男の純情に訴える。

半世紀前(1966年) の明日29日、ビートルズが、最初で最後の日本公演のため来日した。

遠く海のかなた。
英米で沸き起こったティーンエイジャアの凄まじい熱狂に、まづ、周囲の姉貴や妹、そして、恋人がすばやく反応、レコードを聴きまくり始める。

はじめは、なんだよ、4人組のロックンロールバンドかよ、と眺めていた男子諸君ではあったが……、

アルバム『Rubber Soul』(1965年12月リリース、日本発売1966年3月) が発表される頃になると、待てよ、この連中、ただ者じゃあない、と気づきはじめる。

ちょうど、そんな時を狙ったタイミングだったのではないか。

R&Bを基調としたロックンロールに、ひたすら強引にコーラスを乗っけたラブソング。

けれど、その中に置かれた、『Nowhere Man』とか、『In My Life』といった、自我を自省的に見つめた曲群が〈男の純情〉に強く訴えたのだ、と思う。

ビートルズ自身は、直前の6月21日に、次のアルバム『Revolver』(1966年8月リリース)の録音を終えていた。

このアルバムでは、『Eleanor Rigby』が、辛辣と冷徹な思想で出色の出来か。

今回は、スローバラードの『Here,There And Everywhere』を聴こう。

……、人生をよくしたいために、君のそばで暮らしたい、と始まる殺し文句の歌詞に加えて、
コーラスの多重録音がけっこう凝っていて、そこが聴かせどころでしょう。
アルバム制作の中では、最終盤に録音された。手こずったんでしょうか?

ポール マッカートニイは、お気に入りの曲のひとつ、と言っている。

このカヴァーを取り上げるところなんかが、萬年流でありますな。
こういうチャレンジ、捨てがたい。

では。

船出にも 足許見つめ。

職場でも、昨日は、なにかと山雅の話が行ったり来たり。

― ラムさんのご主人は由井由比(静岡市清水区の)ご出身で、その親戚が、清水商業高の卒業。
とくれば、名波氏の監督就任が、なんとも身近に感じられるご様子。

満面の笑みで、その話題が盛り上がった。

― ヤナさんはヤナさんで、N-BOX についての話題を仕掛けてくる。

これ、クルマの話ではなくって、2001シーズン、1stステージで優勝した、ジュビロ磐田が採用した陣形のこと。

3 – 5 – 2、つまり、スリーバックにツートップなんだが、中盤の5人が、まるでサイコロの、5の面のように並ぶ。

まず、正方形の対角線交わる中心のところに、名波 浩。

この名波を囲んで、その前方には、攻撃的ミッドフィルダーの、藤田 俊哉(右)と奥 大介(左)。

で、後方には、福西 崇史(右)と服部 年宏(左)が、ボランチとして配される。

まるでサイドを捨ててでも、自在なパスを出を出せる名波を擁するからこそ成り立った、攻撃的サッカーだった。

もちろん、〈N〉は、名波の頭文字のこと。

― どのリーグに居ても、たとえ3部まで落ちたとしても、この街に山雅が在ることがよっぽど大切でしょう。
とは、最近やっと松本マラソンにエントリーを終えた、ルノワール氏からのお言葉。

そうか、7/3ホームヴェルディ戦は、早めに会場入りしないとな。

……もろもろで、なんとなく華やいでいるのは周囲。

ナナミウラ(萬年の造語)体制の中は、現在地からの立て直しのため、リアリズムに徹した思考と采配がふるわれていくことでありましょう。

ということで、こんな曲でココロを鎮め、ヴァン氏の、痛風からの回復を願いつつ、琉球戦を迎えたい。

では。

憧れのリネン。『Get Rhythm』

この季節には特に、ハリイ ディーン スタントン (1926~2017年) を偲ぶ。

去年の今頃もやっぱり、ハリイのことを書いていた。

『パリス テキサス』(1984年)で初めて出逢った役者さん、と思っていたら、『デリンジャー』(1973年)や『エイリアン』(1979年)に出演していたので、既に観ていて気づかなったとは、いかにも迂闊な僕であった。

