先日、職場で、取るに足りないような話題を交わしていたら、
― 詩人だねぇ、と言われ、思わず、
― あぁ、それ、いただいていちばんありがたい呼ばれかたです、と返してしまった。
ほんの些細なことであっても、人生が、ふっと、立ち止まる瞬間のひとつ。
今から、95年前の、7月25日。
ひとりの作家が、みづから命を絶った。
今でも、年に何度かは、その名を聞くことがある その人。
芥川 龍之介 (1892~1927) だ。
僕からしたら、その自死の理由もよくわからず、深追いする気にもなれないけれど、当時の文学青年(少年も) にとって、芥川の自殺は、けっこう衝撃的な出来事だったらしいんですね。
現在、芥川の作品がどれほど読まれているかわからんが、その頃、最も目立つ作家のひとりだった。
約一世紀前の、30代の人間がどのくらい成熟していたのかは、ほとんど承知していない。
(少なくとも、2020年代の同年齢よりは早老だったのかも知れないが)
なので軽々に語れない。
けれど、自死するに値するような出来事が、芥川とその周囲には在った、と思うしかありませんな。
詩人の萩原 朔太郎(1886~ 1942) は、晩年の芥川にとって、比較的新しい友人だったらしい (と、本人がそう書いている、下の作品の中で)。
で、朔太郎は、芥川逝去の後、ひと月ほどのうちに、タイトル〈芥川 龍之介の死〉という文章を発表する。(『改造』1927年9月号に掲載)
それを読むと、生前の芥川は、朔太郎に対し、自分を詩人である、と評価してもらいたがっていたようだ。
ところが、萩原は、芥川に向かって、君は詩人ではなく、〈典型的の小説家〉だ、と言い放つ。
これに対し、芥川は、自分は詩人であり過ぎるのだ、と言って応戦した、と朔太郎は書いている。
当世第一級の詩人(朔太郎のこと) から、詩人として認められたい、とはなんともけなげなエピソードではないか。
けれど、『蜜柑』(末尾に大正8年、つまり1919年4月の注記あり) なんかを読めば、芥川に詩人の資質は乏しい、と僕には思われる。
電車で乗り合わせたみすぼらしい少女が、主人公の作家にとって、一瞬、神々しい存在に変化(へんげ)するといった内容の短編。
けれど、(主にその表現手法からだろうが) 作品の読後感として、詩人の特性である〈心の舞い上がり〉というものに、どうしても欠ける。
ああいう題材を、太宰 治だったら、もっと巧い語り口でまとめられるだろう。
(太宰が詩人であるかどうかは別にしても)
……、実は、ホンネを申せば、芥川詩人論など、どうでもよい。
今回、必要があって、萩原朔太郎の文章(交友録のような随筆?)を読んでみて、そこそこの作品を生みだした詩人でありながら、彼の紡ぎ出した散文は、おそろしくつまらないなぁ、と感じ入ってしまった。
あまりに散文的で。
それが、感動的なまでの、相当な意外感であったことが、よけいに僕を、憂鬱にしている。
では。