梅雨の晴れ間の。

― もう、梅雨入りの時季なんだけどなぁ?、とか言っていると、

― 昨日、関東甲信越は、梅雨に入りましたよ。

今、麦は秋……。

いつまで経っても、70年代を忘れられないから、この曲(1972年発表) が想い出されたりする。

https://youtu.be/Z1lYCJFnxUE

では。

初夏に ふたつの最期。

(時候の憶え、5/24 ヤマボウシの開花に気づく)

木洩れ陽、なんて言葉が、やけに頭の中をめぐっている初夏の日……。

やがて雨の来襲があるだろう、と予報は言っていた。

さてと。

いまから407年前の今日、大阪夏の陣が開戦した。(和暦で、慶長20年4月28日)

江戸幕府  vs  豊臣家、の合戦。

前年の冬の陣とその和議を通し、豊臣側の孤立と凋落は深まっていたから、羽柴宗家の行く末が、半ば見とおせていた戦いではあった。

両者の戦力を比較すると、江戸幕府方 165,000人。対し、豊臣氏陣営 55,000人。

相手の3倍の武装勢力をもって、しかも、外堀が埋められた大阪城を攻略するなんてのは、よほどの下手を踏まない限り、これに失敗するほうが、おかしい話。

事実、2日の戦闘で、豊臣方は敗れ去り、大阪城は炎上、落城した。

この合戦において、家康本陣に二度も肉薄し、家康に自害を覚悟させるくらいの奮戦をみせたのが、真田 信繁 (1567~1615) が指揮を執る真田隊であった。

しかし、あくまでゲリラ戦を敢行したかった信繁の思わくに狂いが生じてしまい、結局は、戦死により要員を減じて疲弊した真田隊は、やむなく退却することになる。

信繁は、撤退の途中、休息していた境内で討たれて、落命した。

享年49。

……、とまぁ、(実際に見てはいないけれど)巷間伝わっているのは、こんな概要。

この合戦に話が及ぶと、いつも、
紀州九度山に隠遁を命ぜられた身であった信繁が、(豊臣家の要請があったにせよ) どうして、戦いに身を投じたのだろう?、という問いが、いままでに、幾多の人々から、繰り返し投げかけられて来た。

実際、当時ならば既に老境の身分。

亡くなる3年前には (隠居) 出家しているんです、信繁は。

真の答えはご本人に訊いてみるしかないんでしょうが、それも、無理。

となれば、ありふれた言い方にはなるけれど、いづれは朽ちるこの身であるなら、それなりにふさわしいと思う死に場所を選んだのではないか?、と今の萬年、勝手に斟酌しております。

で、死に場所、と言えば、もうひとつ。

1954年5月25日 (いまから68年前)、北ベトナムは、ドアイタン近くの堤防で。

インドシナ戦争を取材していた ロバート キャパ (写真家 1913~1954)は、地雷を踏んで爆死した。14時55分のこと。

享年 40 でした。

では。

遠い記憶を巻き戻す『Your Mother Should Know』

― 今回の軍事作戦は、昨年末以来脅威が増して来ていた、NATOによる祖国攻撃に対して、先制的な行動に打って出たもの。

我が国は、今、ナチズム(ネオナチ)との闘いをしているのだ 。

……某国の大統領演説。

(名指しはしていないが)ウクライナは、侵略者の先兵、という位置づけだ。

約80年前、ナチスドイツの侵攻によって味わった、民族の悲惨と苦痛。

(演説が行われた記念日の性格があるにせよ)その遠い記憶を持ち出してこないと、自分が始めた戦争を正当化できないとは、ずいぶんと辛いことだ。

第二次世界大戦における犠牲者は、ソビエト連邦が他国に比べてダントツに多く、軍人と民間人をあわせると、2,660万人の命が奪われた。
註:日本人は、310万人が犠牲となった。

全人口の14%くらいの生命が消えてしまったんだけれど、連邦を構成していたひとつ、ウクライナでは、685万人が亡くなっている。

同じ痛みを負ったはずの、かつての同胞ウクライナ。

そこに武力攻撃をすることで、彼らをふたたび戦渦に投げ入れているとは、なんとも。

歴史が強引に巻き戻されたような有り様に、こんな曲を思い出した。

では。

どう死ぬか があるから こう生きられる。

結局のところ、人々の、具体的にどんな行動の結果によって COVID-19(新型インフルエンザ) パンデミックがこうなる、という納得のいく答えは、誰も教えてくれないまま、2年あまりの時は経った。

