素晴らしきかな,2025年。

何故か?、と言えば、

僕の好きな画家ベストいくつかのうちの、

ふたりの展覧会が、日本国内で、巡回展として開催されるからだ。

パウル クレー(1879~1940)と、トゥールーズ de ロートレック(1864~1901) のふたり。

このうち、ロートレックのほうは、すぐ1月には、松本市美術館にやってくるから、

ま、僕にとっては、(存命中の) 千載一遇のチャンスともいえる。

その気になれば、(時間と予算は要するものの) 何度でも、観られるわけ。

ロートレックは、エドゥアール マネ(1832~1880)のような革新性、思想性(☜素晴らしい!!)には欠けるけれど、

自分の趣味と興味に没頭し尽くす点が、

この作家の美点なのだから、そこの追求には魅せられるものが多い。

クレーのほう?

僕からすると、その作品が、

あれだけ斬新、かつ、エモーショナルなものを拒否しておきながら、

人を包容し、魅了する不思議さは、ちょっと比類するものがない。

つまりは、絶賛ですね。

こっちは、名古屋、あるいは、静岡での開催を狙うつもり。

どちらも。

半端な解説には目と耳を塞ぎ、時代うんぬん、人柄うんぬんなどはまったく棚上げして、

ひたすら作品群と対面して楽しむのであります。

では。

『賢者の贈り物』とまではいかないが。

娘が昔、

プレゼントしてくれた〈41 STORIES by O.HENRY〉(ペンギン社ペーパーバック2007年版)。

『賢者の贈り物』(原題、The Gift of the Magi)は、その中でも強調して紹介されているから、

作家O ヘンリー(1862~1910)作品中の、もっとも有名なひとつだろう。

……One dollar and eighty-seven cents. That was all.

(1ドルと80セント、それがすべてだった)で始まる短編。

そして、And the next day would be Christmas. …そして、翌日はクリスマスだった、と続く。

若く貧しい夫婦が、伴侶のためにと、

妻は自慢の髪を売って、夫は祖父の形見である懐中時計を質に入れて、選んだプレゼントとは……。

(と、筋をあからさまにするといけませんので、ここくらいにボカシますが)

ヘンリー作品の真骨頂である、皮肉ななりゆき、が結末に用意されていて、

でも。

夫妻にとっては、最高のクリスマスプレゼントだった、というほろ苦くもハッピーな、人生の〈真実〉を、読者は味わえる。

真実とは、本当に起こったこと(事実)でなくともかまわない、作家が嘘(虚構)をこしらえて、

人生や人間が、本来、こうで在ったらいいなぁ、と希求する姿でありまして、

文芸とは、そういうものを、読み観る者に与えなければ価値はない、と僕は思っています(かなり真剣に)。

昨日。

僕が、家人と楽しもうと購ったのが、れーずんくっきー(by藤むら)。

で、家人が、僕の好みだからと、テーブルに置いたのが、みすゞ飴。

O.ヘンリー様に、勝手にあやかって、

ささやかな賢者の贈り物の夜、でしたとさ……。

では。

註☞ 賢者(magi、英語の発音は、メージャイ)とは、新約聖書マタイ伝の中、神の子(新しい王)の誕生を、星の動きで知り、東方から、贈り物をたずさえてやって来た、三人の博士のこと)

素晴らしき洋菓子屋の 巻。

年老いた僕の中で、

もはや、クリスマスとケーキは、セットでもなんでもない。

まるで、大掃除と年末がセットでないように。

(だれが、この寒風の中、精出すものか、そんなのは暖かい時にやるさ)

けれど。

― あぁ、ケーキ食べたくなっちゃったぁ、あたし、モンブランが好きなのよ。

と訴えられて、

― なにも、今日でなくとも、と返したくなるのを、グッと抑えると、

― スーパーかコンビニので、よろしいかと。
いやいや、コンビニもなかなか精進していて、クオリティが高いよ。

うーん、シャト〇ーゼは、ケーキはあまり自慢できないしねぇ、

などと、鶴首相談の結果、

某スーパーの横にかまえる洋菓子屋に行ってみることにした。

それが、クリスマス当日の、午後4時過ぎのお話。(僕は運転手)

で、訪ねてみると。

お店は閉じていて、それこそ真っ暗。

僕には、すがしすがしい笑いと感動がこみ上げてきて、しかたがない。

クリスマスに閉店してですよ、

しんみりと、ひそやかに過ごすケーキ屋さんが、あるなんて。

これこそは、

前投稿で僕が論じたところの、

世界的に稀有な、奇々怪々のクリスマスを過ごす日本文化への、孤立無援とも言える挑戦でありましょう。

結局。

家人は、お隣のスーパーで、ロールケーキをひとつお買い上げ。

僕も、とどこおりなくお相伴にあづかったのであります。

今日、職場で。

その話を、ジョー氏にすると、

彼は、前日のイヴまで、死に物狂いで働いたであろう従業員を休ませた説、を主張するのです。

さて、読者諸氏のご説は、いかがでありましょう?

では。

神の子なしのクリスマス。

クリスマスとは、もともとなにを祝う時季か?

