ひめくりを また一枚の 春来たり

いつの頃からか、年賀状のようなモノは別にして、正月の決まり事やらを、出来る限り生活に取り込まなくなった。

晴れの日を否定はせぬが、祭りのあとの引き潮みたいなムードを感じることが嫌なんだろうな、と自分のココロを推しはかっている。

あるいは、日常生活にまた戻るエネルギーをあらかじめ惜しんでいる、のかも知れない。

そう言えば、もう、帰省する処もなくなった。

年末にささやかな馳走が並ぶのはよいが、正月に餅など食さなくとも一向に平気。
思うに、できたての餅を美味しくいただいた経験がないのも大きな理由か。

ご幼少の頃、母が、餅に出来た青かびを包丁でそぎ落としていたのを想い出す。

昨日から今日にかけて、ただ日めくりを一枚……、そんなのが理想です。

コロナ禍で苦しむ方々には誠に申し訳ないのだが、余儀なくされたルーチンを素直に受け入れてしまえば、それはそれで、静かで、落ち着いた内省的な生活が実現した。

結局、世の中は他人にゼニを使わせてナンボ、といったカラクリと限界があからさまになっただけ。
で、この環境下、お金の使わせ方があらたに考案され続けている。

ここ一年の変化は、決して非日常でもなく、これからしばらく先のスタンダードと考えよう。

同名曲は、ルイ アームストロングの歌ったやつが有名だろうが、萬年はどうしても、サム クックのほうに肩入れしてしまう。

『What A Wonderful World』を、こういう顔ぶれで演っているのは嬉しいね。

では。

称賛は慎重 批判は大胆。

以前も書いたが、拙宅の居間では、毎日殺人が起きている。

午後にTVでは、刑事や探偵モノを多く再放送しているのだ。

先日も帰宅したら、観ながら寝落ちした誰かさんが、筋が不明になっちゃたわ、とか呟いている。

―あれ?、大空 真弓じゃあないですか。お久しぶり!
ところでさぁ、あなた、どこかあの女優に似ていませんかねぇ。

―まさか~!  わたしあんなにケバいっ、てわけ?

―いやいや。その雰囲気ですよ、その、上流的な雰囲気。

女性を、同性を持ち出してホメる時は、くれぐれも慎重に    by 萬年

TVを眺めていて気づいたこと、その2。
現東京都知事は、おそらく首筋(の衰え)を隠すためにネックの部分に意を用いているんだなぁ、チーフなんかで。
(これ、高齢男性にも言えることで、金銭に余裕があれば、ブラウスのネックを高く誂えるべきだろう)

いや、話がそれた。

緊急会見というから、ほぉ~、都営地下鉄やバスの営業を絞り込む、といった思いきった手段を発表するのかや?
と思いきや、ひたすら外出と会合自粛をお願いする、毎度おなじみの光景。
やれやれ。

誰と誰が何人でテーブルを囲んだ、とリーダーらが魔女狩りに忙しい、平和の国ニッポン。

我が国の法制度では、強制的に人的な流動を抑止することはむづかしい、というマヌケな議論を、一体いつまでやっているのか?

それって、憲法第9条を守っていれば戦争は招かない、とまったく同等な極楽トンボの世界観ではありませんか。

気の緩みとか、危機感持てとか、よく言いますよ。

民の自助努力にすがりきって、立法や法整備などの仕事に関するリーダーシップを放棄する有り様は、あの75年前とほとんど変わっていない。

このまま、ワクチン接種まで、ダラダラと推移するのか。

では。

昇格と故郷 の話

―福岡がね、トップリーグに昇格を決めたよ。

―アビスパのことやろ?、まぁ、どうでもいい、って感じ。
たとえギラバンツでも、北九ではほんと、マイナーです。

―ふーん。

―福岡と北九州では、そんなかな。
ただし、ソフバン(※プロ野球のソフトバンク)となると、分け隔てなく好きです。
こっちでは、松本と長野がやはり、仲の悪い街なんでしょう?

―反目し合っている、って訳でもないと思うけどね。
ところで、福岡/北九州は、下道で、車だとどのくらいかかるの?

―国道を走ると、2時間半くらいですかね。

―なるほど、松本/長野と似たり寄ったりの距離なんだ。

で、ジョー氏との会話は、この後、北九州発祥の〈資さんうどん〉(すけさん)の話題に移り、
さらには、『喝采』を作詞したのは、北九州の若松出身のお方である、という話になっていくのであった。

……、みたところ、ジョー氏はいまだに故郷北九州に格別の思いを抱く。

松本で見上げるこの空は、ずっとかの地まで続いているなぁ。

なんてことを想いながら、米国西海岸の陽光が溢れる曲『Ventura Highway』を聴く。

アメリカ(バンド名)による、1973年の楽曲。

では。

 

 

労せずして得たものへ 敬意を。

柳多留 (江戸時代の川柳集) の中に、

  駿河者(するがもん)   我が物のごと  富士を言ふ

といったような句が、たしか在った。

労せずもして、もともとそこに在ったものを、さも、我が物顔に自慢することの滑稽を言っている。

で、これを真似ると、

 信濃者(しなのもん)   我が物のごと  槍穂高 

と、皮肉れるのか知らん。

日本アルプスの素晴らしさは、当地在住の者が、たとえば、〈岳都〉とか声を高めなくとも、訪問する方々に十二分におわかりいただけるに違いない。

山岳の感動と讃美は、専ら訪問者にお任せしようではないか。

だいたいが、槍や奥穂高の標高を問われて、即答できるのかいな?  、俺たち。

……以上は、松本山雅が、中部山岳国立公園(環境省)とパートナシップを締結したニュース(12/17リリース) に接し、心に浮かんだこと。

もちろん、この記事は、山雅の活動を否定するものではまったくない。

今年の選手紹介ムービーにも登場いただいた槍ヶ岳などには、アルプス一万尺の使用料も含め、情報発信や広報で、ひたすら恩返しをすべき、と思います。

では。

(写真すべての版権帰属先:オフィスウエストウッド)

なんとなく グリーティングの頃。

喪中により云々、の葉書も、そろそろ一段落しただろうか。

今年も、何通か届く。

特別のホリデーシーズンもない、年末年始がまたやって来る。

グリーティングカードのやりとりもだんだん減って……。

といっても、別に、寂しくも残念でもない、のですけれどね。

ただ、こんな曲を、ふたたび聴きたくなるような日々。

題名の、 It Doesn’t Have to be That Way とは、あんなのは おかしかないかい? という決まり文句なんでしょうね。

―僕たちが別れてしまうなんて、間違ってるんだよ。
寂しい男の背中が、見えるだろう?

クリスマスの季節、元の彼女とよりを戻したい男の未練を切々と……、そんな歌詞です。

果たして、この作戦は、巧くいくんだろうか?
相当に悲観的っぽいところが、曲の魅力でしょうけれど。

では。