流行り言葉は,意味不明。

周囲では、〈コンプライアンス〉という言葉がさかんに飛び交う。

いままでは、法令遵守と狭い視野で捉えていたが、それを改めたい。
今後は、お客様には誠実に対応し、その満足、快適、安全、安心を考えて行動するといった広い意味で理解し、これを徹底します、といったふうに。

ここまで気づいたのは結構だが、まだ事の本質には迫っちゃいない。

仮に、コンプライアンスを、広狭のいづれで定義するにせよ、
では、どうして組織(=会社)が、それに背く行動に平気で走ってしまうのか?、という切実な点があいまいだ。

例えば、営業予算の達成、という〈会社憲法〉と、買い手側の損得の衝突を、具体的にどうやって解決するのか?、ということ。

ここをクリアしない限りは、ただただコンプライアンスを唱えているだけに終わる。

飲酒運転なんてのが、コンプライアンスの文脈で語られること自体が可笑しい話だが、流行りの英語をキチンとした日本語にできない時点で、すでに思考が停滞/停止しているようだ。

コンプライアンスとは、〈世間やすべての関係先にすみやかに反応、対応すること〉、とするのが、いちばん適当。

コンプライアンスとはだから、各方面からの情報、要求や苦情にすばやく対処する 、という仕事のやり方、雰囲気、励ましを会社の文化にすること、これに尽きる。

で、その対処の根拠が、守るべき法律やルール、マナーといった社会通念。

けれど、きょうび、ルールを守るなんてのは当たり前過ぎる要求だ。

例えば、消費期限や産地やアレルゲンが正当に表示されていても、だれも感動しない。

いまから30年前だと、マック店頭におけるトークは颯爽と見栄えも良かったけれど、いまやフツーな接客のひとつになった。

4人前を注文している客に向かって、マニュアルどおりに、店内で?、それともテイクアウトで?、なんてやった日には、むしろ、お怒りを買うに違いない。

お客様の側になったら、かなり高度な対応を求めるのが日本人だから、もともと、コンプライアンスなんて言葉を持ち出さなくとも日本語で間に合うのに、なぜか、使ってしまう。

世をあげての錯覚ですな、これ。

良いこと悪いことすべてに対し会社および社員として、迅速、丁寧、誠実に対応しよう。
―まづはそこから入らないと、働く者にとっての具体的な行動がはっきりしない。

コンプライアンスを、各自のことがらとして受け取れるようになると、組織にとっては、それが、他との競争で生き残れる有力な武器になる。

面倒見の良い、信頼できる御社から買おう、頼もう、となります。

もちろん組織として、迅速、丁寧、誠実の内容を、具体的に定義しておく。

あとは、ひとりひとりの社員に、どこまでをジャッジする権限を与えるかをはっきりさせれば良い。

僕たちがその会社に好悪を持つキッカケは結局、そこの社員ひとりのチョットした行動と態度なんだから。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より (9/15 12:44)
寅さんにとってコンプライアンスって?
わたしにはちょっと難しいが、私のイメージするコンプライアンスは、社内の不祥事を減らし、働く者により働きやすい環境を提供するものと考えるが、会社にとっては不祥事の芽を摘んで、さらにエスカレートすればその人間を排除して、結果的に会社を守ろうとするあくまで会社本位のもののように思える。
しかし、本当の意味でのコンプライアンスは、得意先、消費者に対し、正しい情報、サービス、商品を提供すると言うことでしょうか。物を売る場合、売り上げを課せられると、その物の価値以上のセールストークをしてしまうし、適正量以上の商品を押し付ける姿勢になってしまう。
営業マンが悪い訳ではない。それを課す会社側にこそ徹底してほしいのが、コンプライアンスの本質ではないのか。
お客様に対し誠実な対応こそが会社側のイメージを上げ、利益を上げる。
まずは、会社側が徹底したコンプライアンス意識を持ち、ぶれない指示を下に発信するのが、法令遵守の第一歩ではないでしょうか。
では、また。

☞萬年より (9/15 15:40)
なぜこれほどまでに、コンプライアンスを言うようになったか?
最大関心は、会社が不祥事を外に出したくない、ということでしょうね、やはり。
対応がまづいと、雪印みたいに会社が消滅することがわかったからだと思います。

寅さんにとってのコンプライアンス、とは新鮮な切り口!
堅気の世界とは一線を引き、惚れた女性も諦める、これだと思いますが、いかが?

