
気分転換する際、なにを服用するのか。
これに関しては、世の中、ここ30年くらいでずいぶんと変わりました。
煙草が第一線からご退場。
と思ったら、白い錠剤や粉は、ますます健在。
そこへ持って来て、オーヴァ―ドウズですか。
大勢は、電車内でも食卓でも、下を向いてスマフォ画面をひたすら見つめる、これでしょうかね?
そして、人は、ますます空を見あげなくなった……。
いえ、なに、本当はどうでもいいことなんです。
もちろん、若く見えればすべて善し、ってのも信じちゃあいませんよ。
では。

気分転換する際、なにを服用するのか。
これに関しては、世の中、ここ30年くらいでずいぶんと変わりました。
煙草が第一線からご退場。
と思ったら、白い錠剤や粉は、ますます健在。
そこへ持って来て、オーヴァ―ドウズですか。
大勢は、電車内でも食卓でも、下を向いてスマフォ画面をひたすら見つめる、これでしょうかね?
そして、人は、ますます空を見あげなくなった……。
いえ、なに、本当はどうでもいいことなんです。
もちろん、若く見えればすべて善し、ってのも信じちゃあいませんよ。
では。

ここ数日外気温が落ち着くと、途端に、電力不足が言われなくなってしまう。
かわって、某通信会社が、いいように叩かれる。
でも、暑さが戻れば、きっと、また蒸し返すのだ。
なんとまぁ、僕らの時代は、浅薄で、移ろいやすい論調で溢れていることか。
節電が求められると、
いやいや熱中症はそれこそ命取り、困って追い詰められた国民をどうしてくれるのよと、マスメディアは、あたかも(弱い)民の味方を装いながら、為政者やリーダーを批判する。
けれど、この事案の出口は、原発再稼働でしかあり得ないことは、ちょっと考えればわかること。
でも、いままで脱原発の流行りに乗っかって論陣を張ってきたメンツがあるから、容易に原発にまで言い及べないメディア。
なんとも切ない光景、ですなあ。
でなくて、メディアがすべき主張は、政治的リーダーに対し、いかに計画的、かつ、日本技術の巧緻を結集して、限りなく安全に原発を稼働していくのか、その道筋を明確にさせることでしょう。
この点は、為政者も同罪で。
今回の国政選挙で、国家の存立の視点から、エネルギー安全保障を最大論点にしないのは逃避以外のナニモノでもない。
家計やりくりの悩みにとって、電気料金が低減、安定するのは、相当な仕合せでしょうに。
こうなったら、高騰しつつある電気代は、脱原発論者が負担すべきでは?、とさえ思うが、どうだろうか?
僕は、化石燃料を使った発電に背を向ける必要は決してない、と思っているけれど、効率と環境へのダメージからいけば、原子力が総合的に優れる、と考える。
自然エネルギー、たとえば、太陽光の利用は、家庭レベルで風呂の湯わかしくらいならば罪もないが、これを大規模にやって、現在どのくらい、山野、畑、隣近所の住人にダメージを喰らわせていることか。
太陽光、風力などの非効率で一定しないエネルギーのために、いままで膨大な資金が投入されてきている。
けれど、そのお金を、原発の安全立地や、運営/稼働技術に投じていれば、ヨーロッパの戦争や、外気温上昇などでこれほど右往左往しなくても済んだはず。
東北大地震から10年も経って、こういう観点からの総括は誰もしていないし、今後もしないような気がする。
そういう仕事では、決して人気や誉れは獲れない。
というのは……、
大衆はいつでも、耳ざわりの良い言葉を好む (by 萬年) から。
でもね、たとえ不人気のそしりを負ってでも、責任をキチンと引き受けるリーダーが、時間をムダにせず、マジメで地道な議論に取かからないといけない。
戦争はイヤだ、平和は大事、を繰り返すだけでは、夏目 漱石が『三四郎』(1908年発表) で予見したとおり、この国は終わる。
では。

久しぶりに、塩尻市図書館に出かけた。
ほぉ、以前やってた、ご利用の1時間制限はもはや廃れている。
調べもので少々ボーっとしたアタマを休ませようとして、給水するためロビーに降りてみると、
ホール壁一面に、スカイブルーと黄色の短冊が張り付けてある。
〈ウクライナ支援〉寄せ書きコーナーなんですね、これ。
おいおい、支援の気持ちを表明することより、今やるべきは、侵攻している側を(言論でもいいから) 痛烈に叩くことだろうに。
戦争は、明らかに侵略の様相なのに、被害者に同情を寄せよう、みたいな発想が一体どこから出てくるのか、正直、僕には理解できない。
虐待(いじめ)する側を成敗せずしておいて、被害者に、お前にも落ち度はあるよな、でも頑張れ、って言うのと、どこが違う?
そう思いながら覗き込むと、何百枚もの紙片の中には、〈プーチン、戦争止めろ〉という書き込みが多々あるので、気分が少し救われた。
おそらく、ウクライナが今欲するのは、気持ちよりも具体的な支援、つまり先立つモノだろうと思って手許のテーブルをみたら、小さいなりに募金箱が在ったので、ますます救われた。
77年前の手痛い敗残と辛苦、それに加え、西側陣営で割り当てられた役割とアジア情勢のゆえから、幸運にも! 日本人は、国家の名において人を殺めたり他国を侵したりすることなく過ぎてきた。
けれど、それ以前の40年間は、東南アジア地域に対して、今の露国と同様な、非難を受けるにふさわしい武力行使をしたことを、僕たちは都合よく忘れてはならない。
だから、武力侵攻の見本としてパールハーバー突入を引き合いに出すことはいたって正当であるし、これに反論することなど、到底できやしない。
では。
(時候の憶え、6/28、庭の桔梗がひとつ開花)

