道化こそ、ココロと技量。

道化〉は、僕の言語感覚だと、動詞〈おどける〉に由来するように思うんだが、どうなんでしょう?

歌舞伎の世界ではかつて、観客を笑わせながら、劇を進行させる役回りを、道化師と読んだ。

興業時、劇場正面には役者の大看板が並べて掲げられた。

最初に主演、次に、面食いご用達の、容姿端麗な役者、3番目には、道化役、という順序。

二枚目、三枚目、という言い方は、そこから来ている。

歌舞伎における道化はその後廃れてしまったらしく、いま、僕たちが見聞きするのは、西洋風の、ジョーカーが主流。

あの白く塗りたくった顔に不気味な笑い、にはいささか食傷。

子どもゴコロに怖かった、あのチンドン屋御一行を、想い出すばかり。

でも、道化の本質は、その容姿の仰々しさではなくて、その内面だろう。

英国では、ジェントルマンである証明は、(経済的な基盤はともかく)、たとえ、リング上に這いつくばってカウントテンが告げられる寸前であろうとも、窮地に追い込まれた自分を、冷静に突き放して眺めていられる精神を持つこと、なんだそうだ。

自分を笑えること、自分を使って他人に笑いをもたらすこと。

そこにはかなり強靭な精神が求められるから、道化とは、大人であることの一側面ともいえる。

こういう映像を観ると、もちろん、西洋的な道化をすべて否定してもいられない。

エンターテイナー、ですから。

では。