遺言の完成 (後編)

遺していく財産をどうこうせよ、といった生臭い話は別にして、
死者葬送のやり方なんてのは、遺された者たちが、どういう体裁を望んだか?、で決まる。

前編で紹介した魯迅の、遺言(めいた信条)がはっきり在れば別だが、故人の意思など反映していない場合がほとんどだろう。

対外的に何も執り行わない場合、もっぱら本人の意向で、という理由づけが多いけれど、これだって、本当の事情なんか他人にわかろうはずもない。

ところで、雑文『死』で魯迅は、七つの信条に続いて、こう書いている。

―熱があったとき、西洋人は臨終の際によく儀式のようなことをして、他人の許しを求め、自分も他人を許す、という話を思い出し…た。
私の敵はかなり多い。もし新しがりの男が訊ねたら、何と答えよう。
私は考えてみた。そして決めた。勝手に恨ませておけ。私のほうでも、一人として許してやらぬ。―

人生最後の約10年間、シナの社会と民衆の後進性に苛立ち、ペンで激烈な悪口を叩きつけては、論敵を吊し上げ続けた魯迅。

その彼にまっことふさわしいこの文章に出逢い、自然に笑いがこみ上げてきた。

最期まで闘争する姿勢を崩さないとは、さすがだったな、と。

では。

〈コメント〉
☞つー さん より (9/13 10:36)
知らぬは仏ばかりなり。
もし私が遺言を書くとしたら、「全て許すから明るく楽しく生きなさい」と書くかな。
多分、私が亡くなった時、残された者はひどく悲しむだろう。多分悲しむはずだ。生きる気力も失くすかもしれない。多分失くすはずだ。
しかし時が経てば悲しみの記憶は、心の奥に沈んで行くだろう。また、笑える日々が必ず来るものだ。
もしかして恋をする事もあるかもしれない。再婚さへ有るかも。
そんな時、君が「私はこれでいいのか」と、ふと私の顔が浮かんだ時、遺言を思い出してほしい。
笑って生きていいんだよ。楽しんでいいんだよ。もちろん再婚もOKさ。
そんな遺言を残そうかと思うが、いざとなったら書けるかどうか。
それに、そんなことを書いても「余計なお世話よ、私は私で楽しくやってるわ」と一蹴されるのが、関の山(今時使うのか)だろう。
もちろん、それでいいと思う。
では、また。

☞萬年より (9/13 17:00)
亡くなったら成仏しないといけませんよね、知らない仏になるためには。
忍者武芸長のラストのセリフは、たしか〈モノを作り出すのは生きている俺たちさ〉だった、と記憶しますが、現世のおこないとは、まさにそんなところでありましょう。
生きている今は、せいぜい仏の顔も三度まで、を教訓に暮らしたいものです。

遺言の完成 (前編)

(データが消し飛んだ以前の記事を、ほとんどリライトで書き留めます)

今から84年前の8月、大病を患った魯迅 (原音で ルーシュン、1881~1936、シナの作家) は、死についての予感をはっきりと抱く。

そこで、遺言とするつもりで、いくつか箇条を並べてみた。
ただし、それを正式な遺言状には仕立てなかったらしい。

(その事を雑文『死』として発表したのが 9月20日で、翌10月19日には、喘息の発作で急逝する)

100年近く経って読んでみて、魯迅の訓示が自分の気持ちに相当近いのに驚きながら、転写する。(訳は、竹内 好による)

❶葬式のために、誰からも、一文でも受け取ってはならぬ―ただし、親友だけはこの限りにあらず。
❷さっさと棺にいれ、埋め、片づけてしまうこと。
❸何なりと記念めいたことをしてはならぬ。
❹私のことを忘れて、自分の生活にかまってくれ―でないと、それこそ阿呆だ。
❺子どもが成長して、もし才能がなければ、つつましい仕事を求めて世過ぎせよ。絶対に空疎な文学者や美術家になるな。
❻他人が与えると約束したものを、当てにしてはならぬ。
❼他人の歯や眼を傷つけながら、報復に反対し、寛容を主張する、そういう人間には絶対に近づくな。

