一期一会の決意 『Midnight Run』(1988年)

1980年代は、ずいぶん奢った、軽薄で恥ずかしい時代だった、と思っている。

おそらく、時代の恩恵をすこしも感じなかったヒガミが僕の中にあるからだ。

5月18日に、チャールズ グローディン (1935~2021年) が亡くなったとの報に触れて、思い出した作品が、これ。

マーティン ブレストの監督。

グローディンは、ここで助演の立場。

けれど、彼の演技があったからこそ、主演のロバート デニーロ(1943年~ ) が活きた。

ご都合主義的なシーンがあちこちにあるけれど、そこはコメディと割り切ってしまうとして、’80年代には迎合できない、無骨で不器用な〈男〉たちが描かれたところが、気に入っている。

それから、4年後にメガホンを採った『Scent of a Woman』でも、時代に取り残されて反抗する男(アル パチーノ)を描きましたね。

物語は……、
元警察官の主人公(デニーロ)は、出頭命令に応じない被保釈人を裁判までに連れ戻す稼業で、飯を喰っている。

そこへ、ちょっとひとっ走りの仕事 (= midnight run) が舞い込んだ。

麻薬王の金を横領して慈善事業に寄付してしまった会計士(グローディン)を捜し出して、NYからロスまで連行してくる案件だ。

5時間のフライトで戻ってくるチョロイ仕事のはずだった。

ところが、そこに人の欲望が入り混じってきて、四苦八苦の道中になってしまう……、ってのが粗い筋でありまして、

旅上、いまは、かつての同僚と所帯を持っている元妻の自宅に寄って、逃走資金と車をせびる、といったなんとも切ないシーンが織り込まれる。

で、ラストが、この映画の焦眉。

夜のL.A.空港。

連れて来た容疑者を解き放って旅を終えようとする、デニーロ。

『Take Care』と『See you in the next life』が繰り返される、男の別れ。

次の世で逢おう、とは、もう決して現世では逢わないだろうな、俺たちは、という決意。

そして、それぞれがまた、自分の孤独に戻っていく。

では、たとへセリフの意味がわからなくとも、感情の往来がわかってしまう名演を、エンドロールの直前まで、是非お楽しみ下さい。

 

勝って決めゼリフを!! (岡山戦プレビュウ)

『ダーティー ハリイ2』(原題: Magnum Force)は、1973年公開の米映画。
クリント イーストウッドの刑事物。
さすが、ジョン ミリアスとマイケル チミノが書いた脚本だけあって、洒落たセリフが多い。

ラスト。敵を葬った主人公が、放つ言葉。

A man’s got to know his limitations. (身の程を忘れるな)

日曜日を控え、今の真情が、まさにこれだから困っております。

みづからを鼓舞しようにも、あまりいい材料がないんですね、これが。

❶前節栃木戦、シュート4本、枠内0の貧打。
2失点目の、ニアに打たれたボレー。村山、全然準備してないじゃん。
次の先発はないよな、これじゃあ。

❷昨季、岡山とは互いにホームで勝って、1勝1敗。
山雅の得点は、鈴木雄斗から杉本太郎へ渡ったボールを、杉本が鋭いクロスを入れ、セルジ―ニョがトラップざま蹴り込んで決めたやつ。

対し、岡山の得点は、山本 大貴が、拾ったボールを上門 知樹へパス、これを上門が落ち着いて振り抜き決めた。

山雅の3人は既にチームを離れ、岡山の2人はいまだにスタメンを張る。

❸前節対長崎戦は、0 – 1の敗戦だったが、前半の様子では、キビキビしたボール運びで、岡山が長崎に思うようにサッカーをさせない感が強かった。

けっこうな戦力、特に優秀な外国人を擁する長崎が、これじゃあマヅイでしょうと思ったが、ひょっとしたら、あれは岡山にやらせておいて反転して仕留める作戦だったようにも思う。

が、ともかく、あれだけの練度を持ちながら、裏狙いで、かつ、セカンド回収をめざすロングボール戦術を併用する岡山と、真っ向からやった場合は、当方の連携には、まだまだ不安が多い。

❹岡山の得点の、46%はセットプレイから生まれている。
これ、無策に等しく、コーナーキックからあっさり失点の山雅には、かなりしんどい数字だろう。

……、などを思えば、悲観的になるのもおわかりいただけるだろう。

でも、すこしでも希望を見い出すとしたら……、

❶岡山が、比較的、ボール保持を好むやり方を採ること。
長崎戦の60%は、長崎の作戦もあったろうから、突出とは言え、相手のボール奪取から入る、という状況から始められるのは、山雅にとっては組しやすい、かも知れない。

