どこに『鷲は舞い降りた』(1977年) のか?

前回記事の末尾。

7/3の夜、アルウィンに待望のゲームが舞い降りた、と書いた僕の心底には、
ジャック ヒギンズ著『鷲は舞い降りた』(原題:The Eagle Has Landed 1975年発表) が在った。

小説は早くも翌年、英米合作で映画化。

日本では、1977年8月13日に夏休み映画として公開されている。

ドイツ空軍空挺部隊の精鋭による、英首相ウインストン チャーチルの拉致作戦(とその挫折) を描いたストーリー。

原題(英文)は、パラシュート兵が、作戦遂行の地、英国ノーフォークの田舎への降下に成功したことを、本国(司令部)に伝えるための暗号、という仕立て。

ドイツ軍人を、魅力と人間味に溢れた人物として描いているところが、なにより新鮮。

主人公のクルト シュタイナー中佐は、プラハでユダヤ人少女を助けたことが軍規に触れ、懲罰的な任務へと追放されていたところを、その能力を買われて作戦実行のリーダーに起用される。

対し、連合国側(米英)の軍人が、無能と唾棄すべき人格として描かれるのは、作者のサーヴィスだろうね。

映画では、クルト シュタイナーを、マイケル ケインが演じている。

彼のベストな演技とは言えないけれど、すこし前の『探偵スル―ス』(原題: Sleuth 1972年)では、ローレンス オリビエと堂々渡りあった演技を魅せて、名だたる英国俳優の地位を築きつつあったケイン。

その彼が、敵国ドイツの腕っこきの軍人を演じたことを、当時(終戦から30年後)のグレイトブリテン人の観客は、どう感じたんでしょう?

例えばですよ。
これ日本ならば、高倉 健が、国民党軍の辣腕スナイパーとして、東条 英機(大戦当時の首相)狙撃作戦に投入される、そんな設定ではありませんか。

(まぁ、これくらい奇抜なシナリオで撮ってしまうようなエナジー、今の日本映画にはないでしょうがね)

マイケル ケインでいえば、『サイダーハウスルール』(1999年)の演技は良かった。
望まれない出産や堕胎に手を染め、その憂さをドラッグで紛らわしては、看護師と関係を続けるような日々を送る、孤児院の医師の役。

実を申せば、『鷲は~』では、作戦の立案責任者である、ドイツ国防軍情報部の中佐マックス ラードルを演じたロバート デュパルを真っ先に推したいのが、萬年。

いままでも、どこかで書いたような記憶がありますが、怜悧なまなざしのドイツ将校を演ったらピカいち、と思います。

小説のほうは、菊池 光の訳で(1976年 早川書房 刊)ハードカヴァー版を読んだような覚えがあって、今回、本箱を探してみたがどうしても見当たらず。

はて、果たして映画だけを観たのか知らん僕?、と、実にいい加減なことです。

でも、本箱を眺めたおかげで『破滅の美学』(笠原 和夫著 2004年ちくま文庫)に再会。
すこし読み始めていますが、ちなみに著者は『仁義なき戦い』などのシナリオライター。

では。

梅雨に憧れる 『さらば恋人』

ジャガー氏は先日、リハビリを兼ねて、車山高原に登った。

人の出はどうだったの?、と訊いたら、近くの駐車場は満杯。

なんで、すこし離れたところに駐めました。

山は恋人、という方々はこの季節、多く繰り出しているんだなぁ。

ニッコウキスゲには、まだ早いとのこと。

ジャガー氏が、はて?、それから八島湿原に足を延ばしたのかどうか、会話の最後のほう、いい加減になってしまって定かではありません。

そのジャガー氏情報によれば、国道19号の〈芳野〉交差点のたもと、元ガスステイションの在った場所に、現在、一風堂の松本店が建設中。

へぇー、これで彼、八ケ岳の帰りに諏訪店に立ち寄らなくとも、もっと近くで楽しめる、ってわけか……。

では。

男の純情に訴える。

半世紀前(1966年) の明日29日、ビートルズが、最初で最後の日本公演のため来日した。

遠く海のかなた。
英米で沸き起こったティーンエイジャアの凄まじい熱狂に、まづ、周囲の姉貴や妹、そして、恋人がすばやく反応、レコードを聴きまくり始める。

はじめは、なんだよ、4人組のロックンロールバンドかよ、と眺めていた男子諸君ではあったが……、

アルバム『Rubber Soul』(1965年12月リリース、日本発売1966年3月) が発表される頃になると、待てよ、この連中、ただ者じゃあない、と気づきはじめる。

