アサギマダラのためだけに。

庭のフジバカマ(藤袴)。
昨冬に刈り込み過ぎたのか、あるいは、アネモネ カナデンシスの繁殖力の前にトボッてしまったのか、ギザギザの葉を出すも、現在20㎝くらいにしか伸びていない。

10月までチャンスがあるとは言え、この調子だと今年の花は楽しめそうもないか。

ということで、せめては他人様の庭で楽しませてもらおうと探したら、その持ち主とお話しまでできた、というお話。

―アサギマダラを呼ぶために、これを植えただよ。

なんともロマンティックなココロではないか。

―撮るなら、止まって羽を開く時を狙うだね。
また、晴れた日に来たら最高だ。

なにかとお心遣いとお許しをいただいて、近くから美しい乱舞を眺めることができた。

こういう日もあるから、人生は捨てたもんじゃあない。

では。

〈コメント〉
☞つー  さん より (10/4 11:55)
人生の海原を渡りきろう。
アサギマダラのために藤袴を植える。実にいい話ですね。近所の人とのそんなさりげない会話で、充分一日が満たされる気がします。
近所にいる小さな蝶が、実は大海原を渡る。
「昨日見た夢ちっちゃいでっかい夢だよ。蟻がリュックしょって富士登山」そんなフレーズが浮かびました。
心休まる話、ありがとうございました。
では、また。

☞萬年より  (10/4 13:54)
   てふてふが一匹 韃靼海峡を 渡っていった。(安在 冬衛)
……、の世界ですね。
アサギマダラの場合は、群れをなすと思いますが。

軽口を戒める処。

ルノワール氏が、スマフォの画像をひとつ見せてくれる。

この場所、わかります?、っといった表情だったので、

―もちろん。牛伏川のフランス式階段工ではありませんか。僕の庭みたいなもんです。

ルノワール氏ら御一行様は、陸上競技場あたりからスタートして、流路までを往復するトレーニングランをしているらしい。

狭い谷間を一気に流れ下る牛伏川の氾濫を抑えようということで、築営された階段状の水路(全長141m、19段)。
両岸の石積みが洒落ていて、ここ20年かけて、遊歩道やキャンプ場が整備された。

水路の底は石張で、普段の水流は、大人のくるぶし程度の深さ。
小さな子を心配なく遊ばせられるから、家族で憩える場所。

比較的に閑散としているから、萬年も以前から訪れていた。

この夏(おそらくは週末)、息子は家族と出かけたらしく、

―いやぁ、すぐ近くの駐車場に3、40台が停まっている混み様、とてもとてもと、嘆く。

幼い頃の、ゆったりとした階段工周辺の趣きはいづこへ、ということらしい。

お気に入りの地が有名になることの、代償ですな。

ところで、この場所については、面白いお話が残っておりまして。

古来、すぐ近くの牛伏寺で、内田地籍の人々が盆踊りを楽しむのが年中行事であった、という。

階段工は完成に、 1885(明治18)~1918(大正7)までの 30年間の工期をかけている。
この間、技師や労働者が現場に寝泊まりして、砂防工事を続けたわけだ。

で、これらの工事関係者が自然と、地元住民とともに盆踊りに参加するようになった。

或る年のこと、地元の者が、ササラ踊りの歌詞を即興でもじって、こう唄った。

―人夫殺すにゃ 刃物は要らぬ、雨の三日も降ればよい。

さて、これを聞いた労働者たちが激怒して会場は揉め、盆踊りは即中止。

以来、牛伏寺の境内では盆踊りが挙行されなくなってしまい、今日まで一世紀。

調子に乗って相手の気持ちを害するようなことを口走った日には、トンデモナイ結果となる、という見事な逸話でありますが、これチャンと記録に残っているんです(内田史誌)。

