清潔な演技……。

最近は、僕よりも家人が、おおく映画を観ている(はず)。

先日も、小津 安二郎『秋刀魚の味』(1962年)を、BSでご覧になっていて、

僕は、居間を往来しながらの、チラ見。

― ね。小津の場合。
カメラは、腰から下の位置に固定。
役者は左右、前後を行き来して、画面に入ってくるわけ、とかチャチャを入れながら。

ヴェンダースは、映画『ベルリン天使の詩』(1987年) の冒頭で、小津愛を吐露してるが、

事件らしい出来事も起らない筋、その中で、役者を動かす小津の創作に、天使級の〈眼〉をみたのだ。

― やっぱり、似ているわ。

と出演している佐田 啓二をみて、家人が、その息子(やはり俳優) のことを言うから、

― でも、男前では、父親に軍配だろう、と僕。

続けて、

― 笠 智衆という役者は、こういう作品を観なくっちゃ、その良さがわからないよね、と言うと、

― 清潔な演技、といったらいいのかなぁ。

家人の映画眼も、なかなか肥えてきた、というべきだろう。

(ちなみに、僕の場合、この作品では、中村 伸郎の演技に感心しました)

では。

そういえば,そうだった。

定年で退職となったが、

今だけ、繁忙期のアルバイトで勤めているカサイ氏。

彼と、雑談していたら、

― 昔は、傘のことを、こうもり、と言ってたよね。
小学校の頃、非常用として学校に備えてあったのは、番傘(唐傘)だったっけ。

古い古い記憶が、忽然と蘇えるような気がして、なんとも不思議な心持ち。

こうもり……、か。

そのカサイ氏の口から、

『けんかえれじい』(1966年公開、鈴木 清順監督、脚本新藤 兼人)が出た時には、もっと、驚愕してしまった。

― 高橋 英樹の出世作だよね、それまでは任侠物が多かったけど。

この作品、ロマンティックな青春物だが、強引でデタラメな筋(北 一輝が登場したりする)が破天荒で、

日本では、カルト(=熱狂的な支持を得ている)映画のひとつだろうが、

僕は、劇中、主人公(高橋)に、喧嘩の極意を伝授する役の、川津 祐介(1935~2022年)を推します。

その僕は、いたって軟派ではあるけれど、

直球勝負の、剛直で、痛快さの迫力、といったもの。

時には、そんな心情に身を置きたくなります。

歌唱でいえば、レイニーウッド(バンド名)の解散コンサート(1981.12.19)における、

柳ジョージのそれが、ピッタリくるだろうか。

歌詞にある、〈PX〉は、ご幼少の僕には、けっこう馴染み深い言葉だったこともあって……。

では。

義は我にあらずとも『The Deer Hunter』

映画ディアハンター (1978年公開、米) については、

過去、当ブログ、何回か取り上げた。

今回、その曲で締めようとしている、サウンドトラック『カヴァティーナ』の美しさ。

将来、スターダムに登りつめた役者たちの、若き日の競演。

出演した作品すべてが、アカデミー賞にノミネートの、 ジョン カザール(42歳没) の遺作。

デ ニーロが着用している、シェラデザイン社のマウンテンパーカに惚れた、……等々。

で、ダメ押しで、以下を追加します。

❶180分を越える上映時間の中、戦闘シーンが、10分程度。

そんな凝ったシナリオでは、鹿狩り(deer hunt)は、2度おこなわれる。

主人公の出征直前と、ヴェトナムから(名誉の) 帰還の直後と。

先の狩りでは、見事に  (ワンショットで) 仕留め、後のほうでは、照準を定めながら、大物を敢えて撃たない(撃てない)。

おそらく、その違いに、無垢な青春が、ヴェトナムを通過したらひどく損傷したことを描きたかったんだろうが、

僕の意見では、

先の狩りでは、主人公に撃たせないでおいて、後の狩りでワンショットで仕留めさせれば、作品の言いたい、戦争の残虐は、もっと描き出せたはずだ。

❷戦争の悲惨……。

フランスがやっていた戦さを引き取る格好で、他国に押し寄せ、銃火を浴びせまくり、雨のように爆弾を投下した側であるアメリカが、

自国の青春の悲惨とか、恥ずかしげもなく、よく言うよ。

良心の呵責からだろう、劇中、南ヴェトナム農民を殺害するのは、北ヴェトナム軍の設定。

米軍だって、同様な行為はゴマンとしていたのだから、

つまりは、描いたもん勝ち、という世界がここに在る。

