ユースの 出来栄えに感謝

トップチームによるゲーム結果のあとに、ユース年代の戦果をリリースする公式サイト、毎度のならわし。

まづは、先週。

北信越プリンスリーグ参戦2季目の、山雅U – 18 。
変則的評価(平均勝ち点比較)ではあるが、堂々の 3位を確保。

卒業していく諸君からすれば、来年もここでプレイできる環境を後輩に残してくれたわけだ。
これは大した仕事です。

ちなみに、1位は帝京長岡、2位にツエ―ゲン U – 18 。
このふたつは、トップリーグであるプレミアイーストへの参入戦に回る。

10チームで戦うこのリーグ、うち、Jクラブユースが 4つで、残り6つが強豪高校サッカー部だった今季。

で、金沢 2位、山雅 3位、富山 4位と、ユースクラブが上位に名を連ねるまでになってきた。(新潟は、8位)

こういう潮流は今後も続くのか、否か。

次に、今週。

U – 15 レディースが、北信越リーグで、アルビレックスレディースとやって、
2 – 0 で勝利している。
記憶からだと、新潟からは、初の勝ち星だと思う。
まさに日々進歩、って感じではないか。

迂闊にも日曜日、この勝利を知らずにいたため、北ゴール裏で観戦していたレディースのプレイヤー達にも、はたまた、入場口に立っていらっしゃるコーチ(小林 陽介氏)にも、おめでとうの言葉をかけられない萬年でありました。

さらに、小学生年代も力をつけてきていて、中では、U – 12

北信越選手権大会(2021 フジパンCUP、2日間) では、準決勝で ツエ―ゲン、決勝で アルビレックスを破っての優勝。

この年代は、見逃せないくらいに強く、楽しみも多い。

すべての年代を通して、支援に回っていらっしゃるご家族や指導者にも、心より感謝しなくてはならぬ。

感謝……ね。

米国では、サンクス ギビングデイの小休暇(5日連続)のシーズン。
などと、こじつけながら、この曲をじっと聴く。

モンタナの風景に住めば、こういう曲が湧くんだろうか?

松本だって、同じような田舎じゃんね。

では。

三つの Good Jobs (レノファ戦レビュウ ❷)

このゲームにおける感動/感謝、それが、三つほど、ありまして。

ひとつ。

我がチーム、そこそこ良いゲームをやった。
デジャヴな失点ではありましたが、レノファサッカーの単調さもあって、負ける気はしなかった。
ボランチ(安東 輝)が奥深く侵入、クロスを入れるってのが、長らく待望の件でしたし。

勝利以外は無意味、といった論調もあるんでしょう、おそらくは。

なにを今更、って思います。
お尻に火がついて騒ぎ出す者のサガの悲しさ……。

ふたつ。

モモ氏(同僚) がご夫妻で、初のアルウィン観戦。

― アッという間の失点でしたね、と残念な様子でしたが、サッカーの雰囲気は感じられたんではないか。

約8,000人の熱量も在り、すこしづつ応援が戻ってきてもいたので。

みっつ。

今季限りで現役引退を表明した、主審 家本 政明氏が、南ゴール裏まで駆けていって挨拶。

どなたのシカケかは存じませんが、こういうアルウィンこそが、誇らしい。

出来る限りゲームを止めない意思の笛ぶり、ジャッジにもフラストレーションがない。

長年のお仕事、お疲れ様、そして、ありがとうございました。

では。

It’s Too Late… (2021.11.21レノファ戦レビュウ ❶)

セルジ―ニョの素晴らしいゴールで先制するも、立て続けのコーナーキックに堪え切れずに失点。

1 – 1 のドロー。

ゲーム後、スタジアムを一周するプレイヤーたちの表情には、ここで勝ち点3を逃がしたことの重さが、歴然でした。

終焉は一瞬では訪れず、一週間ごとにじわじわやってくる、って感じでしょうか。

そういうのも、なかなかしんどいですな。

ラスト5ゲーム、勝ち負けの星勘定は、萬年の予想どおりなんで驚きもしないが、こうやって現実化すると、スタジアムには、どうやったって、敗残と諦観の空気が押し寄せます。

しかしながら、ゲーム内容や、チームとしての出来は、いままでにないほどに高まっていた、と診ます。

❶初期システム 3 – 3 – 2 – 2 という最適解への習熟。

❷ほぼ最善と思われるメンツを、その布陣に落とし込めている。
(故障者の復帰を含め)

❸無責任なプレイが姿をほぼ消して、ボールが、湧き出て来るプレイヤーへと前向きに渡る。

❹球際の競り合いでは、執着心と鋭さが倍加した。

❺ファーストディフェンスの、行く行かないのコントロールに意思統一がなされメリハリがあって、相手の出鼻と態勢を崩せていた(チノ氏評)。

ボトムハーフに低迷するチーム同士の、突き詰められていないがゆえの甘さ、ミスが散見されて、順位はウソをつかないわ、といった緩慢なゲーム運びが感じられはした。

けれど、山雅としては、今季最上級の締まったゲームを遂行できた、と評価したいところ。

……、実は、北ゴール裏立見席の僕のすぐ後ろには、青年ふたりが観戦していたのですが、彼等が交わす言葉が、プレイと選手の技量に関する肯定的な内容であったこと、そういったことでも、大いに救われた。