いまや識る人は、地区の古老でさえいないでしょう。

しかし、読者諸氏はこれから、階段工と聞けば、このエピソードを必ず思い浮かべるでありましょう、きっと。

では。

〈コメント〉
☞つー さん より (9/29 16:17)
刃物と言葉は使いようで切れる。
安曇野に移り住んだ20年前位、紫陽花を見に行った折りに、その水路に寄りました。寂しい場所だと思いながら、建設当時は多くの作業員で活気があったろうなと想像したものです。
今は大分、施設として整えられているようですね。久しぶりに訪れてみたいものです。
口は災いの元、私もそれが原因で他人を傷つけた事があるに違いありません。
言葉は、急斜面を一気に流れる水の様に話すのではなく、階段で抑制され穏やかに流れる水の様に話したいものです。
では、また。

☞萬年より (9/29 16:31)
立て板に水を流すように、よどみなくまくし立てる、って言い方があって、これぞ反論の余地を与えないような江戸好みだったんでしょうか?
啖呵、ってやつ。
ですが、やはり穏やかに暮らしたいものですね。

☞ルノワール氏より  (9/29 20:37)
フランス式階段工と牛伏寺
牛伏川に治水対策のダムを造るとき
沢山の人々の苦労が有ったのですね
牛伏寺で盆踊り?
あの急坂のてっぺんの寺で盆踊り
盆踊りのために急坂を自分の脚で登ったのでしょうか?
昔は自動車なんぞ無かったので普通な のかな?
私は毎週末
マラソンクラブのメンバーと松本空港から牛伏寺の往復ランニング(32キロ)しているので
情景が
浮かびます
昔の人々の生活
勉強になりました。
有難う御座いました  。

 

悩みは、ふたつだけ。

人生には、二種類の悩みがある。

ひとつは、自分にできることがありそうな問題。

ふたつめは、自分がジタバタしてもどうにもならないこと。

―このふたつ。

最初のほうは、手をつけてみて、好転すれば良し、とする。

もしも、にっちもさっちもいかなかったら、すべての問題が解決されるために在るわけじゃあない、と言い聞かせて、すこし距離を置く。
― かなり居心地は悪いけれども。

二番目の悩みは、もっぱら放っておく。
特にそれが、他人の考えや行動にかかわる場合、それを変える力など自分に有るとも思っていない。

さて、悩みを抱えている御方があって、萬年のところに来たとしよう。

まづは、話を聴く。
で、なにか求められたら、自分だったらこうするかもな、を語る。

というのは、過去の経験からすると、他人に悩み事を相談する時は、8割方は話を共有したいためであって、実は既に、自分に確信の答えがある場合がほとんど。

多くの場合は、ブラインドスポットの有無がないか?と、それが正答であるか? の確認に過ぎない。

もともと人間は、問題解決に着手するようにプログラミングされた生き物だ。

冷たい言い方になるが、それぞれ違った人生なんだから、アドヴァイスをそっくりそのまま盲信的に受け入れて行動されてもなぁ。

こういう対応はもちろん、成人向けであって、若い世代については、もっとこまごまとした話をやり取りするかも知れない。

幼く若い魂の場合、ほんの些細なことひとつひとつに丁寧に応えていなければ、もっと大きく重大な悩みなど決して持ち込んでくるわけがない。

ただし、若い世代には、君の不機嫌と何気ない言葉に、いい歳をしたオヤジ(父親)が弱い心を傷つけて悩んでいること、―そんな問題を抱えていることを、忘れてもらいたくない。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より (9/21 8:14)
悩んで成就した恋愛の果て。
病院のベッドの上、萬年さんのブログを読んで、考えは脱線し、こんな事を考えた。
昔見たドラマ「ふぞろいのリンゴたち」での台詞
「あなたの事は嫌い、でもその三倍くらい好き」
100嫌いなところがあっても、300も好きなところがあるのか。なかなかいい台詞だ。
奥さんに言ったらこう返されるだろう。「あなたの事は好き、でもその三倍くらい嫌い」ひとつ好きなところがあって、みっつ嫌いなところか。まあ、そんなところだろう。
「少し愛して、ながーく愛して」大原麗子さんのCMでの名台詞、奥さんに言ったらこう返されるだろう。
「少しは愛するけど、長くはならないわね」
病床にある私には、辛い話しだ。
では、また。

