敗けなくて良かった!【2012.3.14山形戦レビュウ】

タイトルは、萬年の真情そのものなんです。

スコアは、1 – 1 のドロー。

でも実際は、(特に後半は) 20 : 80 くらいでゲームを握られていたので、ドローで持ち堪えたことを良し、としてしまうのが、敗けを引きずらない妙手。

チームの練度、仕上がりが、山形に比べると その半分にも満たない、と素直に認めて精進する、ってことでしょうね。

互いに、局面を優位に進めて攻撃を創っている時間帯で得点している、ってこと。
これが当たり前のゲームであったことは、自慢していいと思います。

山雅のプレイヤーには全体的に動きの緩慢というか、切り換えの遅さがあって、身体の重さしんどさを感じていましたが、これ、山形の試合巧者ぶりによって心身ともに疲労感が深かったのかな、と勝手に憶測。

〈予想が的中して〉
スタジアムに到着した瞬間、河合 秀人のゴールが宣せらる。
起用法とその躍動からすれば、得点の匂いが最も濃かったゆえに、まっこと喜ばしいことであります。狭いスペースへ走り込んで、しかも、左足でよく決めた。

〈ゲームのポイントは〉
河合のゴールをアシストしたのが前 貴之で、得点のシュートを放った加藤 大樹(山形)の足許に滑り込んだもまた、前 貴之だった、というのがゲームを最もよく象徴していました。

山雅の得点直後、指揮官は、表原 玄太をインサイドハーフへ、前貴之をサイドバックへとチェンジ。
それまで山雅の右サイドを山形が人数をかけて何度も侵していましたから、それへの手当てとして、かなり気の効いた策には違いなかった。

でも、これによって、中盤におけるボール奪取力がかなり減衰したことも確かであって、左右サイドに加え、中盤でセカンドボールをほとんど獲られてしまうこととなる。

後半、見せられたテイタラクにつながってしまったわけ。

決して表原を否定しているのではなくて、求める資質が違っている、というお話。

では、どうするか?

後半に投入された篠原 弘次郎。
彼が、あれほどシュアなプレイで山形FWを無力化できるのであれば、4バックを採ることで、前はそのままスリーボランチの一角に残すほうが、全体の距離感が保たれたはず。

表原は突貫能力を、前は中盤の形成力をそのまま発揮し得たと思います。

4バックシステムの運用を、ゲーム最終盤のパワープレイ用にいつまで限定するのかを、注視しています。

それにしても、左サイドの活性化を考えた場合、そろそろ登場しなきゃあダメでしょう、田中 パウロ純一よ。

では。

雨に フットボールを恋ふる。

朝起きると、春の雪になっていた昨日。

 雨すぎて たそがれとなり
 森はただ 海とけぶるを

宮澤 賢治 (1896~1933) が原稿紙に残したメモ2行を、ふっと、思い出させるような景色。
5・7調の 2連の後に、どんな詩を続けるつもりだったんだろう?

賢治が見たのと同じような森は、けれど、北穂高あたりまで出向かないと手に入らないか……。

いよいよ明日は、今季初アルウイン。

開始の笛が鳴ってからの10分間。
ここでどれだけ山形のプレイヤーに、おい、この山雅はただごとじゃあない、と印象づけられるか。

ゲームの8割方のポイントは、おそらく、そこらにかかっている。
強烈な圧力を加えるには、観客の力もきっと、大きいはず。

仕事の都合で、後半からの現地参戦となるため、冒頭、リアルタイムの目撃者にはなれそうにない。

はやる心を落ち着かせるには絶好の、雪まじり雨まじりの静かな一日であった、と書いておこう、今は。

では。

容赦なき具体論で克つ【山形戦プレビュウ 後編】


乗鞍岳の昨日、版権帰属先:オフィス/モモ

〈あの日の落差〉
第2節の、対京都戦がスコアレスドローに終わった、そのすぐ後

DAZNの画面を、それより1時間遅れて始まった 東京ヴェルディ vs  山形 に切り替えた。

やってる、やってる……。

でもね、5分としないうちにスイッチをオフしたんです。

なぜか?

なんとも気の抜けた、平板で淡泊なゲームにみえてしまい、たちまち興が失せてしまったから。

器ばかりが大きいあの味スタの、がらんとした環境もあるが、これが、ヴェルディのサッカーかい?、っていうくらいプレイヤーが立ちんぼに感じられ、切り裂くような活発な動きが、そこには感じられない。

対するモンテディオ山形も、似たり寄ったりの動きでつき合っている。

さっきまで観ていた、あのギリギリまで高められた、緊迫のサッカーとは、なんという落差なんだろうか!