西暦1916年は、元号でいうと、大正5年。
その8月に、永井 荷風 (1879 ~ 1959年) は、随筆『洋服論』を発表している。
ダンディズムとは、結局、何を着るか? (または、何を着ないか?) に尽きる。
ゆえに、稀代のスタイリストであった荷風先生が、西洋由来の服飾について論ずるのは、まったくの好テーマであった。
今から、ほぼ1世紀ほど前のご教示ではあるが、時空を越えてなお傾聴すべき内容です。
興味あれば、青空文庫 (荷風作品にもはや著作権はない) で手軽に読めるので、ご一読をお奨めしたい。
で、少しそこから、箇条的(原文もその体裁) に引用すると……、(註:現代文に変えています)
〇ハンカチーフは、晒麻(さらしあさ)の白いものを上等とする。
縫取りや他の色モノは女性用であって、男性が使えば、気障りでしかない。
米国では、キザな男が時々スーツの胸ポケットからハンカチをちょっと見せたりする。(ポケットチーフのことですな)
英国人は、袖口へハンカチを丸めて入れ込む流行がある。(へぇ~、知りませんでした、試してみたくなりますよね)
〇洋服はその名のとおり西洋人の衣服であるから、すべてにおいて本場である西洋を手本とすべきなのは当然。
ただし、日本人が洋服を着る場合、黄色い顔の色に似合ったものを選ぶことが肝要だ。
黒、紺、鼠(グレイ)などの地色であれば、ほとんどの者に合うので無難だろう。
〇洋服の仕立ては日本人よりも支那人のほうが遙かに上手である。
東京でいえば、帝国ホテル前に在る支那人が営む洋服店の評判が良い。
銀座(4丁目の) 山崎洋服店なんかはぼったくるばかりで、縫い目とかボタンのつけ方が堅固でない。
こういうのは、縫い糸を惜しむ行為であるから、日本人の商人ほど信用の置けないものはない。
……どうです?、なかなかの見識でしょう?
たとえ、相手が当世の有名店であっても、クオリティーの無さを具体的、かつグサリと批評するところなんか、流石は、荷風。
こういう悪口には他意がないので、読んでいてすっきりと腑に落ちます。
では。

サン テグジュペリは、1900年の、6月29日に生まれ、
1944年7月31日、地中海域で偵察機(ロッキードF5型)を操っているところを、ドイツ軍機 (メッサーシュミットBf109) に撃墜されて戦死した。
享年 44歳。
ただし、当時は消息を絶ったのであって、戦死と認められたたのは、かなり後年になってのこと。
1988年、マルセイユ沖で、テグジュぺリと妻の名が刻まれた銀製のブレスレットが、漁船の網にかかって発見された。
それを契機に、2003年の捜索によって、彼の搭乗機の破片などが回収されたことで死亡が確定。(ただし、遺骨は未発見のまま)
テグジュぺリは、1940年に米国に亡命している。
だから、1943年、自由フランス空軍への実戦参加は、外国籍の義勇兵の身分としてだった。
……、と書き下すと、けっこう格好はいいが、御年すでに40代半ば、しかも、実戦投入直後には機体を破損させる事故を起こし、軍規によって飛行禁止処分を受けた身の上。
既に第一線から退くべき者が、あえて搭乗に固執して復帰できた背景に、もしも、テグジュぺリの作家としての名声に対する配慮が在ったとしたら、僕には、かなり興醒めなこと。
もっと有能なパイロットを搭乗させないのは、戦略的に言っても、あり得ない話だろうと思う。
さらにさらに、後年、テグジュぺリ搭乗機を撃墜したと証言した、元独空軍パイロット(ホルスト リッパート 1922~2013 )は、あれがテグジュぺリ機とわかっていたら、撃ち落とすことはしなかった、と述べているらしい。
これ、ご当人からしたら、テグジュぺリへの敬愛を示そうとした発言なのかも知れない。
けれど、相手が無名のパイロットならば平気で撃墜してたんだろうし、それが軍人として当たり前の行動だったわけだから、今さら、後出しじゃんけんのようないい子ぶりに不快感だけが残るのは、僕だけか。
けれど、現実の人生、エピソード、名声などまったく知らなくたって、あるいは、それらに耳を貸さなくたって、テグジュぺリの作品は、それ自体が素晴らしい。
そんなわけで、久しぶりに、『夜間飛行』(1931年発表、1951年 堀口 大學訳) を引っ張り出している。
では。