☞萬年 より (9/21 14:12)
長が~く愛してですか、萬年が写真集を持っている唯一の女優のコマーシャルのセリフを聞けるとは……。
あばたもエクボ、その反対は、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。
愛憎の振幅はなんと大きいか。
しかし、いちばんのダメージは、憎からず思う御方から、なんの関心も得られないことではないか、と思います。僕の経験では。

無関心とは、最大の冷酷なり。

では、お大事に

☞ジョー氏 より  (9/22 0:48)
夜分にすみません。
過去の経験からすると、他人に悩み事を相談する時は、8割方は話を共有したいためであって、実は既に、自分に確信の答えがある場合がほとんど。

全くもって、その通りだと思います。
若輩ながら、たま〜に相談受けたりしますが、、
9.5割と言ってもよろしいのではないでしょうか。
恋愛の悩み、相談なんかはまさに、それ、かと。
話を聞いてもらって満足し、それで安心するんでしょうね。私も人様から相談を沢山受けられる様な人間にならなければ……
そう感じましたよ。

 

流行り言葉は,意味不明。

周囲では、〈コンプライアンス〉という言葉がさかんに飛び交う。

いままでは、法令遵守と狭い視野で捉えていたが、それを改めたい。
今後は、お客様には誠実に対応し、その満足、快適、安全、安心を考えて行動するといった広い意味で理解し、これを徹底します、といったふうに。

ここまで気づいたのは結構だが、まだ事の本質には迫っちゃいない。

仮に、コンプライアンスを、広狭のいづれで定義するにせよ、
では、どうして組織(=会社)が、それに背く行動に平気で走ってしまうのか?、という切実な点があいまいだ。

例えば、営業予算の達成、という〈会社憲法〉と、買い手側の損得の衝突を、具体的にどうやって解決するのか?、ということ。

ここをクリアしない限りは、ただただコンプライアンスを唱えているだけに終わる。

飲酒運転なんてのが、コンプライアンスの文脈で語られること自体が可笑しい話だが、流行りの英語をキチンとした日本語にできない時点で、すでに思考が停滞/停止しているようだ。

コンプライアンスとは、〈世間やすべての関係先にすみやかに反応、対応すること〉、とするのが、いちばん適当。

コンプライアンスとはだから、各方面からの情報、要求や苦情にすばやく対処する 、という仕事のやり方、雰囲気、励ましを会社の文化にすること、これに尽きる。

で、その対処の根拠が、守るべき法律やルール、マナーといった社会通念。

けれど、きょうび、ルールを守るなんてのは当たり前過ぎる要求だ。

例えば、消費期限や産地やアレルゲンが正当に表示されていても、だれも感動しない。

いまから30年前だと、マック店頭におけるトークは颯爽と見栄えも良かったけれど、いまやフツーな接客のひとつになった。

4人前を注文している客に向かって、マニュアルどおりに、店内で?、それともテイクアウトで?、なんてやった日には、むしろ、お怒りを買うに違いない。

お客様の側になったら、かなり高度な対応を求めるのが日本人だから、もともと、コンプライアンスなんて言葉を持ち出さなくとも日本語で間に合うのに、なぜか、使ってしまう。

