カエルの子はカエル、

などと口走ったら、諺を知らぬ子に、

―カエルの子はオタマジャクシでしょ。

と言われてしまうかも知れない。

TVを観ていた家人が、
― この犯人役の男性、蟹江 敬三の息子よ、たしか。ずっと前に朝ドラに出ていた時に知ったのよね。

昔々、蟹江 敬三が凶悪犯といった、凄みのある犯罪者役に精を出していた頃、子供が友だちから、お前の親父は大悪人といじめられるので、ずいぶんと悩んだ、という話を聞いたことがあった。

切なく辛い思いをした幼な子が、父とおなじ道を進んだことを知って、なんともいえない気持ちになった時、フト思い出した諺だった。

夏、かならず思い出す曲を、今は聴く。

では。

 

差別の対極は、たとえば。

人種差別の記事に、すこし補足します。

差別は、自分とは異質な、個体や集団に出会った時に感じる驚き、戸惑い、不安といった生理的な反応を、思想的な言い訳で偽装して正当化しながら、ずっと繰り返されて来た。

今世紀になって、自分ではどうしようもないことがら、例えば、出自、性別、容姿、家族関係などを、本人を評価する際に問うのはおかしい、ということになってきていて、まぁ、すこしは喜ばしいけれど、

差別してはいけません、と唱えたり、やたらとハラスメントの種類を増やしてみたところで、差別が無くなるわけがない。

じゃあ、どうする?、差別するところから遠のくには。


1937年のキャパ

例えば、ロバート キャパ(写真家、1913~1954年)が、レンズを通して人間に向けた眼差し、といったものに希望を託せるのかな、と今は思っています。

キャパは、1954年4月、毎日新聞社の招待によって来日。

3週間をかけて、奈良、大阪、焼津、熱海、東京の街を訪ねた。

そこで撮影された作品には子どもを対象にしたものがめだつが、これらをみてびっくりするのは、まるで、日本人が日本人の日常をなんの変哲もなくして撮った、という印象を受けること。

日本人に限らず、キャパの手にかかると、被写体が、どんな民族、階級、老若男女であろうと、個性と行動そのものに迫って捉えられているために、これぽっちも異邦人扱いが、されていない。

画面の中、皆が同郷人として振る舞っているんだが、それを惹き出す力こそが、この写真家の才だったんでしょう。

ひとりひとりに肉薄してつきあう以外、いくらキレイごとをならべてみても、友人にはなれない。
そんな視線か、キャパから学ぶのは。

あとひとつ。

人は、写真家に撮影されるために生きてはいない、ということを思い知っていたのがキャパだったように思う。

だから、かろうじて捉えられた人生の瞬間であれば、焦点が合っていようといまいと、構図が破綻していようと、おかまいなしの彼だったんだ、きっと。

(来日の翌月、5月25日。キャパは、北ベトナム(当時の呼称)の地、抵触した地雷の爆発に巻き込まれ、戦場に散った)

では。

朝顔と訃報。

おや、今年最初の朝顔の花、と庭を眺めていた日。

夜になって明日は七夕か、と思っていたところへ、友人からの電話。

敬愛すべき先輩が昨日亡くなった、という報せだった。
どうも、癌だったらしい。

久しぶりの連絡が訃報というのはまったく恐縮ものです、という挨拶だったので、

いや、これも〇〇さん(故人)の功徳のなせること、と思いますよ、と返す。

今夜、星が見えても見えずとも、どうでもいいけれど、ただ、こんな曲を聴いて過ごそうか。

では。

幼い人種差別主義者を 擁護する。

幼い、つまりは、幼稚なお話をひとつ。

フランス代表のサッカー選手がふたり、何年か前に来日した折のこと。

宿泊先のホテルで、そこの日本人スタッフを愚弄している動画を蒸し返され、東洋人への人種差別だ、と糾弾されているらしい。

FCバルセロナという有数のビッグクラブに所属していることもあって、その世界ではそれなりに有名なんだろうから、メディアやSNSなんかにとってはオイシイ餌食になるんだろう。

糾弾に対する釈明を読んでみたら……、

―たまたま日本の地で日本人相手だから、ああいったマネをしただけ。
自分たちの交友の中では、ああやって人を侮蔑することはよくやること。
ただ、気に障ったのなら、謝るよ。
……、とひどく正直に語っている。

特段の悪意ではなく、これからもこの程度の無節操な会話をしながらサッカーやって生きて行くんだ宣言、という感じがした。

サッカーの技量に優れていれば、自動的に、人格的に洗練された知性を有しているわけでもあるまいし、あまり目くじら立ててもなぁ、というのが僕の考え。

渦中のふたりにしたところで、その素養の低さを責められるほどに、高級な教育を受けてきた、とも思えない。

良いこととは思わないが、人種の壁がやすやす乗り越えられる(べき)と思うことのほうが、むしろお気楽な考え。

―フランス人てのは、ケチでねぇ。
そのくせプライドが高い。
こちらが英語で話しかけても、そんな野蛮な言葉を使えるか!、って態度で知らんぷりするんだよ。
そうなると、こっちも頭にくるから、金銭的な話題を匂わせるのね。
すると、お金で損すると困るから、途端に英語で返してくるわけ。

これ、数十年前、昔フランスへ留学した人(故人のフランス語教師) から聞いた話。

結局のところ、人種その他の差別には、こういった個人的な応酬で報いるしかない。

自分の裡に在る差別意識や行動を、いつも検証しながら、その時のために、せいぜい差別の突破口を開けるような武器(もちろん比喩です)を準備しておくことだ。

ただ、フランス人の肩を持つわけじゃあないけれど、パリの真ん中で、大部分が塩化ビニールで仕立てたバッグに群がる若輩の日本人、ってのはいいお客さんなんだろうが、尊敬はできない人種でしょうね、きっと。

僕にしたって、ブランドマークを大きくあしらったポロシャツを着込んだ東洋人などを冷ややかに観てますしねぇ。

とまぁ、あまり熱くなっても仕方のない話題ですが、ただ、ミステリアスなのは、なぜ今ごろになって、数年前の差別行動が蒸し返されたんでしょうか?

もしもですよ、プレイヤーふたりとの契約交渉を有利に運びたい陰謀がそこに在るのならば、これこそ、冷酷なクラブ経営と言えましょう。

もちろん、山雅にはやってもらいたい手法ではありません。

では。

梅雨に憧れる 『さらば恋人』

ジャガー氏は先日、リハビリを兼ねて、車山高原に登った。

人の出はどうだったの?、と訊いたら、近くの駐車場は満杯。

なんで、すこし離れたところに駐めました。

山は恋人、という方々はこの季節、多く繰り出しているんだなぁ。

ニッコウキスゲには、まだ早いとのこと。

ジャガー氏が、はて?、それから八島湿原に足を延ばしたのかどうか、会話の最後のほう、いい加減になってしまって定かではありません。

そのジャガー氏情報によれば、国道19号の〈芳野〉交差点のたもと、元ガスステイションの在った場所に、現在、一風堂の松本店が建設中。

へぇー、これで彼、八ケ岳の帰りに諏訪店に立ち寄らなくとも、もっと近くで楽しめる、ってわけか……。

では。