金沢戦 余談あれこれ。

富山から金沢へは、高速を使って、おおよそ70km。

走ってみて、あぁこれは、松本と長野くらいの距離感、とわかれば、かつては、富山、石川、(それと福井)がひとつの県であってもおかしくなかったことが実感できるのであります。

大久保 利通内務卿(実質的な首相) の暗殺事件(1878年5月14日)の実行犯の多くが石川県人であったため、その勢力増強を怖れた明治政府が、当時の石川県を、現在の三つに分割してしまった、というのは余談の、また余談。

さて、ハーフタイムのことだったか、

― 金沢のプレイヤー名も横断幕は、きれいに統一されているわねぇ、と家人、しきりにご感心。

みると、同じサイズの赤の地に、書体がいくぶん違うものの、白字で各自の名前が浮き上がる。
それが、ホームゴール裏最上部にズラリと掲げられてあるのは、たしかに統一感豊か。

― ところでさ、ゴール裏スタンドのグランドと境の壁のところ。
あそこに、7つくらいいろんな横断幕が並んでるよね。
思うに、あれは、サポーター団体(グループ)の〈旗印〉みたいなもんだと思う。

俺たちはここで応援している、というアリバイとして出しているってことだ。

― あらま、山雅の場合は、ウルトラスマツモトしか聞かないけれど。

― むしろそれが稀なケースであって、だいたいのJクラブは、いくつかの集団が在って、それが連合体を形成しているんじゃあないか?、と察しているけどね。

どちらがいい、悪いではなく、時流の中で、クラブがどう生い立ったか、の結果なんだろうけれど……。

アウェイ観戦だからこそ、味わえる歴史と異文化との遭遇でありました。

では。

高まったこと、安いこと (2021.9.19金沢戦レビュウ)

後半アディショナルタイムに追いついて、1 – 1 のドロー。

安房の峠越えの気分、おかげで、だいぶ救われましたけれど。

― もうっ、下手くそなんだからぁ!

ハーフタイムになっての、相方の第一声が、これでありました。

― いやいや、ご説のとおり、ボールがつながらないシーンはあったけれど、どうこう言うミスもほとんどなくて、前半を観る限り、今季ベストにランクインするくらいの出来だったと思うよ。

スタメンをみての、僕の予想は……、

先発が伊藤 翔でないから、きっと、ツートップ(鈴木 国友と山口 一真)だ。

で、セルジ―ニョのプレイ特性上、彼を、ひとりシャドウに置き、
そこを頂点にした三角形で、佐藤 和弘と平川 怜をならべて中盤を作るんだろうな……。

スタンドからは、そのとおりの陣形でやっていたように見えたが、鈴木、山口、セルジ―ニョは皆、ガチガチの点取り屋ではなく、人を使うタイプでもある。

下手をすると、ボールは動くが決め手に欠ける、という事態を危惧します。

だから、これからは、この3人が組み合わさった場合、どうやって、誰が、ゴールを挙げるのか、その方程式の解き明かしを注目します。

ベストに近い、との評価は、意図しているプレイが実行できていたこともありますが、
いちばん感心したのは、ボールが前へ前へ、と運ばれていくようになった、これでありました。
喰いついてくるファーストディフェンスをダマシて逆に揺さぶるボールの動かし、相手守備を左右に動かしながら、スキと空いたスペースを狙う、そういう動作がかなり身についてきている。

スピードと、強いボールが中継されるようになり、かつ、とりあえず、といった安易な後方選択がほとんどない

ただし、ファン&サポーターには(おそらく)いまだ、山雅の足元おぼつかなの、心配信仰があるわけ。

なので、最終ラインのパス交換時、相手が突っ込んでくると、オイオイなにやってんのっ、といったうめきがスタンドから起こっていたんけれど、不安定な感じもなくなりつつあって、いいんじゃあない?、この調子だと。

金沢のプレイの不確実にもけっこう助けられながら、前半、そして後半の失点(66分)までは、ツエ―ゲンの守備を締め上げてゲームを支配して進めてたんだが、
しかし、安い失点でしたよ、まったく。

サイドをたやすく獲られての、デジャブでしたから。

それでも、下川 陽太の退場によって10人になったことへの苦肉の策で、後ろ4枚にしてからのほうが、やるべきことがはっきりして吹っ切れたのだろうか、攻撃が活性化したのは、皮肉といえば皮肉。

ここら辺は、田中パウロ突貫劇場のたまものであったんでしょう。

が、金沢のセンターバックが、守備で終われて疲弊していたと考えるべきか、でなくて、山雅の攻撃の厚みが本物に近づいた、とするべきなのか。

もちろん、後者であってもらいたいんですが、

― この勝ち点を意味あるものにするには、次節が大切です。

なんて、何回も聞かされて、その次で期待を裏切られ続けている昨今ですからねぇ。

とにかく、今節の出来が、最下位あたりに沈むチームの対戦だからできたこと、と言われないような、北Q戦のパフォーマンスを望むばかりです。

では。

たとえ上司である としても。

― 鉄拳制裁は大嫌いです。「お前人をそうやって殴るほど偉いのか?」「殴るんだったら教えればいい」、そう思っています。

落合 博満氏の言葉。

秋田工業高時代、先輩による理不尽なしごきに嫌気がさして、入ったとたんに野球部を退部。
けれど、彼ほどのプレイヤーがいなかったたため、大会が近づくとお声がかかって、ゲームでは4番を打った。
そんな感じで、7回入退部を繰り返す。

