残暑の中で『夏の終わり』を。

今年は昨7日に、秋が立った。

僕が思っていたよりも、2日ほど早い。

なので、昨日になるのを待って、残暑見舞いとして何通か書き送った。

周りの景色も、人々も皆、気温30℃越えにへばっている毎日。

けれど、歳月は確かに、次のシーズンに踏み込んでいる。

疲弊の夏のあとからやって来る、癒しの秋。

それを、こんな曲で早取りしよう。

とは言いながら、午後、近くの野っぱらへ行っては、キリギリスの声を探して、あの逞しい下肢、つややかな褐色のお腹、鮮やかな羽根の黄緑を想像しながら、幼き日の虫取りを懐かしんでいます。

では。

ユリについて。

黒田 三郎(1919~1980年)には、詩集『小さなユリと』(1960年)  がある。

娘にユリと命名するところなんかは、詩人を感じます。

その娘ユリと、ふたりで生活する(奧さんは入院加療)中から、つむがれた詩群。

できたらご一読、をお奨めする。

ただし、今回のお話しは、花のほうのユリのこと。

登山ガイドのジャガー氏は、この春に右膝の切開手術(内固定)をしたため、いまのところ、プライベートの山行を織り交ぜながら、日常生活でリハビリに励んでいらっしゃる。

で、先日は乗鞍岳へ登ったとのことで、ありがたいことにお土産をいただいた。

それが、これ。

黒百合、とは高山植物であるから、登山で分け入って採取するのはご法度であるが、これは、販売用に栽培された球根。

おかげで、来夏は黒百合の花を楽しむんだと、あと一年は、生き延びる立派な口実ができたわけ。

ところで、いまは夏山シーズン真っ盛りのはず、首都圏あたりで非常事態宣言発令が続いているが、山行ツアーはどうなってるんでしょう?、とジャガー氏に訊いてみた。

氏曰く、たとえば、団体が新宿発の場合はね、現地集合(登山開始地)といったプログラムを組むようです。

このご時世、とても、バスタ集合とか、あずさにまとまって乗車、というのはまづいでしょうから。

ふむ、皆さん、別々に当地まで来てから合流、ということか。

でもそれって、泥棒が、玄関が施錠されていなかったから、入り込んで物色しても窃盗でありません、と言い訳するようなのものではないですか?

もちろん、登りたければどうぞ、とは思いますが。

では。

合作回答による プロフィールは?

不真面目な態度でもって、ストレスチェックの回答を出したことは前に書いた。

先日、その調査票による、僕のストレスプロフィールが届いたのである。

まづは、項目ごとの評価点。(点数が小さいほど良好な状態)

ストレスの要因に関する項目 ➡ 評価点 40      17~68 (最低得点~最高得点)

心身のストレス反応に関する項目 ➡ 評価点 52      29~116 (同上)

周囲のサポートに関する項目 ➡ 評価点 17       9~36 (同上)

面接指導の要否について➡ 否

〈あなたはストレスをあまりかかえておらず、またストレスの原因となる要素もあまりないようです。活気、イライラ感、疲労感、抑うつ感、身体愁訴、全てに問題はありませんでした。〉(省略あり)

……なるほど、ね。

続けて、〈普段からストレスをためこまず、気分転換をはかるようにこころがけることをお勧めします〉と、ありがたいご忠告でコメントは終わっている。

このように世界の片隅で、ブログに好き勝手を書いているのが、かなり効いているのだ、きっと。

ただし、身動きできないほどのストレスに襲われたら、徹底抗戦するか、あるいは、さっさとその環境から一目散逃走するか、どちらかにしよう、とは思う。

ストレスとの同居ができるほど、僕は図々しくないから。

ここ一箇月、車の中ではビル エヴァンス『Danny Boy』がずっとリピートしていて、スタジオ録音ヴァージョンなのが難(ライブ版が良い)だけれど、案外、そんなことがストレスを紛らわしてくれるのかも知れない。

では。

モモちゃんの テレビ。

モモちゃん(同僚)が、高校に入学したての頃、アンケートをとられた、というお話。

テレビはどんな番組を観るか?、という設問があって、(悩んだ末に?)
ニュース、と書いた。

それをみたクラスメイトに、お前そんなものばかり観てるんだ、と突っ込まれた。

実をいうと当時、モモちゃんの家にはテレビがなかった。

だから、さしさわりなく、適当に答えたつもりだったのだ。

中学一年の時だったかな、テレビが故障して映らなくなって、そのまま高校卒業するまで、約5年間は家にテレビのない生活でね。

勉強机のある部屋にテレビが置いてあったから、テレビを観ていたら僕も妹も勉強に身に入らないというタテマエだったけれど、実際のところは、貧しくて買うお金もなかったんでしょうね。

今はね、キッチンにテレビが置いてある。

ところが、奥さんはベッドルームで過ごす時間が長い。

僕がテレビばかり観ていると、わたしよりテレビが好きなの?、と言って怒りだすわけ。

だから、そこそこにして切り上げるんだけど、わけのわからん芸人みたいのがでてきて騒いでいる番組ばかりで、たいして面白くもないし。

…、僕からすると、羨ましい限りの夫婦愛なんだが、話がさらに艶なる方面に向かうのもなんだから、今回はここらで失礼。

では。

令和の発明に 文句言い。

気象庁のお方、このキャッチフレーズの開発について、内心かなりの自信をお持ちなんではないか。
画期的な発明である、と。

なぜなら、事あるごとにお使いになる。

それは、〈いままで (あるいは 過去に) 経験したことのないような……〉、という形容詞。

なるほど、そうなのか~、と毎度聞き流すんですが、では、いったいどういうことで過去に味わったことがないのか?

それがすこしも判然としないところが、このフレーズの絶妙さ、だ。

経験などは、人の数だけあるはずなのに、ずいぶんと大ざっぱな描写ではありませんか。

要するに、聞いている者に、覚悟をしてもらうための常套句ですな、今や。

そうしたら最近……、

過去経験したことのないような感染爆発、とかいう見出しが目に入る始末。

おいおい、こういうふうに使うか?

他人に覚悟をさせたいのならば、僕たちの周囲でどんなことになるのかの結末を具体的にご教示願いたいのだが、大変だ大変だばっかりで、いっこうにラチが明かぬ。

おそらく、いろんなところ、主には医療機関で限界点の〈歩留まり〉をみているに違いなく、そのためか、掛け値なしの危機の内容が一向に伝わってこない。

仕組みがどうまわっているかを知りたいのに、医療従事者は寝る間もない、といった強制労働的なお話ばかり。

医療崩壊と騒ぎはするが、こういう数値がまづくて、これだと、出口でこうなりそうで、だからこの数値をコントロールして、ここを限界値とみる、といった科学的なお話をほとんど聞いてないぞ、大方の市民は。

かつ、これだけ人的設備的な手当てをしてきていて、現在はこう、これからの計画はこう、いつまでに、そんな説明はどうした?

染るんです、と言って言われて、早1年半。

すくなくとも、仕事のレベルとして、かなりまづいんじゃあない、これじゃあ?

この騒ぎ、鎮まるまでは3年かかるとみている萬年からすると、ようやく折り返し点を過ぎたあたり。

そんな思いで、今月末のバクシン接種に備えている。

では。