ちょうど、そんな時を狙ったタイミングだったのではないか。

R&Bを基調としたロックンロールに、ひたすら強引にコーラスを乗っけたラブソング。

けれど、その中に置かれた、『Nowhere Man』とか、『In My Life』といった、自我を自省的に見つめた曲群が〈男の純情〉に強く訴えたのだ、と思う。

ビートルズ自身は、直前の6月21日に、次のアルバム『Revolver』(1966年8月リリース)の録音を終えていた。

このアルバムでは、『Eleanor Rigby』が、辛辣と冷徹な思想で出色の出来か。

今回は、スローバラードの『Here,There And Everywhere』を聴こう。

……、人生をよくしたいために、君のそばで暮らしたい、と始まる殺し文句の歌詞に加えて、
コーラスの多重録音がけっこう凝っていて、そこが聴かせどころでしょう。
アルバム制作の中では、最終盤に録音された。手こずったんでしょうか?

ポール マッカートニイは、お気に入りの曲のひとつ、と言っている。

このカヴァーを取り上げるところなんかが、萬年流でありますな。
こういうチャレンジ、捨てがたい。

では。

船出にも 足許見つめ。

職場でも、昨日は、なにかと山雅の話が行ったり来たり。

― ラムさんのご主人は由井由比(静岡市清水区の)ご出身で、その親戚が、清水商業高の卒業。
とくれば、名波氏の監督就任が、なんとも身近に感じられるご様子。

満面の笑みで、その話題が盛り上がった。

― ヤナさんはヤナさんで、N-BOX についての話題を仕掛けてくる。

これ、クルマの話ではなくって、2001シーズン、1stステージで優勝した、ジュビロ磐田が採用した陣形のこと。

3 – 5 – 2、つまり、スリーバックにツートップなんだが、中盤の5人が、まるでサイコロの、5の面のように並ぶ。

まず、正方形の対角線交わる中心のところに、名波 浩。

この名波を囲んで、その前方には、攻撃的ミッドフィルダーの、藤田 俊哉(右)と奥 大介(左)。

で、後方には、福西 崇史(右)と服部 年宏(左)が、ボランチとして配される。

まるでサイドを捨ててでも、自在なパスを出を出せる名波を擁するからこそ成り立った、攻撃的サッカーだった。

もちろん、〈N〉は、名波の頭文字のこと。

― どのリーグに居ても、たとえ3部まで落ちたとしても、この街に山雅が在ることがよっぽど大切でしょう。
とは、最近やっと松本マラソンにエントリーを終えた、ルノワール氏からのお言葉。

そうか、7/3ホームヴェルディ戦は、早めに会場入りしないとな。

……もろもろで、なんとなく華やいでいるのは周囲。

ナナミウラ(萬年の造語)体制の中は、現在地からの立て直しのため、リアリズムに徹した思考と采配がふるわれていくことでありましょう。

ということで、こんな曲でココロを鎮め、ヴァン氏の、痛風からの回復を願いつつ、琉球戦を迎えたい。

では。

憧れのリネン。『Get Rhythm』

この季節には特に、ハリイ ディーン スタントン (1926~2017年) を偲ぶ。

去年の今頃もやっぱり、ハリイのことを書いていた。

『パリス テキサス』(1984年)で初めて出逢った役者さん、と思っていたら、『デリンジャー』(1973年)や『エイリアン』(1979年)に出演していたので、既に観ていて気づかなったとは、いかにも迂闊な僕であった。

また、ハリイは歌い手としても達者で、ご存命中にその才能に触れる機会を逃した、これも迂闊な僕ではあった。

ご紹介する動画では、ライ クーダ―一座の、 お馴染みの面々が、『Get Rhythm』を演っている。1987年に、カヴァーをリリース。

オリジナルは、ジョニー キャッシュが、1956年に発表した。

ここで、場末のホール支配人として登場するのが、ハリイ。
(残念ながら、歌唱には加わらない)

蒸し暑い夏の昼下がりか。

こんな風にリネン(麻)スーツを、よれっと着こなすのは、かなり上級の技。

僕なら、薄いピンクのレギュラーカラー(芯なし)のシャツに、モスグリーンのポケットチーフ、そして、足元はグレーのコンバースで仕上げたいな、とつい夢想したくなるけれど、今や、そんな格好で出かけていく処もあるでなし……。

リズムで行こう!

汚れた街で まるで地面を嘗めるような、ダーティーな仕事さ

けれど あの若い靴磨きには 落ち込んでいる風などありゃしない

磨いてもらいながら 訊いてみた   

どうやって憂鬱な気分を紛らすのかい? 

そしたら、やおら頭を上げると、にやり。

ロックンロールのリズムを 骨の髄まで叩き込むんだ、ってね。

では。