明るい面をみて生きる『野のユリ』(1963年)

ご逝去も知らないで、10日も過ぎてしまったことを、心苦しく思っている。

シドニー ポワチエ (1927~2022) が、今月6日、94歳で亡くなった。

ポワチエと言えば、僕にとっては、なんといっても『In the Heat of the Night』(1967年) の、フィラデルフィア市警殺人課、ティップス刑事。

この作品は、オスカーの作品賞と主演男優賞を獲っているが、男優賞は、共演のロッド スタイガー (1925~2002) に与えられた。

頑なな人種差別主義者であった田舎町のシェリフ。
その彼が、都会のエリート刑事(ブラックアメリカン)の才能にすこしづつ惹かれていく演技はみせる。
ちなみに、スタイガーでは、『夕陽のギャングたち』(1971年 伊西米合作) が良かった。

で、ポワチエは?

というと『野のユリ』(1963年) で一足早く、オスカー(主演男優賞)をもらっている。

アリゾナの砂漠をひとり(車で)放浪していた黒人青年が、ひょんなことから、修道女たちの熱意にほだされて、教会建築にのめり込んでいく、という物語。

ラストシーンは、最後の魅せ場なんでそれを観て、弔意をあらわそう。

歌唱されている曲『Amen』はトラディショナルなゴスペル。

僕は始め、この曲をインプレッションズが歌っているのを聴き、

その後、この映画で使用されて有名になったことを知った。

ポワチエという役者と演技から発散される、人間への信頼みたいなものが、しっかりとこっちに伝わってくる、佳いシーン。

では。

山雅 NOW ❾ 傾聴しつつも,上を向く

いつの間にか、眠りに落ちたようだ。

メールの着信音に反射的に起き上がって、画面を確かめた。

あまり前面に押し出さず、けれど、山雅に関心と思いを寄せるファン、というかシンパは、けっこういらっしゃる。

その中のおひとりからのメール。

なになに?、と読むと、次のようなこと。

……、山雅の新布陣を、ネット上のニュースで拝見。

入れ替えはそれほど多くないようです。

落ちた責任をとって契約更新、ということかしらん?

他からオファーがなければ残る、ってことでしょうか。

チームが大幅に変わらないということは、これ、巧く機能しないと、昨季の二の舞、ということもあるってこと。

ダメなところを各人がどれだけ思い知ってリーグに参戦するか、が問われるのでは?……。

短くも、言いにくいところをグサッとご指摘ですなぁ……、と思ったところで、今度は、本当に目が醒めた。

いま一度、携帯の画面を開けてみたけれど、そんなメールの痕跡がない。

冬の夜の夢ひとつだったのか?、という思いでずっと一日暮らして、勤務から戻ると、

居間で家人が、チャーリイ チャップリン(1889~1977) の『キッド』(The Kid)を観ていた。

いまから、ちょうど一世紀前(1921年公開) の映画か……。

不思議な一日にふさわしいよなぁ、作品には夢のくだりもあるし。

で、チャップリンの言葉を、ひとつ思い出す。

    ―下を向いていては、虹は見つからないよ。

では。

いまさら,デ ニーロをまねて (マウンテンパーカ讃歌)

職場でご一緒する、或る女性。

そのお方が、ブリック(レンガ色)のパーカーをお召になっていたので、すかさずマネっ子精神が頭をもたげ、お買い求めの店名をうかがった。

― それね、『ディアハンター』の中で、ロバート デ ニーロが、鹿狩りをするシーンで着てました。

― その映画、ロシアンルーレットの場面が、とにかく強烈で。
いまなら、涙なしでは観られないわ、きっと。

ふむふむ、人生の重みをココロに深めている人のご発言ですな……。

シェラデザイン社の、60/40混紡生地によるマウンテンパーカを、ここまで臆面もなくコピーするのは、タラスブルバ社(日本)くらい、と思っていたんだが、ここがやってくれるとは。

さすがに職人ご用達ショップから脱却しつつある、〇―クマンらしいや。

元祖のパーカが、8着も購えてしまう価格で、しかも、それなりの防風性を備えているとなれば、これは買い!

ということで、早速入手。

バック(背中)ポケットがないことと、ファスナーの取っ手がややこぶりであることをのぞけば、がんばってコピーしている。

腰のドローコード(内側の紐)をしっかり締めて、いかにも山野へ出かけます、みたいな風情を楽しんでおります。

これからの季節、シェラデザイン式パーカの着まわしのポイントは、内側にそれなりに重ね着して、まづは防寒を確保。

そして、その上着として、首まわり、袖口をきっちりと閉じて、外気流入をシャットアウトすること、なんであります。

だから、着丈もしっかりとお尻が隠れるほど長い。

要は、シルエットがスマート過ぎず、かと言って、分厚く防寒風になり過ぎず、ほどほどに野生的、というのが、シェラ社のマウンパの味わいだ。

さて、二週間後。

― あれから、どう?、買いました?

