恋しき春の『Early Morning Rain』

齢を加えたためか、昔にくらべ症状がだいぶんと緩慢になった。

とは言え、この季節は、花粉症に悩まされるのがならわし。

十数年前のある医学論文を読んでいたら、日本人の10%に花粉症状が発現している、とあった。

アルウィンが超満員になっても、ホームタウン総人口の 4% にあたる人々が集うに過ぎない。
それからすると、10%というのはその2倍強だから、かなりの数字だ。
(変な比較で、申し訳ありません)

天気に注文をつけられるわけもないけれど、願わくば、2日にいっぺんの割合で雨が降ってくれると申し分ない。

雨で花粉が地面に叩き落とされる日、そして翌日はすがすがしくクリアな晴天、という具合に。

『Early Morning Rain』は、ゴードン ライトフット(1938~ ) が、1966年に発表した曲。

カナダ出身のゴードンは、1960年頃ロサンジェルスに逗留していたことがあったが、ちょくちょくホームシックに陥った。
で、それを癒すため、ロサンジェルス空港まで出かけて行って、旅客機を眺めたようだ。

早朝の雨に、酔い醒めの身体。
数時間もすれば故郷の空を飛んでいるだろうボーイング707の離陸を見送っている、ミュージシャンがひとり……。

ナターシャセブンの日本語での演奏は、気が利いた訳で、原曲の孤独な雰囲気を保っていて好きだ。

要は、こんな雨が一日おきに、しっとりと降ってもらいたいのだ。

では。

 

ラブソングが国歌となる 不思議。

サッカー北アイルランド代表のユニフォームは、伝統的にグリーン。

だから、山雅ファンのひとりは、自然と親しみを覚えてしまう。

さらに、1970年代のマンチェスターユナイテッドで鳴らしたジョージ ベスト(1946~2005)は、北アイルランドの首府ベルファスト出身。

と、くれば、僕の親近感は、ますます深い。

ところで、北アイルランドの(事実上の)国歌は、『Danny Boy』。

もともと在ったアイルランド民謡『Lomdondery Air』(ロンドンデリイの歌、起源は18世紀末まで遡るらしい) に、1913年、新しい詩を与えたもの。

歌詞は、女性が、愛する男性(恋人、夫、息子は不特定)との別れを告げる内容。

― たとえこの先、花が枯れるごとくこの私が地下に眠ってしまおうと、
帰還した貴方は、墓にひざまづき言葉をかけてくれるでしょう ― とある。

たかだか1世紀ちょっとの歴史だが、愛する者への惜別を、国歌として歌い込むなんてのは、趣きがあってよい。

まぁ、一体感の高揚は、悲壮感(悲劇)を必要とする、という見本であります。

で、今は、このダニーボーイを聴こう。

では。

辛い時代よ、もう来るな。

『Hard Times (Come Again No More) 』は、スティーブン フォスター(1826~1864)が、1854年に作った曲。

記事のタイトルは、その題名を訳したもの。

〈hard〉は厳しい、でもいいかも知れぬが、歌詞は、時代に押しつぶされるようにして苦しく生きている人々を描写しているから、辛い、と訳した。

貧困の中で、妻子にも去られ、孤独に死んだフォスター自身の生涯が重なってくる曲だ。

times、と複数形になっているところが深い、ですな。

なんだか、隠れたアメリカ国歌みたいな趣きの歌だけれど、ここでは、メイヴィス ステイプル(1939~)のカヴァーで。

2008年、僕は単身赴任で静岡県に住んでいて、ワンルームのアパートで、メイヴィスが2007年に発表したアルバム『We’ll Never Turn Back』を、よく聴いていたものだ。

このアルバムは、ライ クーダ―がプロデュースしていたから買ったってこともある。
齢を加えて、その声からはなめらかさ自在さが薄れたけれど、信念を歌い込む迫力は、さすがだなぁ、と思った。

で、昨日、山雅の公式ついツイッターを読むと、どうやらチームは静岡県でトレーニングに励んでいるようだ。

京都戦まで松本で備えるかと思いきや、帰松してふたたび県外の地へ。

なんとも厳しく辛い日程ではあるが、今年の山雅は、これりゃ、本気だわ。

では。

【山口戦プレビュウ】ゲームの主人公たれ。

南国(鹿児島) にそのまま居残ることで、開幕に備えてきた山雅。

いよいよ今日、長州の地で、2021リーグの初戦に臨む。

レノファ山口FC。
渡邉 新監督の指揮下、陣容をみると、
特に、ミッドフィルダーに、歴戦のヴェテランを揃えた印象が強い。

そのスタイルやテイストは、正直わからないのが、ホンネ。

だから、直感に過ぎないけれど、オーソドックスの硬派な、スキのないサッカーで向かってくるのではないか。

対して、山雅。

田中パウロをこちら側にひっぱっただけメンツ的には有利だが、現時点では、先発およびベンチメンバーに関し、確固たる予想もつかない。

定位置を確保しているのは、せいぜい3人くらいでは?、と思うぐらい。

どんな初期布陣、あるいはシステムの運用であろうとかまわないけれど、貪欲にゲームの主導権を求めて、先手先手で押しまくるサッカーにチャレンジすることを願うばかり。

もちろん、過去の実績などからして、軽々しく開幕ダッシュを望むほど、当方、能天気でもありません。

自己スタイルを確立するための、真摯な試行錯誤を感じられんことを希みます。

では。

『さらば 青春』(1971年)

ジョー氏からは、これは違うでしょう、と言われそうだ。

なぜなら、それから二十数年後に、エレファントカシマシが、まったく同名の曲を発表していて、彼の世代にとっては、それこそが、さらば青春、だろう。

この曲、僕にしても、どこかで接して旋律をすこしは知っていたが、題名とセットで憶えてもいなかった。

そのくらいの親しみなんだけれど、しかし、聴きながら思うんですが、青春と訣別した先には、何が在るんでしょうかねぇ?

では。

【コメント】
☞ルノワール氏より (2/27 17:12)
小椋佳の
さらば青春
をカバーしたアーティスト

さらば青春を再び世送り出す
シンシアの17歳を
森高千里がカバーして再び世に送り出す。千里さんはダンスも素敵です
名曲は時代を選ばず ✨
今日日、便利になりました
YouTubeでシンシアも小椋佳も森高千里も見られます。