残された遺族が、魯迅の注文どおりに処世したのかは知らないけれど、そのままいただいて萬年の遺言にしたって良い。

ただし、もうひとつ足すのはどうか?、と思っている。すなわち、

❽人に手を貸すことを当たり前と思え、けれど、助けてもらって当然と思うな。

では。

視ていることに 気づく夏。

八月下旬の或る日、隣家の軒先に宿っていた燕らが、いづこへか旅立った。

どこかに集合して大きな群れに入ると、これから暖かくなる地をめざして渡っていくんだろう。

……彼らがもう居ないことに思いあたったのは、今月になってから。
なんとも迂闊なことで。

毎朝庭に出ると、敷地を横切っている引き込み線に、数羽の燕がすぐにやって来てとまることに、この夏になって気づいた。

隣家の亭主が家から出て来ると、その挙動を眺めようと巣から出てくる、ということを。

T氏のお宅にも毎年燕が飛来するそうで、しかも、このところずっと、シングルの一羽でやって来る、という。

未亡人か、それとも男やもめかは不明なるも、なんとも義理堅い話ではないか。

下界のほうでうろうろしている人間を、どれどれと眺めている鳥のこころ、それを識っただけでも、この夏には価値が有った、僕にとって。

野鳥は案外、人間の行動に好奇心を持っているらしい。

で、彼岸入り前の数日間には、〈玄鳥去る〉(つばめさる)という季語をあてる。

玄、とは黒色のことで、黒い鳥だから、燕。

遠い旅する彼らの無事を、とにかく祈る。

では。

〈コメント〉
➩つーさん より (9/9 12:09)
玄鳥で倒れし武士に気づく夏。
玄鳥と聞いて妙に暗いイメージが浮かぶので、何故かと考えたら、藤沢周平の文庫本の表紙に、玄鳥が飛び交い、その下に血を流した武士が倒れているという絵があったのを思い出した。それが頭の隅に残っていたのだ。
玄鳥と言う短編小説、下級武士である主人公の悲哀を、昔彼に好意を抱いていた女性の目線から描いた、いかにも切ない作品だった。
藤沢周平と言えば「たそがれ清平」「隠し劍鬼の爪」「武士の一分」など山田洋次により映画化され、どれも見応えのある佳品に仕上がっているが、彼の監督作品ではないのだが「山桜」と言う小品、観た後いたって心が落ち着く作品で、つい何度も観てしまうつーさんである。
では、また。

 

とてもできそうにない 覚悟。


大腸がんで逝った、さる高齢の男性に関する、家人から仕入れた話。

病状もかなり末期になり、ご家族の手に負えなくなって、訪問介護を利用するようになった。
この御方、お世話するようになって、一週間くらいで亡くなったそうな。

排便処置が主なサーヴィスになるが、一日6回の訪問、おそらくは全身の臓器が侵されてもいるので、浮腫みも来て壮絶だったんだろう、と萬年は推測する。

実は、すこし前に、思い余った家族が救急車を呼んだことがあった。
けれど、この男性、どうしても自宅で死ぬんだと言い張って、頑として搬送されるのを拒んだという。

で、その言葉とおりに、ご自宅で最期を迎えた。

この話を聞いて、なんとまぁ意志強固なことか、と感嘆してしまった。

萬年ならば、七転八倒の痛みの中では、もうどうにでもしておくれ、となるに決まっている。
歯医者にかかる時でさえ、痛くさえなければなんでもして下さい、なのだから。
先日も、抜歯後数時間止血しなくて、ぐたぐたと言っておった。

疼痛と死が接近したら、ドクターの治療を拒む元気も残っちゃいまいな、きっと。

多くの人に訪れるだろうこの試練。

その際、どれだけ意志力にモノを言わせられるのか?

こと自分については、まったく自信のカケラもない萬年だ。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より (9/7 15:45)
不満足な生と、不満足な死。どちらも辛いね
病気で亡くなる人のほとんどは、死を迎える数時間あるいは数日前から意識が無くなると言うから、本人は自分の死の瞬間を意識する事は出来ないらしい。死に際まで「おれは死にたくない」なんて叫ばれたら、家族は堪らないだろう。
それにしても、訪問介護の人も末期ガン患者を最後まで世話するのは、仕事とは言え大変なことですね。
普通、それだけ悪くなれば病院なり緩和ケアの施設に入り、そこで死を迎えるだろうが、自宅にいたい気持もわかる気はします。
しかし、家族としては病院で、あるいはケア施設で、治らないと解っていても痛みを抑える処置とか兎に角何かをしてほしいと望むものです。
身内が死を迎える時、その家族は本当に辛い。この病院で良かったのか、もっと何かしてやれなかったものか、何度も思い悩むものです。死までの時間を自宅で過ごすのは、家族に心身共に大変な負担をかけると解っているが、身内の苦労を忖度して大人しく病院に入り、静かにその時を迎えるなんて気遣いは死んで行く身としてはとても出来ないだろう。
満足と言える生さへ生きていない自分が、もう死を身近に感じる歳に来ている。せめて残された者に迷惑かけぬよう、持ち物の整理くらいしておこうか。
では、また。

☞萬年より (9/7 16:24)
或る人は、人生とは、死に至る病である、と言っています。
誕生の瞬間から、最期に向かって時間が刻まれ、また、悩みのない生活などどこにもないのだから、そういう表現も成り立ちますね。
となると、その病というのは、一生かけて毎日毎日積み重ねる、死への準備、ということか……。