決して目的にできないこと 『Mother and Child Reunion』

日曜日の午後、息子の家族が、訪問してくれた。

外が夕闇に沈む頃、他愛ない話をしながら、皆で部屋で過ごす一時。

そのうちに、来年小学校に上がる子の興味へと話題が及んだ。

すると、その子が、自分に大切なこと、好きなものを挙げる。

― 恐竜に、動物と昆虫、そして、家族。

そう言うんです。

お気に入りをいつも手に握りしめている子で、数年前はそれがトミカだったけれど、いまは、動物が多い。

この日は、玩具つき菓子の、カラスを持っている。

家族……、か。

この国では、平和を教えるとき、戦争のむごさ、悲惨ばかりを持ち出してくる。

平和、となると、どうしてそういうところへ、ひとっ跳びしてしまうのか?

そうではなくて、家族や親兄弟が仲良く、助け合って暮らすことの大切、そういうことを、もっと強調し、分かち合うべきだ。

戦いの中になくて、戦争の噂も遠いこの国で、子ゴロシ、親ゴロシ、兄弟ゴロシ、友人ゴロシの話を聞くたんび、そう思う。

だいたいが、〈幸福〉と同じように、〈平和〉は、それ自体を目的にすることができない。

せいぜい、過ぎ去ってみてはじめて、あれが、幸福で、平和な日々、ひと時だったのか、と気づく、そういう類いのもの。

……そんなことを考えていたら、『Mother and Child Reunion』を想い出した。

ポール サイモンが、1972年に発表した。
ポールが、レゲエを作って歌うと、こうなります、っていう曲。

母と子の再会

こんなに悲しみに暮れる日に
デタラメな希望を語ろうなんて 思っちゃいない
けれどね、母と子がまた会える、ってのは手が届くことだよ

ああ、愛しい お前
こんな悲嘆は いままでになかったよ
誰かが、レット イット ビー(なすがままにまかせよ)と言う
でも 事はそんなふうには ならないもの
こういうことは 人生じゃ 何回も繰り返されるんだ

けれどね、母と子はまた会える、ってのは手が届くことだよ、きっと……

わかったようで、わからないつぶやきが紡がれる。

これこそ、ポール サイモン節の独壇場ですな。

今回は、ポールが、レゲエの大御所ジミー クリフ(1948~) と共演したステージから。

コンサートでは、この曲の前に、ジミーの『Vietnam』(ベトナム、1969年発表)が演奏されている。

― 6月には除隊の予定との手紙をくれた、ベトナム戦争に従軍している友人。
その死が、手紙が来た翌日、その母に知らされた―、という歌詞。

ふたつの曲を並べることが、ポールからのメッセージなんでしょう、きっと。

ちなみに、彼は、日本海軍が、オアフ島パールハーバーの米海軍基地を急襲する、その一箇月前に生まれたので、御年 80になったばかり。

では。

 

溺愛を誇る。

シャーリー ホーン (Shirley Horn 1934 ~ 2005)は、僕が、批評を棚上げして聴く音楽家のひとり。

さっきまで家事をやっていたご婦人が、フッとピアノの前に座って、今度はジャズを歌い出した、という感じがなんともいえない。

もちろん、シャーリーの実生活を知っているわけでもなく、知りたくもないけれど、いかにもジャズやります感が、皆無。

それでいて、独創的で、逝ってしまった過去をいつくしむ感傷、そんなのが詰まっているんだから極上。

ビートルズのナンバーもいくつかカヴァーしている。

『Yesterday』も捨てがたいけれど、ここでは、『And I Love Him』(原曲は Her) を。

では。

こころ静謐に 『Blackbird/I Will』

― きのうまでの、氷雨。
これで、雪でも降れば、もっと静まっていいんだが
葉が落ちて  たたでさえ明るい、冬の森
見上げれれば  蒼穹は高く
あとすこし経てば 山脈の上 サッと朱色を引いた西の空には
宵の金星が 輝きを増すことだろう

