説明し過ぎる難。

サンドウィッチマンは、巧い芸人だ。

ただ、そのコントを聴いているうちに、だんだんと食傷してくる。

何故か?

ボケの言うこと、やることのオカシサを、ツッコミのほうがイチイチ説明してしまうからなんだろう、と思う。

立川 談志 (七代目 1935~2011年) の落語にも、同じようなことが言える。

要は、俺の窓から見よ、みたいな語り口だから、それに素直に従えるうちは笑えるけれど、その世界にドップリ浸かれないと、付き合え切れない。

それに比べ、六代目 三遊亭 圓生 (1900~1979年) の演じ方は、客をやんわりと突き放して、淡々としている。

ひたすら一流の造形力で筋をこなしていく。

今回『らくだ』を聴いて、その凄さに参ってしまったが、これ確か、高校生の頃ラジオで聴いた。

その時にも、語りの迫力に感心したことを想い出した。

説明し過ぎず、けれど、要点を外さずに的確に、というのは芸の上でも、日常生活においてもなかなか至難のことだ。

では。