― もちろん。
ただですね、デ ニーロを気取るならば、今度は、濃紺のニット帽を買わないといけません。

作品のテーマ曲、カバティーナは、いつ聴いても哀しく切ない。

では。

描くことで救えたか『High Crimes』(2002年)

家人がBSで録画してくれたやつの、おこぼれを頂戴した今回。

モーガン フリーマンが出ているから観る気になったんだけれど、そういう役者が現役ではあまり居ない、ってこと自体、キネマにトンとご無沙汰な僕の近況を物語る。

原題の意味は、重罪。

しかも複数形なので、犯された犯罪がいくつも在る、って寸法。

邦題は、そのまま、〈ハイ クライムズ〉。

思い切って意訳してもいいのでは?、と思うが、じゃあ何とする?、となると、これが、なかなかむづかしい。

『忘却の法廷』、『失意の法廷』、ぐらいかな、思い浮かぶのは。

しかし、これだと硬いか……。

『沈黙の法廷』じゃぁ、二番煎じだし。

感想の走り書き
12年前に起きた、米海兵隊員による、中米はエルサルバドルの民間人虐殺に関する軍事裁判を扱った、法廷物サスペンス映画。

軍隊内の法廷に、敏腕の民間弁護士(主人公、女性)が突っかかって闘いを挑む、というプロットが目新しい。

しかも、弁護するのが、元特殊工作員だった身分を隠して一緒に暮らす自分の伴侶、と来たもんだ。

その夫の無罪を、軍事法廷専門の弁護士(フリーマン)の協力下、立証しようと(文字どおり)砕身、奮闘する。

ただし、(サウスポーとか、いろいろと伏線が張られた) 結末に、どんでん返しが用意されていて、重罪が、結局は、法廷内で裁かれることがなかった(私的な制裁によって、でしか)、という仕立て。

そこのところの無力感による視点が、もっと強調されてもよかった、と思う。

法廷とは、ある意味、茶番の場所である、を言いたいのであれば、だ。

民間人殺害の背景には、実は、国家として機密にしたい陰謀が隠されていた。

ために、検察(軍)と弁護側の戦略と論点が噛みあっていないことが、エンドロールの後で、あぁ、そうだったのか、とわかる仕組みになっているが、どうも胸への落ち方が弱い。

まぁ、正義とは本来とらえ方でどうにでもなる、という現実の曖昧さ。
それを表現したかったんなら、それでいいが……。

記事タイトルを、描くことで救う、とはしたものの、一体何が救われたのか?が、観た後でよく考えないとピンとこないのは、やはり減点の対象でしょう。

最後、ふたりの弁護士の再開シーンで終わってよかったのか……を含め。

ただし、これ、交わされる英語がすべて理解できない者の理解不足から来るのかも知れないので、条件付きということで。

もちろん、安定のモーガン フリーマンでありまして、どこか敗残の匂いと、弱点を持ち合わせた有能な人物像、という期待を、やっぱり裏切らないのはありがたい。

したがって、68点(合格点)は、差し上げてしまうのです。

では。

冷酷と不信と『死刑台のエレベーター』

先日、家人がTVで、『ニキータ』(1990年 仏 監督リュック ベンソン)を観ていたので、

― そのうち、老いたジャンヌ モロー(1928~2017) が出てくるよ。お楽しみに、と言い置いて居間を出た。

ニキータに出演した当時は 62歳であったから、〈老いた〉というのは失礼な表現だったかな、と反省している。

せいぜい、老けた、ぐらいにしておくのが良かったのだろう。

僕にとっては『死刑台のエレベーター』(1958年 仏 監督ルイ マル)が、この女優との鮮烈な出会い。
この時、御年 30歳。秘すれどもはじけるような輝きを放っていた。

原題は、死刑台(絞首台)へ続くエレヴェーター、なんだが、上の邦訳で、なんとなく通じてしまうところが、日本語の曖昧さのよいところ。

作品中、ジャンヌ モローは、愛人に夫を殺害させる悪女を演じている。

たとえ殺人を犯してまでも我が手中に入れようと、男(モーリス ロネが演じた)に決意させるほどの女。

女主人公の美貌と魅力があってこそ成立する映画だから、そんな女性を表現できるのは、やはりモローだった、ということですかね。

自殺に見せかけた完全犯罪は、しかし、ささいなことから破綻していって、
パリの夜、約束どおりに現われない愛人を求めては彷徨う女ひとり。

そこに流れるサウンドトラック。

これ、マイルス デイビス(即興演奏)の名誉なのか、それとも作品の名誉なのか、まぁ、どっちでもいいんですが、フランス映画には、口あたりの苦い佳品が多い。

ところで、家人には今度、『グロリア』(1980年 米)を観てもらいたい、と思っているんです。

この作品が、ヴェネツィア映画祭で金獅子賞を、ルイ マル監督『アトランティック シティ』と分け合ったからではなくて、監督のジョン カサヴェテス(1929~1989)とその奥さんを知ってもらいたいものだから。

では。