これって、太平洋戦争を描く日本映画にも言えるんで、お互い様。

あとは、どうやって巧く人生や人間を、観る側に、その立場に応じて〈納得させて〉描けるのか?、だけが残る。

その手際は、けっこう上等です。

身勝手な戦争に従軍することの、虚無が、ハッキリと描かれているシーン。

入隊前の主人公(デ ニーロ)が、壮行会が行なわれている酒場で、

帰還した(と思われる)グリーンベレーの軍人と遭う場面が、それで、

早く戦場へ行きたい、と話しかけてくる無知な青年に向かい、軍人は、ただ、

― つまらん!! (原文は、下品な4文字)、と応えるだけ。

グリーンベレーを演じているのは、ポール ダマト (Paul D’Amato, 1948~ )で、前年公開の『スラップショット』にも出てた。

作品の主題からすれば、この迫真の演技は、もっと評価されていい。

では。

さらに,天使について。

映画『ベルリン 天使の詩』(原題、望みの翼、1987年 仏/西独合作) 。

ヴィム ヴェンダース(1945~ 監督)が紡ぎ出した、ファンタジー。

当時、ベルリンの壁は、いまだ存在していて、

主人公、天使ダミエルの使命は、かつても今も、ベルリンを守護することであるけれど、

約半世紀前、この都市に壊滅的な破壊と殺戮を招いた責めと苦渋の中で生きていた。

……、作品を観るにあたって、ここらへんをわからないと、永遠の生命を棄てて、人間界の一員になりたいと欲する、ダミエルの希望に共感できないだろう。

作中の名セリフのひとつ、

― 時が癒す ですって?  でも、時が病んでいたら、どうするの?

がひたひたと迫ってきた、あの時代……。

(健全な時代などは、ありませんかね?)

もちろん、ベルリンの試練や状況は、映画のなかで存分に明示、暗示されるから、

僕らはムダな解説などには触れずとも、ただ暗闇の中に身を置きさえすれば良い。

お話の中、元天使でいまは役者の、ピーター フォーク(1927~2011)が、本人役でご出演。

ダミエル(ブルーノ ガンツ 1941~2019)と語り合うシーンが、魅せどころのひとつ。

語り合う、といっても、(作品の設定では)人間からはその姿が見えないダミアンに向かって、

― 見えないが、君がそこにいるのはわかるよ。

と現人間ピーター フォークが、一方的に話し始める。

映画史に残したい場面です。

コート姿、片手に煙草、風景をスケッチする、といったいでたちは、

ヴェンダースによる、映画ファンへの、洒落たプレゼントに違いない。

では。

若き熱情を うらやむの回。

職場で、ABEちゃんが、

― 萬年さん、『君たちはどう生きるか』どうです?  観ます?

訊くと、彼は、封切日早々、シネマ館の暗闇に座った、という。

特定の監督作品をお目当てにして、公開日に銀幕へと足を向ける。

こういう情熱を失って久しいので、ただただうらやましい、に尽きます。

で、自然と、話は、宮崎 駿の作品群についてへと、進む。

(ABEちゃんの称賛に水をさすことを、いささか遠慮し)

― 作画は丹念で丁寧。いい手腕です。

思うに、宮崎さんは、アニメーションを通じて、自分なりの〈神話世界〉を創り出したいんだな。

年代、場所、文化的な細目を、それとなく示しながら、実は作品毎、一切不明な設定にしてるのが、その証拠。

だとしたら、〈風の谷のナウシカ〉があれば、
それからあとは、仕事本来の意味では、要らない。

もちろん、大所帯を食わせる、という渡世の必要は認めます。

それと、既に一定の地位を獲たタレントを声優として使う手、ってのは、どうもねえ。

もっと、違うチャレンジがあっても、いい。……、などと、僕の持論を披瀝した。

でも、もちろん、稀代の優れたアニメーターですよ、と付け加えて。

さらに、『君たちはどう生きるか』(by 芳野 源三郎 1937年刊)と、映画が、どういう関連があるのかは知りませんが、

あの小説は、一見、進歩的な顔をしているけれど、実質的には、当時の上流出身の少年を、戦時体制へと思想的に組み込んだ役割を持ったことを、チト、言っておきたいね。

ABEちゃんには、これらが、オヤジの言いがかりにしか聞こえないだろうし、

もちろん、それでいいんだが、

こういう会話が、世代を越えてできること、そのことに感謝します。

では。