❷怪我による離脱や、若手の登用もあって、今の岡山は誰を中心としたチームといった、いわゆるカラーに乏しい。
そこのところの、勝負師根性?の希薄な部分を衝くことはできるかも知れない。
ただし、こちらが相当に、戦略的にやることが前提だが。

ファジアーノの着目プレイヤーは、FW川本 梨誉(清水からの育成型レンタル)と、どこにでも顔をだす上門のふたり。とくかく彼らを自由にさせないこと。

そして、360度のホームにあって、勝った日には、

I’m afraid you’ve misjudged me. (見損なうなよ)、と言い放ちたい。

もちろん、これも、ダーティー ハリイの決めゼリフ。

ただし、完全ホームで一敗地にまみれたら救いようがないな、と最後まで弱気なんです。

 

では、では。

座主の面目はどこへやら。

最近は、令和キネマ座の亭主を差し置いて、家人のほうが、映画三昧のもよう。

この前『君よ憤怒の河を渡れ』(1976年) を観ていたと思ったら、翌々日に居間に入ると、

おっ、今度は『冬の華』(1978年) じゃん、といった具合。

― 池上 季実子(1959年~) って、なんて美しいの! 今はただのオバサンなのにね。

我が事は棚に上げてよく言うよ、と思うと、あるいは、

― 小林 稔侍って、ああいう役者だったんだぁ、とか。

彼、この作品ではセリフが一切なかったし、まして家人がピラニア軍団なんてのを識る由もないし……。

でも、この当時の邦画に開眼なさるのは、まことにけっこうなご趣味ではないか。

数分画面に観入っていたら、老いた藤田 進(1912~1990年) が、渡世家業に飽いた親分役で出て来て、あぁ、なかなかいい味出しているな、と感心したのが、この日最大の収穫ではありました。

しかし、高倉 健(1931~2014年) という役者は、どの作品をとっても、痛々しいほどマジメに役をこなす人だなぁ。

……、と記事を書いていところへ、田村 正和(1943~2021年)の訃報。

この人も、自身のオーセンティックなスタイルで一貫していたよなぁ。

昭和時代は、どうしてもこういう曲で閉じ込めたくなります。

では。

『1941』逃げる快感。

『1941』は、1979年公開の米国映画。

ヒットメイカー、スピルバーグがメガホンを取った作品なんだが、興行的には失敗した模様。
米国およびカナダにおける収入では、製作費を回収できていない。

そりぁ、そうだろう。
日本による真珠湾攻撃から6日後、今度は本土攻撃を受けるだろうという不安におびえるカルフォルニア州沿岸の街。
(時代設定は、いまからちょうど80年前のこと)

そこへ、日本海軍の潜水艦が迷い込んで始まった 一夜の惨劇(コメディです)、といったストーリーに、米国人が好感を持って接するとは思われない。

太平洋のこちら側、日本帝国海軍を有した国の子孫にとっては、けっこう面白いネタと配役ですけどね。

追っかけを筋に練り込んだ脚本で、スラスプティック(ドタバタ劇)を古典的なるままに踏襲して魅せたスピルバーグは、映画好き少年そのままのなれの果て、という感じです。

追っかけが、喜劇の手法として成り立つのは、逃げる快感を誰しもが体験しているからだろう。

鬼ごっこ、かくれんぼに熱中したご幼少の日々……。

そうしたら、ポール マッカートニイの『Band on the Run』(1973年発表)を思い出した。
監獄から脱走して、逃げ続けるバンド、という歌詞。

ちなみに、同名アルバムのジャケット写真には、クリストファー リーが、バンドの一員として写っている。

彼、『1941』では、日本の潜水艦に同乗する、ドイツ海軍の観戦武官を演じているんです。

では。

昭和から 最後のプレゼント。


※本文とは、ほとんど関係ないかもしれません。

某公共放送でやっている連続ドラマの主人公は、女優 浪花 千栄子 (1907~1973 )がモデルなんだそうな。

ずいぶん渋い選択だなぁ。

思うに、浪花が活躍したのが、昭和初期から1970年代、というのがミソ。

昭和の残光を嬉しく想う世代へのプレゼント、というわけだな。

本名が、南口(なんこう) キクノだった縁で、大塚製薬『オロナイン軟膏』のCFに登場。

この女優について萬年が知っているのは、ホーロー看板の中、両手でその製品を掲げて優しく微笑んでいる姿が、ほとんどすべて。

ただし、映画『悪名』(1961年大映) の中で見せた、女親分の演技。
あれは、凄みがあった!

この作品では、山茶花 究(さざんか きゅう 1914~1971 )が演じる、落ち目の親分役の演技と、いわば双璧でありました。

となると、主演 勝 新太郎 (1931~ 1997) の歌なんかを聴きたくなるわけです。

では。