こういう評言がアルウィンに満ちることを、切に願いますね。

誰と一緒に観るか?、でサッカーの価値も決まる、これはホント。

さてと。

いままでの40ゲームを、10試合ごとに区切って、山雅の、勝ち点奪取をみてみると……、
1~10       10
11~20      9
21~30      8
31~40      6

これには多分に、対戦相手次第という要素もある。

が、我らが戦いの出来に関しては、それなりにレヴェルを上げて来ているにかかわらず、勝ち点についちゃあ、尻すぼみ。

その根本的な事情として、すべてのチームが山雅以上に、ゲーム遂行の成熟度を高めていることが在る。

これに尽きますよ、おそらくは。

リーグ戦当初から引き摺ってきた、チームの作り込み不足が、他との比較でも、いかんせん挽回しきれていない。

良くはなっているけれど、滑走路が既に尽きかけている山雅号。

It’s Too Late……か、と心の中、呟やきながら、チノ氏と別れて駐車場に向かったのでありました。

旗振りとタオルぶん廻しが戻ってきたからには、土壇場は見届けないと。

相模原には参戦しますよ。

では。

ひとつになる とは… (レノファ戦プレビュウ)

いまや、ゲームの戦略や戦術について語る時季でもないだろう、と思っているので、それは省略。

ボールを受けに来る味方を探している、とか、パスコースから消えてしまうのを減らす、なんてのは戦い方以前のことでもありますし。

さて。
COVID-19の第6波と、年末の忙しなさの来る前に、というタイミングをみて、一昨日、或る先輩とお会いした。

で、自然、山雅がどうのこうの、という話題になる。

― 最近はねぇ、負けているのはわかってるけど、いくつで負けてるの?、って、女房が聞いてくる始末でね。
一体、この無様な戦果をどう思う?

― リーグ屈指の技量、そこそこの年俸取りの集まりであるはずなんです。
が、ピッチ上でゲームを統率するリーダーシップをあまり感じないんですよね。
悪い流れを断ち切るとか、ひとつのプレイで他のメンツの意欲を引き出す、といった。

― あれだけの大量失点と、得点力の喪失はね、昔の監督、今の監督うんぬんじゃあない。
ふん、どうでもいいや、と腹背して、チームの結束を阻むような個とか勢力。
要は、チームの結束を阻む力学がそこには在るな、どうも。

……かつて同じ職場に在った時、この方の、組織や個人を診る眼と判断力はかなり鋭く、舌を巻くことが多かった。
ゆえに、参考にすべき視点だろうな、と思っている。

その指摘は、甲府からの帰り道で急に胸に来た、これだけゲームを落としまくる不自然な感じ、それと奇しくも合致する。

かと言って、犯人探しをする気にもなれないが、もしも、そういう事態が生じているのならば、どこかでそれを断ち切らないと、来季もまた同じ轍を踏むこと必至でありましょう。

この前は、甲州人のリアリズムに学べ、とか書いた。

が、武田軍団の速やかな壊滅は、指導者(主君)の下に結集できない背信、要は、内部崩壊のゆえだ。

組織は外からの攻撃によってよりも、むしろ、内部から瓦解する―とは、言い得ている。

まるで、どこかのチームがやっている負け試合の様相が浮かんで来てならない。

他方、なかなか一つになれないのも、人の世の現実。

ユダヤ人は、全会一致の評決が出たら、いったんそれを無効にしてしまって、再度議論を尽くすと聞いた。

これ、安易な、主体性なき一致、それもまた組織をそこなう、という信念からだ。

意見の衝突を怖れず、違いを宿しながらも、目的において一致することのむづかしさよ。

となれば、レノファ戦のみどころは、自分とチームメイトに厳しく要求し合いながら、結束によってゲームを崩壊から救えるか?、これですかね。

残り5ゲームの時点で予想した1勝を、そろそろ挙げるもいいのでは?

では。

裏切りを 糧にする。

先日14日、対ヴァンフォーレ敗戦の帰途、甲州街道を辿りながら、考えた。

ここ数年、挫折を味わいながらも、そこそこの成績で戦えていたので、いつか、妙な思い込みにとらわれ、自分のファインダーには曇りと偏狭がヒタヒタと忍び込んでいたんだろうか?

最後まで諦めない、これはこれでいい。

だが、ここまで 39試合消化して、たった 7勝。

最近は、引き分けふたつを含んで、8戦やって凱歌を挙げていないのであるから、 こういうチーム(組織)はやっぱり、顔を洗って出直す、というのがスジだろう、と。

もともと草の根(5部あたり)から成り上がってきたんだから、上昇するにつれて背負いこんできた不要なものをそぎ落とせば、ただ、それでいいだけの話。

この先、いろんな意味での〈裏切り〉や〈離散〉を眼にするんだろうけれど、そんなものは世の常。

甲州の人々は、いまだに尊敬を込めて、信玄公、とその名を呼ぶ。

ところが、織田 信長が、木曽口から信濃/甲斐に侵攻を開始するや、ひとつふたつの例外を除いて、主君 武田 勝頼を早々に見限り、不戦、寝返りに走っている。

武田二十四将、とかよく言ったもんだよ、まったく。

それでも、400年経った今も、いまだ、信玄公なのだ。

甲州人の損得に関する抜け目なさ、リアリズムに学ぶべき時が今。

それまでベンチにも入れていない高崎 寛之を、マッチデイプログラムの全面に掲げるようなヴァンフォーレ甲府の商売上手を、すこしは参考にしてもいいかもな。

で、白州の道の駅で汲んだ名水を、今日で飲み終える僕なんであります。

では。