先日14日、対ヴァンフォーレ敗戦の帰途、甲州街道を辿りながら、考えた。
ここ数年、挫折を味わいながらも、そこそこの成績で戦えていたので、いつか、妙な思い込みにとらわれ、自分のファインダーには曇りと偏狭がヒタヒタと忍び込んでいたんだろうか?
最後まで諦めない、これはこれでいい。
だが、ここまで 39試合消化して、たった 7勝。
最近は、引き分けふたつを含んで、8戦やって凱歌を挙げていないのであるから、 こういうチーム(組織)はやっぱり、顔を洗って出直す、というのがスジだろう、と。
もともと草の根(5部あたり)から成り上がってきたんだから、上昇するにつれて背負いこんできた不要なものをそぎ落とせば、ただ、それでいいだけの話。
この先、いろんな意味での〈裏切り〉や〈離散〉を眼にするんだろうけれど、そんなものは世の常。
甲州の人々は、いまだに尊敬を込めて、信玄公、とその名を呼ぶ。
ところが、織田 信長が、木曽口から信濃/甲斐に侵攻を開始するや、ひとつふたつの例外を除いて、主君 武田 勝頼を早々に見限り、不戦、寝返りに走っている。
武田二十四将、とかよく言ったもんだよ、まったく。
それでも、400年経った今も、いまだ、信玄公なのだ。
甲州人の損得に関する抜け目なさ、リアリズムに学ぶべき時が今。
それまでベンチにも入れていない高崎 寛之を、マッチデイプログラムの全面に掲げるようなヴァンフォーレ甲府の商売上手を、すこしは参考にしてもいいかもな。
で、白州の道の駅で汲んだ名水を、今日で飲み終える僕なんであります。
では。