八月下旬の或る日、隣家の軒先に宿っていた燕らが、いづこへか旅立った。
どこかに集合して大きな群れに入ると、これから暖かくなる地をめざして渡っていくんだろう。
……彼らがもう居ないことに思いあたったのは、今月になってから。
なんとも迂闊なことで。
毎朝庭に出ると、敷地を横切っている引き込み線に、数羽の燕がすぐにやって来てとまることに、この夏になって気づいた。
隣家の亭主が家から出て来ると、その挙動を眺めようと巣から出てくる、ということを。
T氏のお宅にも毎年燕が飛来するそうで、しかも、このところずっと、シングルの一羽でやって来る、という。
未亡人か、それとも男やもめかは不明なるも、なんとも義理堅い話ではないか。
下界のほうでうろうろしている人間を、どれどれと眺めている鳥のこころ、それを識っただけでも、この夏には価値が有った、僕にとって。
野鳥は案外、人間の行動に好奇心を持っているらしい。
で、彼岸入り前の数日間には、〈玄鳥去る〉(つばめさる)という季語をあてる。
玄、とは黒色のことで、黒い鳥だから、燕。
遠い旅する彼らの無事を、とにかく祈る。
では。
〈コメント〉
➩つーさん より (9/9 12:09)
玄鳥で倒れし武士に気づく夏。
玄鳥と聞いて妙に暗いイメージが浮かぶので、何故かと考えたら、
玄鳥と言う短編小説、下級武士である主人公の悲哀を、昔彼に好意
藤沢周平と言えば「たそがれ清平」「隠し劍鬼の爪」「武士の一分
では、また。