軽井沢とは 誰のもの?

今年の松本マラソンは挙行する、とのメールが来ました、と孤高の長距離ランナー ルノワール氏からうかがった。

ルノワール氏は、軽井沢出身。
浅間山の山麓で、その健脚を磨いたお方なのだ。(当時は中距離専門)

先般、軽井沢の町長さんが、町外の者が、その製品などに〈軽井沢〉を使うのは困る、 と苦情を呈したらしい。

気持ちがわからないではないが、だったら、長野市や千曲市は、〈更科そば〉を名乗った江戸の蕎麦屋に文句を言わなくちゃならないが、こちらは時既に遅し。

北軽井沢は群馬県であることだし、我がもののごとくに主張するのはいかがなものか。

軽井沢とは今や、独り歩きしているブランド。
そこに住んでる、ってだけで、とやかくできるシロモノではない気がする。

だいたいが、軽井沢に目をつけたのは、明治時代の外国人宣教師たちが始まりであって、やがて、昭和初期のハイカラ文芸青年が息抜きのためやって来た。

我が地を有名にするため、地元の人間がどれほど奔走したのだろう?

江戸の世、軽井沢は、中山道(木曽街道六十九次) の主要な宿場のひとつだった。

『柳多留』(川柳集)では、軽井沢にはもっぱら、田舎の無骨な飯盛女(他のサービスもした) が詠い込まれた。

ところで、軽井沢に住む息子の家の近く、別荘地の中に、洒落た教会と宣教師ハウスが、ひっそりと建っている。

先年、その門に〈売物件〉の看板を認めた。
息子に聞いたら、価格は数億円らしい、とのこと。

    住む人も   去りて黙さん    軽井沢   萬年

では。

【コメント】
☞ルノワール氏 より (4/2 17:17)
松本マラソン10月03日開催
日本陸連公認の42、195㎞
コースルートをリニューアルして松本城、県の森&薄川
内田地区→スカイパークでゴール
私の職場の先輩にはマラソンのボランティアに駆り出される人もい
そのなか私が出場するのは申し訳ないかと思いますが
多分出場するでしょう😁
軽井沢
萬年さんの紹介のとうり
その昔は
沓掛村→中山道のお茶屋(休憩所)
借宿村→旅の旅籠
から構成されて今に至ります。前者は中軽井沢
後者は西軽井沢です
私的には軽井沢は私の故郷ではありません
軽井沢は旅人のもの
私の故郷は旧沓掛村であると思っていますが🐼

この春を 忘れない。

― あれは、梅でもなくて、やっぱり桜なんだ……。

沿道で、花をつけている樹を眺めては、我ながら間抜けな自問自答をしている。

3月の末、そこそこ満開な櫻花を観るのは、静岡や山梨での話、と思っていたので、どうしてもにわかに信じられないでいる。

今年は稀有な春だった、とせいぜい憶えておこう。

おかげで、西行(1118 ~ 1190年)の短歌が、当地でも同じ季節感で味わえた。

    ねかはくは花のしたにて春しなんそのきさらきのもちつきのころ

『山家集』(巻上 春) に収められている。
詞書は、花の歌あまたよみけるに、とあり、桜を詠んだ多数の中にある一首。
(当時、和歌の世界で、ただ花といったら、桜を指した)

読みやすいように濁点などを振って、訳すと……、

    願はくは 花の下にて春死なん そのきさらぎの 望月のころ

(できることならば、桜の花の下、春に死んでいきたいものだ、如月(二月)の満月の頃に)

西行は、文治6年2月16日(1190年3月31日)に亡くなった。

まさに、この歌に詠んだとおりの往生は、当時の学芸世界の住人に、かなりの感動を呼び起こした。たとえば、藤原 定家とか。

大げさにいえば、文学史上の奇跡、であったわけです。

なお、昨晩は、薄曇りの中、満月の翌々日の月(居待月)がぼうっ、と浮かんでおりましたよ。

西行の没後、ちょうど831年が過ぎたその夜は。

※西行と同じ年に生まれたのが平 清盛と憶えておくと時代感がわかりやすいか。清盛は西行よりも9年早く亡くなった。

では。

ひと粒で 二度おいしい理由。

― かならず二度楽しめること、それはなにか?

