲も好きです。
時代的なこじつけを行なうのなら、煮詰まった60年代が終わり、もっとシックにやろうか、という70年代への流れ込み、そんな気分で好まれた?
では。
天皇杯県予選ファイナルの夜だったか、
京子さんから、家人にメールがあった。
具体的な文面は忘れてしまったけれど、
大野 佑哉(元山雅戦士) への不評が記され、ますますパルセイロが嫌いになった、と結ばれていた。
京子さんにしてみたら、パルセイロを好きになるつもりもないのだから、ますます嫌いでいられる出来事が起こって、これ幸い、と喜んだらいいのに。
そこら辺のやりとりは、僕の見聞にも否応なく入ってくるし、天皇杯では大野に盛大なbooが浴びせられていた。
が、そういうのには、醒めた、外野の身分で居るのが、自分を害さずに済む。
十二使徒であったパウロがみづから書いた書簡と伝わっている、新約聖書『ローマ人への手紙』第12章19節。(文語訳)
― 愛する者よ、自ら復讐すな、ただ神の怒りに任せまつれ。
録して『主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん』とあり。
〈意訳〉☞ 愛するローマのクリスチャンよ、あなた自らが仇に復讐をおこなってはならない。
書には、『復讐する者は、神である私の務め。あなたを害する者には、私が報いを与えよう』とある。
聖書の教えによれば、人を裁くのは人の仕事ではないのだから、それは、天の御方に任せておいて、あなたは、ひたすら、
悪に勝たるることなく、善をもて悪に勝て (21節)。
ピッチで行われることは、いかに真剣勝負であろうと〈プレイ〉であって、それにまつわるもろもろも、どこかに遊び心を宿さないと見苦しくなる。
だから、5/13夜の、望み。
山雅を取り巻く人々は、せいぜいマジメに遊び倒す気持ちを込めて、迫力と結束に満ちた声援と、応援を送ろう。
なんだ、お前、と思ったら、不興の声を浴びせることを僕はちっとも否定しませんが、ただし、それ相応な言い方、ってものがあるだろう。
ウイットと洗練。
それこそ、山雅の魅力、でありたい。
では。
浦和レッズが、アジアチャンピオンズリーグ(ACL)を制した(優勝)ことが、これほどまでに、世間 (=国内) で称賛、喧伝されない。
特に、僕の中では、
そのハイライトも観る気さえ起こらないほど、ほとんどゼロに等しい無関心。
(対戦相手との力量格差はともかく) エスパルスが、9点を叩き込んだ美技のほうに、ココロ奪われる始末。
この調子だと、来季、2部で清水と対戦できないじゃんよ、とか。
実は、これを、申し訳なくも思ってもいないんだけれど、
サッカーファンを自認する身として、ホンのわづかでも、一稿をもうけておくわけです。
対外的には、こういった大会での好成績が、Jリーグの認知度と地位を高めるわけで、
大いに、でも、なかば義務的に、職場で会ったら、
ソネさんには、祝福の意を、厚く示しさねば、と思っています。
では。
スコアは、延長をやって、1 – 1 のドロー。
PK戦の末に、敗退。
出迎えの都合上、90分を終えた時点で、アルウィンを後に。
で、松本駅の改札で、家人から結果を聞いた、といった半端な観戦になりました。
おまけに、TV録画にミゴト失敗したため、なんとも材料不足なレビュウとなります、お赦しあれ。
ゲーム開始後、15分も観ていれば、
力量の総体からして、(フツーの) 45分 × 2 セットでは、
よほどヘマをしなければ、この両者のカードで負けはないな、と(5/13を視野に入れて) ほぼ確信できました。
レギュラーメンツから、パルセイロは、宮阪、それに前線の進、山本が不在。
山雅は、両サイドバックの下川、藤谷を欠いて、ボランチが安東、米原のセットで先発。
残念ながら!!、公式戦初顔見世のプレイヤーはいなかった。
キーパー練習で、ビクトル、村山が出て来たのをみて、霜田さん、本気で勝ちにきているなぁ、とは思いました。
ザックリ言うと、ボール扱いと動かしにおいては、山雅が幾分か優ってはいるが、
長野は、山雅からボールを削り取ってからのカウンター攻撃と、ゴール前への人数の揃え方に迫力を有す、そんな感じですかね。
素早く縦にペナルティエリアへ侵入するので、それを山雅がひたすらクリアした結果、コーナーキックを、10回獲っている。(対し、山雅は 4本)
基本的には、第10節(5/13)もこんな感じの取り組み内容になろうかと。
でも、当たり前のことですが、当夜、必勝を期するならば、
この度採用した 3バックをどう考えるか?、です。
橋内がスローインを投げて、前方の滝に縦パスを通していく、なんてのは、観ていて新鮮ではあるが、
このやり方だと、当季深めてきた、ふたりのセンターバックと、下ってきたボランチのひとりによるトライアングルのボール連携、この持ち味が弱まってしまわないか。
いづれにしたって、ボランチが存在感を発揮して、ボールタッチを多くし、そこからパスを鋭く繋ぐことによって、相手をはがし、攻撃スイッチを入れたいわけですから、
4バックにして、3バックを採る長野とのポジション的なギャップを創るほうが、
良かないか?、と思います。
あと、サイドから、サイドから、と入っていくのは否定しないのですが、
そうであるからこそ、中央エリアに入ってくる人数とタイミングをもっと準備しないと。
2部リーグ、エスパルスが いわきを、下したゲーム (9 – 1)。
ああいった速さ、綿密にタイミングを測ったクロス投入と、それへの反応です。
要は、詰めの部分。
昨日のゲームでも、あわよくば、といった惜しいシーンはそこでしたから。
山雅 vs 長野 について、僕は、あまり特別視する者でもありませんが、
ただし、山雅ゴール裏の集中、気合いの入れ方、相手プレイヤーへの煽り、相手チャントに自チャントをかぶせる、などなど。
こういうのは洒落ていて、おおいに楽しませてもらいましたし、次回も、再現を強く望みます。
では。
― 明日、スタジアムへ行かないなんて、ファンとして、それはまづいでしょ。
と、同僚のヴァン氏にあおられたりする始末。
結局、ローソンでチケットを購った昨日。
朝からの雨が交じり、ここ数日の強風。
ゲーム日に、こういう荒天が多い、今シーズン。
雨中に長時間観戦も勘弁なので、レディーズ U-15 にはごめんなさいして、
長野県サッカー選手権大会決勝、兼、天皇杯県代表決定戦へと足を向けるのだ。
しかし、こういう、〈余計な〉手続きを踏まないためだけにでも、2部リーグ以上で参戦したいものですな。
……、とまぁ、愚痴に浸ってもいられないから、
今日はせいぜい、次なるレギュラーを目指すプレイヤーたちの力量、躍動、そんなところを楽しもう。
山雅、なんだかんだ言って、ホームグロウンのプレイヤー※を、今や 7名擁するにまでなった。
少しづつだが、いっちょ前のチームになりつつあることを、喜びながらの観戦だ。
※12歳から21歳までの期間中、少なくとも3シーズンを、そのクラブで過ごした(レンタルで他チームへ出ていた期間を含め)プレイヤーをいう。
では。