世をあげての錯覚ですな、これ。

良いこと悪いことすべてに対し会社および社員として、迅速、丁寧、誠実に対応しよう。
―まづはそこから入らないと、働く者にとっての具体的な行動がはっきりしない。

コンプライアンスを、各自のことがらとして受け取れるようになると、組織にとっては、それが、他との競争で生き残れる有力な武器になる。

面倒見の良い、信頼できる御社から買おう、頼もう、となります。

もちろん組織として、迅速、丁寧、誠実の内容を、具体的に定義しておく。

あとは、ひとりひとりの社員に、どこまでをジャッジする権限を与えるかをはっきりさせれば良い。

僕たちがその会社に好悪を持つキッカケは結局、そこの社員ひとりのチョットした行動と態度なんだから。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より (9/15 12:44)
寅さんにとってコンプライアンスって?
わたしにはちょっと難しいが、私のイメージするコンプライアンスは、社内の不祥事を減らし、働く者により働きやすい環境を提供するものと考えるが、会社にとっては不祥事の芽を摘んで、さらにエスカレートすればその人間を排除して、結果的に会社を守ろうとするあくまで会社本位のもののように思える。
しかし、本当の意味でのコンプライアンスは、得意先、消費者に対し、正しい情報、サービス、商品を提供すると言うことでしょうか。物を売る場合、売り上げを課せられると、その物の価値以上のセールストークをしてしまうし、適正量以上の商品を押し付ける姿勢になってしまう。
営業マンが悪い訳ではない。それを課す会社側にこそ徹底してほしいのが、コンプライアンスの本質ではないのか。
お客様に対し誠実な対応こそが会社側のイメージを上げ、利益を上げる。
まずは、会社側が徹底したコンプライアンス意識を持ち、ぶれない指示を下に発信するのが、法令遵守の第一歩ではないでしょうか。
では、また。

☞萬年より (9/15 15:40)
なぜこれほどまでに、コンプライアンスを言うようになったか?
最大関心は、会社が不祥事を外に出したくない、ということでしょうね、やはり。
対応がまづいと、雪印みたいに会社が消滅することがわかったからだと思います。

寅さんにとってのコンプライアンス、とは新鮮な切り口!
堅気の世界とは一線を引き、惚れた女性も諦める、これだと思いますが、いかが?

遺言の完成 (後編)

遺していく財産をどうこうせよ、といった生臭い話は別にして、
死者葬送のやり方なんてのは、遺された者たちが、どういう体裁を望んだか?、で決まる。

前編で紹介した魯迅の、遺言(めいた信条)がはっきり在れば別だが、故人の意思など反映していない場合がほとんどだろう。

対外的に何も執り行わない場合、もっぱら本人の意向で、という理由づけが多いけれど、これだって、本当の事情なんか他人にわかろうはずもない。

ところで、雑文『死』で魯迅は、七つの信条に続いて、こう書いている。

―熱があったとき、西洋人は臨終の際によく儀式のようなことをして、他人の許しを求め、自分も他人を許す、という話を思い出し…た。
私の敵はかなり多い。もし新しがりの男が訊ねたら、何と答えよう。
私は考えてみた。そして決めた。勝手に恨ませておけ。私のほうでも、一人として許してやらぬ。―

人生最後の約10年間、シナの社会と民衆の後進性に苛立ち、ペンで激烈な悪口を叩きつけては、論敵を吊し上げ続けた魯迅。

その彼にまっことふさわしいこの文章に出逢い、自然に笑いがこみ上げてきた。

最期まで闘争する姿勢を崩さないとは、さすがだったな、と。

では。

〈コメント〉
☞つー さん より (9/13 10:36)
知らぬは仏ばかりなり。
もし私が遺言を書くとしたら、「全て許すから明るく楽しく生きなさい」と書くかな。
多分、私が亡くなった時、残された者はひどく悲しむだろう。多分悲しむはずだ。生きる気力も失くすかもしれない。多分失くすはずだ。
しかし時が経てば悲しみの記憶は、心の奥に沈んで行くだろう。また、笑える日々が必ず来るものだ。
もしかして恋をする事もあるかもしれない。再婚さへ有るかも。
そんな時、君が「私はこれでいいのか」と、ふと私の顔が浮かんだ時、遺言を思い出してほしい。
笑って生きていいんだよ。楽しんでいいんだよ。もちろん再婚もOKさ。
そんな遺言を残そうかと思うが、いざとなったら書けるかどうか。
それに、そんなことを書いても「余計なお世話よ、私は私で楽しくやってるわ」と一蹴されるのが、関の山(今時使うのか)だろう。
もちろん、それでいいと思う。
では、また。

☞萬年より (9/13 17:00)
亡くなったら成仏しないといけませんよね、知らない仏になるためには。
忍者武芸長のラストのセリフは、たしか〈モノを作り出すのは生きている俺たちさ〉だった、と記憶しますが、現世のおこないとは、まさにそんなところでありましょう。
生きている今は、せいぜい仏の顔も三度まで、を教訓に暮らしたいものです。