とにかく、ワクチン打て、マスクして入店せよ、黙って食べれ、の繰り返し。

そう言われ続けて生活するこの国民の〈従順〉は、ひどく思考停止した生き方に違いない。

シナでは強烈なロックダウンを敢行していると、皮肉めいた論調でメディアは騒ぐ。

けれど、上海では強権的に、海のこっちでは周囲の白眼視が嫌で、それぞれやっているに過ぎず、たいして違いのない渡世ではないか。

宗教を否定する社会(民族)では、現世の後にはなんにも無いから、死ぬのがいちばん怖いこと。

だから、一目散に、右向け右で、手法は違うが全体主義な手当てに走るんでしょうな。

英国(グレートブリテン)では、人口6,800万人の 約3分の1(2,200万人)が、既に感染してしまったから、しめた!とばかり、サッカー観戦なんかマスクなしの、したい放題になっている。

しめた、というのは順序が逆で、そういう日常に戻りたいがために、感染を厭わなかった、ということ。

こういうのは、根本には、たとえ死んでも次の世があるさ、という覚悟があるからできることであって。

今のところ、愛知県の人口くらいの感染者(累計800万人)なこの国。

この先も、第何波を、左顧右眄してチマチマと乗り越えていくのが関の山。

そこには、こういうふうにしてしまえ、といったヴィジョンに基づく行動は起きそうにもない。

〈この街とスタジアムにマスクはいらない〉と率先すれば、画期的なんだが……。

夢想に浸りながら、では。

挙げた拳を 巧く下ろさせる。

プロ野球のゲームで、主審が、ピッチャーズマウンドに詰め寄る出来事があった、という。

わざわざニュースになるくらいだから、あまり見かけないことには違いない。

しかも、その時投げていたのが、今をときめく速球投手だったらしいから、注目度も高い。

好奇心に駆られて、そのシーンを観てみた。

なんのことは、ない。

ストライクとボールのジャッジに対して、マウンド上から不敵な(と感じた?)笑みを浮かべた、20歳の投手に対し、

― なんだよ、小僧、そのふてぶてしい態度は、よぉ!

と、いい歳こいた中年アンパイヤが、カッとなって、マウンド近くまで恫喝しに行った、それだけのことではないか。

僕は、アンパイヤの処し方のルールについちゃあ詳しくもないから、この行動の是非はわからん。

けれど、仕事上、こういったシーンにお目にかかることはけっこうあるし、自分より若輩の者に、冷笑された日にはフツー、ムッと、あるいは、カッとなる。

今回、そういう場面が、たまたま何十万人の、衆人環視の中で起こったに過ぎない。

機械が投げて、機械が判定しているわけでもないから、感情の表出とか、ミスジャッジがあって当たり前、あまり騒ぐようなことでもない、と思うけどなぁ。

ただ、願わくば、この主審これを、もっとスマートにやれば良かった。

喧嘩も、売り方次第では、見苦しい。

とは思うが、そういう頭の良さ(聡明さ)を盛んに修養しているような業界でもなさそうだし。

ただ、ひとつ。

僕が惜しい!! と思うのは、この時、ロッテベンチの首脳陣には、できることがあったのに……、ということ。

― おいおい、穏やかじゃあないね、君い。
うちの若いのになにか文句があるなら、監督のこの俺に言う、ってもんだろう。

と、すかさずダッグアウトを出て行く機敏な戦略性は、ないようですな。

相手がカッとなる、いわば、無防備な時こそ、状況をこちらに優位に持ってくるチャンスなのに。

一瞬の不可解さにとまどってその機会を逸したのか、あるいは、取るに足らぬことと思っていたのか知らないけれど、もしも、そうしたならば、今後の、ジャッジを優位に導けるだろうし、なんたって、監督が援護してくれるんだ、ということで、プレイヤーのココロを掴めたでしょう。

子どもの喧嘩でも、キッチリと、大人が出なきゃあならない時がある   by 萬年

ロッテは、勢いがつけばそれなりに勝てるが、ゲーム巧者とは言い難いチーム、と感じます。

そして、この若いピッチャー、案外早期に、他球団か、メジャーリーグへ移籍していくんじゃあないだろうか?

では。