パーフェクト ワールド。

すべての事がふさわしくおこなわれる、完璧な世界。

この世がそんなものでないことは、わかってはいる。

わかっちゃあいるが、高温な季節には決まって、幼い命が炎熱の車中でむざむざと命を落とす。

亡くなった幼子は、かならず天国に行くから、そのことを心配はしない。

けれど、この子から、現世での経験を積む機会を奪った者こそ、自分がこの世に生まれてくるべきではなかった、と思う。

こういう時、『A Perfect World』(1993年、米映画) を、かならず想い出す。

幼い時の体験から、子供に対する暴力や虐待を潔癖なまでに憎む脱獄囚(ケヴィン コスナー)。

8歳の少年を人質にとって逃避行を続けるこの男と、それを追う警察署長 (クリント イーストウッド)。

イーストウッドの撮る(監督) 映画は、どれも〈苦い〉が、本作はまた格別だ。

その意味で、イーストウッドでは、僕がいちばん推したい作品かも知れない。

完璧でない世界、しかも、そこで生きざるを得ないのが人間。

これって、いわば、僕等の究極のテーマなんだろうな。

では。

今更ながら、

チャーリー チャップリン  (1889~1977) の、肉体の強靭さには驚くばかり。

『ライムライト』(1952年公開 米映画) を撮った時、チャップリンは、既に63歳。

けれど、その舞台(劇中劇)における動きの良さには、舌を巻かされる。

バスターキートン(1895~1966)とのコントは、上品、かつ洗練されていて、言葉を多くして褒めるのも、空々しい。

実は、著作権法上マヅイのだが、そのシーンを引用してしまえ。

この演技は、『説明しなければ理解できないような美に対して、私は寛容でない』と語ったチャップリンの真骨頂でしょうね。

ところで、チャップリンは、この映画『ライムライト』のプレミア上映のためロンドンへ渡航した際に、米国への再入国許可を取り消される。

その思想的、政治的な偏向を糾弾されての追放処分だった。

これは、当時ハリウッドに吹き荒れた〈レッドパージ〉(共産主義排斥)における犠牲のひとつだった。

まぁ、それから20年後の1972年、米国は世界で一番遅れる格好で、アカデミー名誉賞を贈ることによって、チャップリンに降参したんですけれど。

『ライムライト』は翌73年に再公開され、テーマ曲(チャップリン作曲)が、アカデミー作曲賞を受賞したのは、これまた、ほんのオマケのお話。

では。

五月の 主役。

五月雨(=梅雨)が、つい、そこまでやって来ている。

麦畑では、矢車草の花が盛んだ。

この時季、他愛の無い語呂合わせなんだけれど、梶 芽衣子を想い出す。

メイ(May)、ってことで。

ご本名そのままの、旧芸名は、太田 雅子。

高校を卒業してすぐにデビュウした年の、『赤い谷間の決闘』(1965年12月29日公開、66年正月映画として封切り) に、たしか、桂小金治の娘役で出ていた。

(『シェーン』を下敷きにした、裕次郎、渡が共演した日活アクションの、第2弾!!)

これが、僕が彼女に、銀幕でお遭いした最初。

そこから60年、女優としての誕生から現在まで、時代的には、松本山雅とピッタリ符合する女優人生、と憶えておけばよい。

この御方、歌い手としても一流。

こうも見事に歌われた日には、歌い手のほうが困るだろうけれど、そうなったら今度は、歌手が役者としてひとつの境地に達すれば、いいのか……。

ただし。

きょう日は、歌い手、役者、どっちも三流なのが多過ぎて、始末に負えない。

では。

ツバメに のり平を。

日記にでも書きつけておかないと、忘れてしまうことだらけ。

と、いうことで、隣家のツバメ(夫婦) が、今月11日に飛来したことを記す。

庭を動いている僕の様子を、早速、電話の引き込み線にとまって上から眺めているので、

― やぁ、お互い生き延びて、また、会えたよね、と声に出して挨拶する。

野鳥にも霊はあるのだから、きちんと言葉にして伝えるのが、礼儀だ。

ところで、その4月11日とは、三木 のり平 (1924 ~ 1999年、享年74 ) の 誕生日。

だから、あのツバメは僕に、のり平を偲ぶという贈り物をしてくれたわけ。

ここで僕がわざわざ強調しなくとも、喜劇役者としての卓越は、世間がわかっていることは十分に承知。

40数年前の〈徹子の部屋〉で、司会の黒柳が、ゲストの三木を半分マジメ、半分大げさに〈喜劇王〉、と紹介しているくらいですから。

小林 信彦 著『おかしな男 渥美清』(2002年 新潮社刊)には、こういうくだりがある。

1962年のこと、小林が、渥美に、
― 三木のり平は、なぜに仲間うちで受けるんだろう?、いっときほど面白くないと思うが?、と水を向けた。
すると、渥美は、ズバリと、こう断言した。

―肩の線だね。あのなで肩の感じが、プロ(俺たち)にはたまらなく、おかしい。

肩の落とし方で、おかしみを表現できるのか。奥が深いなぁ。

でも、まぁ、いいや。

21世紀になってしばらくの今、それを超える役者に乏しいんだから、ここで称賛し直したところで、なにが悪い。

映画『あ・うん』(1989年)では、掏摸(スリ)役でご登場。

高倉 健 (主人公) のフトコロからまんまと抜いたあと、バッタリ屋台で一緒になる時の、なんともバツの悪そうな演技。

これは、以前にご紹介したか、と記憶しますが、今回は、座頭市(by 勝 新太郎) への出演場面を観ましょうか。

では。

『ふとした旅人』

原題は『The Accidental Tourist』。

1988年の米国映画。

邦題は『偶然の旅行者』で、見事なほど工夫がないんです、これ。

この作品が、この国であまり注目されない理由のひとつでなないか、と勘繰りたくもなるんですね。

で、勝手にタイトルのように訳出して見た次第。

旅行ガイドブックのライター役で主演した、ウイリアム ハートが、3月13日に亡くなった。(1950~2022年)

誕生日の7日前、との訃報。

享年 71歳だった

凶悪犯に息子を殺害された痛手から立ち直れないでいる主人公、という設定がまづあって、

その日常に、ふとして入り込んで来た、かなり奇妙な行動をとる子持ちの独身女性(ジーナ デイビスが演ずる)に、戸惑いながら惹かれて行く進行。

― となれば、ハートの持つ〈受け〉の演技の巧さが、存分に発揮されること、これはもう観ていて、一番のお楽しみなんです。

冒頭のシーン。

たしか、ベッドに置かれた空の旅行鞄に、パサッと、畳んだボタンダウンシャツが抛られる。

で、それが、ブルックス ブラザーズ。

最初に、主人公の趣味や素養をあらかたを示してしまおう、という脚本だ。

こういうところが、アメリカ映画らしい。

乗ってるクルマや服装でさりげなく、主人公の人となりを描写できるというのは、社会の成熟というものでしょうか?

1980代がだんだんと押し迫っていく憂鬱、そんな感じの映画を想い出しながら、一瞬の安逸に沈みたいものです。

ご冥福をお祈りしながら。

では。