東洋大の時は、先輩がタバコを取りだしたら、後輩がパッとライターで火をつける、といったならわしに納得できず。怪我もあって、半年で退部、中退。

その一貫した姿勢には、感動を憶えますが、こういう個性は、野球の世界では、きっと異端だったに違いない。

当時ならば、今より、よほど。

その落合氏の、別の言葉。

― ファンサーヴィスとよく言われますが、どこですりゃいいんんだ。私はグランドに来て、野球を見に来た人に「今日は勝ったね」と言ってもらいたい。
それが一番のファンサーヴィスだと。

では。

縦のライン と得点。(ツエ―ゲン戦プレビュウ)

両者ともに、最近5試合の戦績は、●(負け)と(引き分け)だけが、ズラリと並ぶ。
〇(勝ち)がないのが、なんとも辛い。

さらに、直近の失点数は、数える気にもなれないほどに惨憺。

どうしたら、こうも気前よくゴールを献上できるのか?

失点のひとつひとつには、確かなる原因があるんでしょうけれど、

こうも歯止めが効かなくなるのは、ゲームの流れにクサビを打てない素直さ、というか、狡猾さの欠如のような気がしますね。

常田など、いい奴なんだろうが、マークする相手を威圧するぐらいのふてぶてしさ、そういうことも身につけてもらいたいわ。

激しく渡り合いながら、ムッと、相手を睨む度胸があるのは、隼磨や篠原を欠く今は、セルジ―ニョくらいではないか、山雅にあって。

良い意味で、好戦的であることは大切です。

(愚痴は、ここまで)

とは言うものの、山雅の今節最大テーマは、もちろん得点でありましょう。

〈分厚い攻撃には、準備としての守備は必要〉
長年やって来て染みついた3バック、どうしてもこれを続けるならば、もはや攻撃的に運用すべき、と主張します。

3バックの場合、待ち構え(守備時)は、5 – 4 – 1 になるんですが、これだと、反転して、迅速な攻撃をかけようとすると、どうしても人数と迫力に欠けてしまっているのが現実。

その背景には、山雅の、必然的に訪れた成長局面が在ります。

相手の攻撃に堪え、カウンター一閃に賭けざるを得ないほどには、技量が劣ってはいない。
さりとて、テンポ良くパスの連続だけで崩し切れる、あのヴェルディばりのテクニックの高みには届いていない。……、そんな中途半端さ。

ならば、早い話が、4バックにして、センターバック2人を基底に置く、たとえば、サンガみたいな格好にしてしまったら、と思います。

初期布陣が、4 – 3 – 3 で、2 – 5 – 3 に変容して前傾する感じ。

今季、前柴田監督がやろうとしてできなかったことなんでしょうか?

そこで、後ろにある重心をすこしでも前方へ移動して、4 – 4 – 2 で待ち構えたら?、と強く思います。

でもね、3 でも 4でもどちらにしたところで、守備ラインが縦にチキンと揃っていないので、サイドから容易に中に侵入されているのが、現状。

そこをなんとかしておいて、前にボールを繋げないとね。

では、金沢で。

監督は上司なのか?

世界に冠たる自動車メーカー、〇ヨタの社員が自殺したのは、上司によるパワーハラスメントによるものであるから労災認定せよ、との判決が出た、というニュース。

ご本人がどんなに苦しかったかを思うと、言葉もないが、この司法判断は、残されたご伴侶にとってせめてもの救いだろう。

部下は選べても、上司は選べない……か。

では、プロサッカーチームの監督とは、プレイヤーにとって上司なのか、そうでないのか?

Jリーグのクラブからは最近、チラホラと監督による無理無体な指導に関する話題が沸き起こった。

その結果、解任や指揮停止処分がおこなわれているようだ。
あるいは、火消しと噂されるような辞任とかが。

ファン&サポーターならば、ご贔屓のチームには決して起きてもらいたくない事案であるし、もしも、チームがそれなりの成績を挙げているとしたら、なんとも皮肉なことに違いない。

責め立て追い込んだやり方で勝つチーム、とはなんとも悲しい話ではないか。

九州の某球団の監督、プレイヤーを足蹴にして処分、となった。

たとえ怒りによるものにせよ、この人、常習化していたんだな。

蹴り上げて相手をなぎ倒す、という行動は、日頃やりつけていないとできない所業だ。

守田 達弥は大人しいから、そういった犠牲になっていないことを祈る。

プレイヤーの生殺与奪の権を握っている、という意味で監督は上司なんだろうが、他方、お互いは確定申告をおこなう、いわば、それぞれが個人事業主でもある。

あまりに酷く理不尽な扱いを受けたら、
― あんた、それはないんじゃぁない?、と喰ってかかるプレイヤーはいないんだろうか?

また、チーム内には、そのような物申せる闊達な雰囲気はないんだろうか。

ここまでは厳しい指導で、ここからはパワーハラスメント、とかいうのはまったく不毛な議論。
こういう区分には、耳を貸すつもりもない。

おそらく、こういうことの唯一の活路は、プレイヤーが、防衛としての抵抗言動を準備し、時に応じて発動できることだろうな、と思う。

それができなければ、サッサと逃げ出すのが自分を守る唯一の道、と考えるべき。

たまには、監督が選手からハラスメントまがいの被害を受けた、というニュースを聞きたくもなります。

では。