また、ハリイは歌い手としても達者で、ご存命中にその才能に触れる機会を逃した、これも迂闊な僕ではあった。

ご紹介する動画では、ライ クーダ―一座の、 お馴染みの面々が、『Get Rhythm』を演っている。1987年に、カヴァーをリリース。

オリジナルは、ジョニー キャッシュが、1956年に発表した。

ここで、場末のホール支配人として登場するのが、ハリイ。
(残念ながら、歌唱には加わらない)

蒸し暑い夏の昼下がりか。

こんな風にリネン(麻)スーツを、よれっと着こなすのは、かなり上級の技。

僕なら、薄いピンクのレギュラーカラー(芯なし)のシャツに、モスグリーンのポケットチーフ、そして、足元はグレーのコンバースで仕上げたいな、とつい夢想したくなるけれど、今や、そんな格好で出かけていく処もあるでなし……。

リズムで行こう!

汚れた街で まるで地面を嘗めるような、ダーティーな仕事さ

けれど あの若い靴磨きには 落ち込んでいる風などありゃしない

磨いてもらいながら 訊いてみた   

どうやって憂鬱な気分を紛らすのかい? 

そしたら、やおら頭を上げると、にやり。

ロックンロールのリズムを 骨の髄まで叩き込むんだ、ってね。

では。

女優の愛した才能 『Baby It’s You』

女優とは、マレーネ ディートリッヒ (1901~1992年) を、言う。

1950年代過ぎ、主に歌手として活動した際に、その才能を認めて一緒に仕事をしたのが、バート バカラック (1928~ )。

バックオーケストラの指揮者、編曲者、ピアニストとしてその公演に参加させた。

いわば、バカラックを世に知らしめたのは、ディートリッヒだった。

そのバカラックが、今度は、アデル (1988~ ) という若き才能と共演する。

『Baby It’s You』は、バカラック作曲による、1961年発表の曲。
オリジナルは、シュレルズが歌った。

バカラック調の、起伏の多い旋律が心地よく、このバックコーラスも定番です。

ところで、アデルは、出身地(北部ロンドン)のサッカーチーム、トッテナムホットスパーFCのサポーターである、と公言しております。

では。

 

ルノワール氏の謎 『負けないで』(1993年)

10月には松本マラソンが予定されている。

オリンピックの成り行き次第で実施が決まるだろうと、エントリーのタイミングを見計らっているルノワール氏。

その彼が先日、
― なんてったって、5月27日でしょう!、と謎をかけてきた。

思案した挙句、きっと、坂井 泉水の命日のことを言いたいんだろうなぁ、と思っている。

長距離ランナーにとっては、さぞや馴染み深いんだろうが、萬年ほとんど識らない御方であった。

お名前の字面から、センスイって、どこぞの家元?、くらいに長いこと思っていた。

生きて来た中、真正面から出逢う機会がなかった人のひとりだ。

負けないで……、か。

勝つ、というよりも、せいぜい負けないように必死に耐えている、ってのが、自分にとっての毎日なのかも、と考えさせられる。

5/27の謎解き。
もちろん、これが、ルノワール氏が望む正解かは、わかりませんがね。

では。

【コメント】
☞ルノワール氏より (5/27 15:56)
14年前の今日
ZARD坂井泉水さんが、天国に旅立ました
負けないで♪
揺れる想い♪
数々の素晴らしい楽曲を残して旅立ました。
負けないで♪は私達マラソンランナーをはじめ
すべての人々への応援ソングとして28年後の今も愛されています
2000年シドニー五輪ではマラソンの高橋尚子選手が金メダルを獲得
シドニー五輪の応援ソング
ユアードリーム
も泉水さんの楽曲です
2004年のアテネ五輪では
野口みづき選手が金メダルを獲得しました。
メダル効果がありZARDの楽曲はマラソン応援ソングと認識する人も多いですね
シドニー五輪のユアードリームを発表時
ZARD坂井泉水さんのコメントが
敗者&勝者、声援を送るすべての人に応援の気持ちを込めて
~坂井泉水~
でした
20年が過ぎ
東京2020大会が近づきましたが、今はコロナ感染症の真っ只中です
負けないで♪の楽曲を
東京2020に当てはまるなら

世界中のathleteために
五輪を開催したいって気持ちに
負けないで、
中止か延期を選択して欲しいと思っています
人々の命は、人々の健康は
一時のスポーツの祭典より重いはず