季節に色をつけるとしたら、冬は、青。

この季節はまた清潔でもあるから好だ。

けれど、寒さに負けて安逸に過ごしがちなる。
気をつけなければ。

流行り病を口実にして先延ばしのことにも、手をつけないと。

さて、スイングル シンガーズによる、この対位法的、ポリフォニー構造のアレンジは、グループ定番のひとつ。

原曲は、ビートルズによるふたつの曲で、
通称『ホワイトアルバム』(正式タイトルは The Beatles、1968年発表)の同じ面に、5曲離れて置かれている。

オモチャ箱の中から、つつましい曲想の2曲を、選んだってことか。

今回、新しい趣向で動画がアップされたので、聴いてみる。

加藤 和彦(1947~2009.10.16) は、
無人島にたったひとり行くハメになったなら、このアルバムを持っていく!、と語っていたけれど、いまごろ天国?で、この曲たちを聴いているのかしら?

では。

だから前を向く(長崎戦レビュウ 後編)

自分で撮った画像を、改めて見ていて気づく。

ゲーム当日の北ゴール裏には、急ごしらえの横断幕が在ったことを。

ホンネを包み隠さず話してほしい、
2年で3回の監督交代、3年の急降下の検証を、
松本への熱いハートを表現できる人々と共に戦いたい……。

なるほど。
気持ちがわからないでもないな、って感じでしょうか。

プロスポーツにとって最大のファンサーヴィスは、勝つこと。

だから、勝ち抜くための構想や手順など、非公開でもかまわない。

結果は、ゲームであからさまになり、ファン&サポーターは、それをどうこう言って過ごせばいいんだから。

ただ、ひとつ。

松本への愛と執着を求めるのであれば、そう仕向けることこそが、ファン&サポーターの仕事、とは思いますね。

模範は、求めるのではなく、まづは示せ。

チーム一同がスタジアムを一周する際、メインスタンドからは怒声が数回(おそらく同一人物) が湧き起こった。

ああいうの、少なくとも僕と少年らの居るアルウィンでは、やめてもらいたい。

で、北ゴール裏の前方で掲げられた或るゲートフラッグを見たとき、その発想と姿勢には、ずいぶんと同感を覚えてしまった。

〈待ってろ J2〉……。

前をむかなきゃな。

では。

ラヴソング で行こう『Hazel』(by Bob Dylan)

『プラネット ウェイヴズ』(Planet Waves)は、

ボブ ディランによる、1974年発表のアルバム(スタジオ録音)で、僕が、唯一所持している、ディランもの。

ホンネを申せば、バックを演っているのが、ザ バンド、というだけの理由で手に入れた。

もちろん、その演奏は、抜群。
自在にして、重厚、かつ、繊細でロマンティック。

期待を裏切らない。

出過ぎず隠れず、ボーカルを入れやすい配慮が各所に施されている。

録音を、1973年11月2、5、6、9日の4日でやってのけていて、米英市場ではけっこうなセールスを上げたようだから、コストパフォーマンスに秀でた1枚なんでしょう。

ただ、惑星の波、なんていう訳のわからんタイトルはいただけない。

当初は、Love Songs が予定されていたようだ。

並んだ曲はみな、ラヴソングなんだから、そのままの題名で出しておけば、もっと売れているはず、おそらく。

世評は知らないけれど、ディランというシンガーは、あくまでラヴソング作りの名手、というのが萬年式の評価。

でもねぇ、曲自体は良いんだから、もっと素直に、作らずに歌唱すればいいものを、ディランって人は、何を真似ているのか、どう聴かせたいのか?、変にこねくって歌うんで、そこが好きになれない。

演歌歌手が、妙なコブシで魅せようとする悪癖に似ていますな。

仕方ないので、もっと肩の凝らないようなカヴァーを探す、なんてことになる。

『Hazel』は、アルバムSide1の 4番目にある曲。

― ヘイゼル、パッとしないその金髪
でも 君と一緒にいられれば 誇らしいんだ
僕の求めるものを多く与えてくれる 君
あぁ、そのチョッとした君の愛し方さえも。

ヘイゼル、君の瞳に浮かぶ星屑
君の行くところに 僕も行こう
頭上の空のすべてを 君に捧げよう
あぁ、君が愛してくれることへのお返しに……(以下、略)

個人的な格言として、

ザ バンドは、凍てつく冬に聴くに限る。

では。