ひとつになる とは… (レノファ戦プレビュウ)

いまや、ゲームの戦略や戦術について語る時季でもないだろう、と思っているので、それは省略。

ボールを受けに来る味方を探している、とか、パスコースから消えてしまうのを減らす、なんてのは戦い方以前のことでもありますし。

さて。
COVID-19の第6波と、年末の忙しなさの来る前に、というタイミングをみて、一昨日、或る先輩とお会いした。

で、自然、山雅がどうのこうの、という話題になる。

― 最近はねぇ、負けているのはわかってるけど、いくつで負けてるの?、って、女房が聞いてくる始末でね。
一体、この無様な戦果をどう思う?

― リーグ屈指の技量、そこそこの年俸取りの集まりであるはずなんです。
が、ピッチ上でゲームを統率するリーダーシップをあまり感じないんですよね。
悪い流れを断ち切るとか、ひとつのプレイで他のメンツの意欲を引き出す、といった。

― あれだけの大量失点と、得点力の喪失はね、昔の監督、今の監督うんぬんじゃあない。
ふん、どうでもいいや、と腹背して、チームの結束を阻むような個とか勢力。
要は、チームの結束を阻む力学がそこには在るな、どうも。

……かつて同じ職場に在った時、この方の、組織や個人を診る眼と判断力はかなり鋭く、舌を巻くことが多かった。
ゆえに、参考にすべき視点だろうな、と思っている。

その指摘は、甲府からの帰り道で急に胸に来た、これだけゲームを落としまくる不自然な感じ、それと奇しくも合致する。

かと言って、犯人探しをする気にもなれないが、もしも、そういう事態が生じているのならば、どこかでそれを断ち切らないと、来季もまた同じ轍を踏むこと必至でありましょう。

この前は、甲州人のリアリズムに学べ、とか書いた。

が、武田軍団の速やかな壊滅は、指導者(主君)の下に結集できない背信、要は、内部崩壊のゆえだ。

組織は外からの攻撃によってよりも、むしろ、内部から瓦解する―とは、言い得ている。

まるで、どこかのチームがやっている負け試合の様相が浮かんで来てならない。

他方、なかなか一つになれないのも、人の世の現実。

ユダヤ人は、全会一致の評決が出たら、いったんそれを無効にしてしまって、再度議論を尽くすと聞いた。

これ、安易な、主体性なき一致、それもまた組織をそこなう、という信念からだ。

意見の衝突を怖れず、違いを宿しながらも、目的において一致することのむづかしさよ。

となれば、レノファ戦のみどころは、自分とチームメイトに厳しく要求し合いながら、結束によってゲームを崩壊から救えるか?、これですかね。

残り5ゲームの時点で予想した1勝を、そろそろ挙げるもいいのでは?

では。