〈しぶとい猛者、山形だろう〉
山雅を支えてトップリーグに導いてくれた勝負師 石丸さんの指揮も、2年目。
スタイルも深化しているだろうし、息吹も戦列に加わった。
FWヴィ二シウスは、昨季14得点で、この前のヴェルディ戦で早くも2得点。
他にも、相当な戦力を擁し、最後方のゴールマウスは、藤島 栄介(元山雅)が守る。
2019年は第6位、昨年は第7位。
……であれば、14日は、リーグ屈指の強豪との対戦には違いない。

〈見出したベンチマーク(基準点)に 殉ぜよ〉
となると、相当な対策を練ってゲームに臨むのは、あたり前なんだけれど、
そっちの戦術はともかくも、先のゲームで到達して魅せた〈強さ〉があの時だけのものでなかったことを証明することこそが、このゲームの最大テーマでありましょう。

監督インタビュウによると、レボリューショナルな京都との戦いに向けては、チームに相当なネジを巻いて臨んだらしい。

だとしたら、次は、対戦相手におかまいなく、あの高みを常に維持できること、これが至上命題になる。

強い、という印象はもちろん、やってるサッカーの具体的な手順と場面の集積があってこそ。

例えば、京都戦の前半のキックオフが、そのひとつだった。

たしか、佐藤から安東へと、横に短くパスを出すと、安東は間髪を入れずに、サンガの右サイドバック飯田が駆け上がって空いたスペース目がけてボールを蹴り込む。
そこには既に、外山がタッチライン沿いに走り込んでいた。
キックオフのやり方を変えてでも、ゲーム冒頭から、容赦のないプレイに徹底、執着したのだ。

山形が、山雅にとってベンチマーク足り得た時代は、既に5年前あたりで終わっているのだから、
ひたすら自分にしっかりと向かいあい、そのスタイルを確立する。

さすれば、結果はおのずとついて来るでありましょう。

では。

今季初ゴールに近き者 背番号 8。

京都戦の翌日、職場であったヤマガ課長が、
―新聞を読むと絶賛なんだけど、どうだったの?

―はい。勝敗にかかわらず、熱くさせる好ゲームでした。

けれど、ひとつ忘れちゃあいけないのは、対京都戦、強度においては高きものを魅せてくれた山雅だったけれど、ゲーム総体としては、40 : 60 くらいで劣勢だったこと。

サンガとは、5箇月後の 8月14日に再戦するので、その時分には、ホームの圧力も含め、こちらに多くシーソーが傾くようになっていたい。

ただし、山雅としては、多くの才能が新鮮な光をみせたゲームだったことは確か。

萬年視点では、河合 秀人が最大収穫だった。

攻守にアグレッシブに走り続け、常に前進を意識した姿勢は、新たに背番号#8 を担うにふさわしい。

京都橘高から大阪学院大へと進んだ河合。
だから、サンガ戦は、ある意味凱旋ゲームだったわけで、相当なモチベーションがあったはず。

それなりの結果もほしかったんだろうが、あの勢いをもってすれば、チームの初得点に絡む可能性は大きく、アルウインでは、カットインからの右足一閃のゴールを期待したくなります。

J3の鳥取からプロキャリアをスタートし、ここまでステージを上げて来たからには、なんとかトップリーグでやらせてあげたいプレイヤーだ。

京都橘の後輩にあたる、仙頭 啓矢と小屋松 知哉はステップアップして、今は鳥栖に所属。

ならば来季は、アルウインで彼ら後輩と対戦する、そのイメージを強く持って戦おう、河合 秀人よ。

では。

義務感の プレビュウ (対山形 前編)

正直言って、対モンテディオ戦のプレビュウを書くのが、しんどい。

なぜか?

その理由は、後編で、解き明かします。

初心忘るべからず、というのは、能役者の世阿彌陀佛、略して世阿弥が、その著『風姿花伝』(1400年頃に成立?) の中に書き記した言葉。

この書物に世の人々が接することができるようになったのは、せいぜいここ100年のこと。

それまでは、能楽の一流派、金春(こんぱる)流に代々伝えられる秘伝書だったから、その存在は、世間にほとんど知られていなかった。

それを、歴史学者の吉田 東伍(1864~1918)が、校注を施して学会に発表してくれたおかげで、市井の僕らが読めるようになったのだ。

だから、江戸時代から明治にかけての文学に、花伝書は一切出て来ません。

世阿弥は、能役者の現役を三つの時期に分け、駆け出し(幼年~成人前)、円熟(成人~中年期)、老成(引退までの老年期)、とする。

そして、〈花〉のある役者で在るためには、人生それぞれの時季に、自分の演技に関するベンチマーク(基準、水準)を明確にしてその上を目指して精進せよ、と説いた。

……前置きが、長いんだよね。ごめんなさい。

Jリーグに参入してちょうど、10年目。

山雅は今こそ、苦闘してようやくたどり着いた現在地に甘んずることなく、より上を目指さなければならないが、なにをもって〈初心〉(ベンチマーク)とするのか?

クラブとして、チームとして、ファンとして考えていきたいシーズンだと思う。

振り返ると、J初年(2012年)のホーム開幕戦は、モンテディオ山形とやったのだ。

弦巻 健人のゴールで一度は同点にしたものの、秋葉 勝の 2ゴールによって、1 – 2 の敗戦。

シュートは、当方の3倍弱の18本を打たれまくったゲーム。
GKの野澤 洋輔は、指揮官反町から、被シュート20本は覚悟してくれ、と言われて山雅にやって来たらしいが、まさにそれが実現したのだった。

山形にとって2012年は、トップリーグから降格した直後のシーズンだったわけで、やっとこさJ2リーグに上がった新参チームとの対戦は、それなりのプライドをかけていたはず。

僕らにしても、Jリーグのゴール裏とはああいうレベルなんだ、と痛く感心したっけ。

14日の対戦、当時ピッチ上にいたプレイヤーは、(出場すれば) 山田 拓巳たったひとり。

隔世の感ある中、さて、どうやって戦う山雅?

ヒントは、当日の試合後の監督インタビュウにある。すなわち、

― 相手ありきではなくて、自分たちに目を向けてやっていかなきゃならない。

では。