……などと、今更、野暮な話はする気はありませんが、

これほどキッパリと、自分たち、要は、人のためだけに過ごすのは、我ら日本人だけだろうな、といままで、気恥ずかしく思ってきた。

1900年頃、いまから 120年以上前のこと。

東京府下、京橋にあった(今もある)某商店の、歳末(に近い)売り出しに利用されて以来、ずっとそのままの性格でやって来た日本を。

リバプールFCでプレイする、サラー(エジプト出身)が、いつだったか、この時季に自宅で過ごす家族の様子を、SNSで公開したことがある。

その時、居間にクリスマスツリー(らしきもの)が飾ってあるのが、映し込まれていて、それを観た人々の反応のひとつは、

おいおい、それ、まづいんでは?、だったと記憶する。

出身地からして、ムスリムとの信仰的な兼ね合いは、どうなの?、という心配なんだろう。

まぁ、これが世界標準の反応、感想なんだと思う。

しかし、最近。

僕は、日本人独特の、〈神の子のいない祝祭〉は、

実は、世界に対して、表明、刻印しておくべき重要な年中行事に思えてきた。

日本および日本人が、この島国にあって、地球で安全に生き延びるためには、

……普段は、だいぶ不可解で奇妙なところが多いけれど、平和を愛好する人々である。
ところが、ひとたび、かれらを圧迫、侵害したら、それはそれは狂信的で、徹底的な反攻と攻撃を受ける……。

そういう民族と民衆であること(と思ってもらうこと)が、極めて大切だ。

日本に手だしをすると、こっちがヤラレル、そういう定評が。

であるから、世界一般には理解できないような、クリスマスの過ごし方は、

我々の〈不可解さ〉〈ユニークさ〉を際立たすため、

今後も続けるべきならわしのひとつ、でありましょう。

では。

冬のゲーフラ (後楽園ホール行 2024.12.16)

サッカーの旗は、既にたたんだ。

けれど。

先日は、別のゲームでゲーフラを掲げた、というお話。

場所は、約5年ぶりの後楽園ホール。

同じ夜。お隣りの東京ドームでは、

スノーマンのコンサートがあって、水道橋駅から行きも帰りも群衆の中を辿る。

実は、〈スノーマン〉とは何であるのか、数週間前に知ったばかり。

どおりでこういう客層が多数押し寄せているのか……。

僕のお目当ては、メインイベントの、

東洋/太平洋女子ライトフライ級王座決定戦(タイトルマッチ)

それがトリで、

その前に、8つ試合が催され、18:00の開始。

この夜。

全プログラム終了が、21:00を少し回ってまわっていたので、

みっちり3時間を、休憩もなく、リングを観続けていたことになる。

ゲーム前、僕のお隣に、女性のお二人連れが、着席した。

近いほうの御方、かなりのご高齢にみえる。

軽く、よろしく願います、と挨拶。

一見すると、汗と血しぶきが飛んできそうな、リングサイド近くで観戦したら、具合悪くなるのでは?

……といった要らぬ興味が湧いて、二言三言、会話する。

そしたら、連れの方について来る、とはおっしゃるものの、

なんのことはない、けっこう頻繁にここに足を運んでいいるとか。(川崎市ご在住)

僕など足元にも及ばない、ボクシング通なのだ。

で、僕の斜め右前には、楽しいヤジを飛ばす、中年男性。
(元プロボクサーで、一次は、ヤジが過ぎて、ホール出禁の身分だったとか)

観客を引き込んで、選手に声援を仕立てたりで、気が利いていて、

しかも、応援する選手へのアドヴァイスが、テクニカル的に、本当にそうだよなぁ、と納得させる。(昔はボクサーだもんね)

つまりは。

1,400人が座れるホールが、そこそこ一杯になって、

いろいろと役者がそろった、リング間近の指定席で、プロボクシングに浸った夜でした。

僕のお目当ての選手は、

後で聞いたら、自身の引退試合の位置づけだったらしいけれど、

8ラウンドフルにやって、惜しくも、判定で敗戦、の結果。

まことに残念でしたが、それはそれは、観ていて、緊張しまくりのグッドファイト!!

彼女はファイター型のボクサーなので、もっと飛び込んで左パンチで勝負したかったんだろうけれど、相手の軽快なフットワークと、手数の多さに苦しんだ感があった。

身長差(相手が低い)も裏目に作用したかも知れない。

パンチは、やはり、水平に繰り出すのが、体力の消耗がもっとも少ないのでは? (もちろんすべて素人の感想)

きつい減量(6㎏の)をして、階級を下げて闘うのは、こっちの想像以上の苦しさだったでしょう。

でも、いいものを魅せてもらいました。

若者が、(セコンドと声援はあるけれど) 孤立無援のリングで、あれほど、実は、

自分と格闘している姿は、そうそうみられません。

帰途。

水道橋駅前で、信号待ちをしていると、

たまたま、当夜の第6ゲームで、TKO勝ちをした選手がすぐ前にいた。

― おめでとう、いいボクシングでした (冷静な)。
これからを、期待してます。

人垣をかき分けるような握手になってしまったんですが、

振り返って、ありがとうございます、と応えてくれた彼には、

あのリング上の勇姿然は、まったく感じられず、

どこにでもいるような、好青年がひとり、優しく微笑んでいた……。

では。