遺言の完成 (前編)

(データが消し飛んだ以前の記事を、ほとんどリライトで書き留めます)

今から84年前の8月、大病を患った魯迅 (原音で ルーシュン、1881~1936、シナの作家) は、死についての予感をはっきりと抱く。

そこで、遺言とするつもりで、いくつか箇条を並べてみた。
ただし、それを正式な遺言状には仕立てなかったらしい。

(その事を雑文『死』として発表したのが 9月20日で、翌10月19日には、喘息の発作で急逝する)

100年近く経って読んでみて、魯迅の訓示が自分の気持ちに相当近いのに驚きながら、転写する。(訳は、竹内 好による)

❶葬式のために、誰からも、一文でも受け取ってはならぬ―ただし、親友だけはこの限りにあらず。
❷さっさと棺にいれ、埋め、片づけてしまうこと。
❸何なりと記念めいたことをしてはならぬ。
❹私のことを忘れて、自分の生活にかまってくれ―でないと、それこそ阿呆だ。
❺子どもが成長して、もし才能がなければ、つつましい仕事を求めて世過ぎせよ。絶対に空疎な文学者や美術家になるな。
❻他人が与えると約束したものを、当てにしてはならぬ。
❼他人の歯や眼を傷つけながら、報復に反対し、寛容を主張する、そういう人間には絶対に近づくな。

残された遺族が、魯迅の注文どおりに処世したのかは知らないけれど、そのままいただいて萬年の遺言にしたって良い。

ただし、もうひとつ足すのはどうか?、と思っている。すなわち、

❽人に手を貸すことを当たり前と思え、けれど、助けてもらって当然と思うな。

では。