答えは、孫の来訪、というのが、萬年式ナゾナゾだ。

子の子、すなわち孫は、来ても嬉しく、帰って行く時もまた、嬉しいもの。

そのワケは敢えて言わないけれど、実感をお持ちの読者諸氏は多い、と思う。

ある日、5歳になった孫に、ナゾナゾ遊びを仕掛けてみた。

― 道端に、赤い顔をして立っていて、葉書を食べてしまうものは?

こういうのは、説明を加えながら、正解にたどりつくことができる。

次に、

― 大きいものは入れて、小さいものは入れないものは?

と言いかけ、途中で言葉を飲み込んでしまう。

正解は〈蚊帳〉なんだが、きょう日、とても使えないネタなことに気づく。

ナゾナゾの古典も、いまや風前の灯だ。

では。

道 についての雑感。

ここ数日来、せいぜいその内容はハイライト映像で観るくらいなんだが、大量得点ゲームの報せが多い。

大宮 4 : 長崎 0 (3/27)
新潟 7 : 東京ヴェルディ 0 (3/27)

これらは、同じリーグの話ゆえに、けっこう胸が高鳴るけれど、むしろ大量失点した側の心情が思いやられてしまう。

海外に目を向けると、リーガ エスパニョラ (スペイン1部)では、

レアル ソシエダ 1 : FCバルセロナ 6 (3/21)

ダビド シルヴァを擁し5位あたりで健闘しているソシエダがまさか、とは思ったが、このゲーム、シルバはベンチ入りさえしていなかった。

6点も獲れば、最後のほうは得点時のセレブレーションはごく醒めたものになるもんだが、全員がきっかりとひとつに集まってくる律義さ。

入れて当然、といったスタープレイヤーの驕りを、全く感じさせないバルサには、感動する。

こういうゲームが気にかかるのは、おそらく得点産出に苦しむ我がチームのことが、抜けないトゲのように、いつもココロの底に在るからだ、きっと。

4~5年来ずっと、得点の乏しい山雅であるから、ここへ来てことさら気にすることでもないはずだが、〈新生〉に、いつかしら得点力の向上、を勝手に描き込んでいる自分がいる。

本日のアウェイ水戸戦にしたって、自分を失わずに平常心でプレイすれば良く、出口の勝敗をあれこれ気にするな、とチームには申し上げたい。

雨中、水戸へ出向くチームとファンサポーターには、心から感謝します。

こんなことを寝転がって考えていたら、ちょうど今から100年前に書かれた短編の末尾が、胸に去来した。

〈希望は本来有というものでもなく、無というものでもない。これこそ地上の道のように、初めから道があるのではないが、歩く人が多くなると初めて道が出来る〉(『故郷』魯迅  井上紅梅 訳)

では。

COVID-19との一年。

この流行り病とのつきあいも、一年あまりが過ぎた今。

ひとつの備忘録として、書きつけておきたい。

COVICD-19による国内の死者は、8,938名。(3/25現在、厚生労働省 発表)

この数字は、感染して亡くなったすべての人をカウントしたもの。
COVID-19が直接の死因となった人に加え、感染がきっかけで持病が悪化したことで亡くなった方、他の病気で命を落とした人を全部含む。

いままでの(季節性)インフルエンザによる死者は、2000年以降、だいたい2,000~3,000人で推移してきた。
ただし、この数字は、インフルが直接死因となったケースの合計に過ぎない。

これに、インフルエンザの感染がきっかけとなったが、持病とか別の病気によって亡くなった人を加えると、おおよそ、年間10,000人くらいらしい。

……、となるとですよ、死という最悪(だろう)の結果からみると、その数字は、旧来のタイプとほとんど変わっていないんだな。

これを、どう評価するか?

日本は、よくできているんでは?、と公言する政治的なリーダーが出て来てもよさそうなものだが、そういう議論はなかなか聞けない。

まぁ、そういうことを言った日には、猛烈な批判を浴びるに違いないが。

〈気の緩み〉とかいう、情緒的な煽りにはうんざりはするけれど、結局、この国では、誰が先頭に立ってやったとしても、たいして変わらない施策をやるのではないか。

政府の無策や無能を言っている側にも、おそらく画期的な代案がなさそうだし。

ひたすら気持ちの引き締め、それだけで押し通せる国って、かなり特徴的な部類だろうな、と思っている。

では。