サッカー讃 落胆篇(2020.12.13 @南長野)

山雅が甲府の地で闘っている頃、読者ご察しのとおり、萬年は、南長野に居たのです。

長野 vs 岐阜。
後半、岐阜は圧倒的に攻めたてた。
中島 賢星のミドルがポストを叩くなど、決定機を演出したけれど、遂にゴールを割れず。

0 – 0 のドローで、終了の笛が響く。

結果、最終節を残すものの、上位2チームとの勝ち点は縮まらず……。

昇格が九分九厘潰えた※ことを悟るファンサポーターの無念で満ちるアウェイのゴール裏。
(※次節、長野と相模原がともに負け、かつ、岐阜が10点差くらいのスコアで勝利しない限り)

他人の喜怒哀楽に同調することの乏しい萬年ではあるけれど、ほとんど声も出ない静寂にあって、我が山雅もいつか辿ったような道だよなぁ、これ、と思っていた。


ゴール裏への挨拶時、掲げられたゲーフラを見ることもなく、フォワード#9は、数秒間深々と頭を下げるのだった。

―高崎も前田(遼一)も、本来の力を出せなかったね。
ボールがあんなに繋がらないなんて、と家人。

―あぁ、たとえば、ヘディングでの行ったり来たりが5~6回も続くってのが、J3の戦い方の象徴だよ。
ほかには、GKにやすやすとキャッチされてしまうクロスの質とか。

サッカーは決して独りでやるもんじゃないってこと、普段観ているディビジョン2のクオリティの高さ、そんなことを体感できたのならば、南長野遠征は大いに価値があった、としておきましょう。

でも、チーム岐阜とそのファンサポーターよ。
たとへ一縷の可能性であったとしても、それを追い求めよ。

では。

サッカー讃 歓喜篇(2020.12.13 甲府戦レビュウ)

駐車場まで来て車に乗り込んだ時、中銀スタジアムの京子さんから、どっ疲れ、勝ち点3 ! 、のメールが入る。

外で夕食をとってから帰宅すると、冷たい身体がじわじわと温まるのを感じながら、DAZNで、後追い観戦した。

〈塗り替えられたベストゲーム〉
節が進むごとに、今季ベストゲームが更新されるのが理想。

今節は、前節に続き、再びベストを塗り替えたゲーム、という感想だ。

前線からのファーストディフェンス、最終ラインから中盤(ボランチら)を経由しての、前線へのボールの配球。
攻撃にシフトした瞬間、多数のタレントが競り上がっていく迫力。
特に、両サイドを巧く使った、相手ディフェンスの崩し。
クリアボール、縦パスを、相手FWに競り勝って着実に回収する……などなど。

画面を観ていた家人が、
―いつかの湘南みたいな、人が湧き出てくるような攻撃ね、とつぶやく。

苦悩したシーズンでも、ここまで突き詰めてチームと戦略が一体化されるとは、これこそ、ファンサポーターへの最大の贈り物でありましょう。

〈爪を隠しつづけたヴァンフォーレ〉
DAZNの難点のひとつは、実況と解説の音声をOFFにできないことと日頃思っていて、昨日のような、ゲームを物語化したい解説だと、なおさらその不満がふくらんだ。

前後半の出来を、特に山雅側から、前半はグッド、でも後半は失速、と解く。
けれど、その解説ほどには、そのパフォーマンスに落差などない。

これは山雅が、カウンター攻撃狙いのファーストディフェンスの強度と位置を、チーム内で意思疎通を図りながら加減、つまりコントロールしていたから、一見そのような印象があるに過ぎない。

思うに、解説の彼は、ヴァンフォーレが後半、手を変え品を変えて対策してきたことを、印象づけたかったに違いない。

でも、途中投入した#6野澤に、ボランチなのかシャドウなのかが不明確な役割を与えているようでは、そこにゲーム革新はない。
ここでは、#14武田 將平との機能分担をはっきりさせないといけなかった。

加えて、あわよくば個人の器量でゴール、といったような攻撃スタイルは、再現性がかなり低くなってしまうように思います。

4位につけ、負け数が山雅の半分の7つ。
リーグ屈指の強靭さ、それを山雅の前に披瀝しないとは、やはりアンフェアではないか、佐藤伊藤監督。

相手の攻撃圧力にうろたえた?、まさか、そんなことなの?、敗因が。

熱意のない対戦ならば、〈信甲ダービー〉なんて、もはや死語にしましょうよ。

最後に、萬年的視点による、MIPは、鈴木 雄斗。

ファールをもらいながら、当日のジャッジ基準と傾向値をあからさまにしてみせた、という殊勲によって。

では。 (サッカー讃 落胆篇に続く……)

むしろコーチの件を。

柴田 峡氏が、このまま来季も監督として指揮を執ることが発表された。(12/12)

こういう事案には是非もなくて、決まったからには支援するのみ。

内部事情も承知しない者が、したり顔で論ずるのは笑止千万。

当方は、誰に頼まれたわけでもなく、勝手に生活の中に山雅を取り込んで楽しんでいる身。

戦績などに一喜一憂し、思うことあれば口にもするけれど、
山雅のために戦うプレイヤー、汗を流す組織、ともに集うファンサポーター、そういう人々が当地の日常に在ること。
―それをいちばん大切にしたい。

ところで、監督はともかく、これだけユース年代が着々と育ってきている中で、U-18監督だった西ヶ谷 隆之氏を、トップチームのコーチへ強引に引っ張ってきている現状を、なんとかしないとなりませんよ。

では。

なんとなく グリーティングの頃。

喪中により云々、の葉書も、そろそろ一段落しただろうか。

今年も、何通か届く。

特別のホリデーシーズンもない、年末年始がまたやって来る。

グリーティングカードのやりとりもだんだん減って……。

といっても、別に、寂しくも残念でもない、のですけれどね。

ただ、こんな曲を、ふたたび聴きたくなるような日々。

題名の、 It Doesn’t Have to be That Way とは、あんなのは おかしかないかい? という決まり文句なんでしょうね。

―僕たちが別れてしまうなんて、間違ってるんだよ。
寂しい男の背中が、見えるだろう?

クリスマスの季節、元の彼女とよりを戻したい男の未練を切々と……、そんな歌詞です。

果たして、この作戦は、巧くいくんだろうか?
相当に悲観的っぽいところが、曲の魅力でしょうけれど。

では。

 

甲斐だより (小淵沢あたり篇) 

かつて、単身赴任で数年を、山梨県(中央市)で過ごした。

その頃、手持ち無沙汰もあってか、休日、近くに出かけた感想などを小文にして、友人にメールしていた。

題名を〈甲斐だより〉と称して。


註:杖突峠より見る八ケ岳連峰 (2020.3.26)

先日、オフが家人と揃ったので、気晴らしをかねて、小淵沢あたりまで出かけて行った。

小淵沢ICを降り、そこらをうろうろしてから、次に、一般道を長坂まで走る。

八ケ岳、茅が岳、甲斐駒、北岳、それに富士。
贅沢な眺望だ。

昔の記憶と標識をたよりに、長坂ICの近くまで行って、オギノ(スーパーマーケット)に入る。

遠出の時は、地元のスーパーマーケットをひやかすことにしていて、今回もいろいろと興味深かった。

スイーツと、店内調理の惣菜など、かなり興味を惹かれたけれど、そこでは、澤田屋のくろ玉をひとつ、調達する。

家人としては、別にお目当てがあったのだが、今回は果たせず。

そのかわりに、八ケ岳山麓で採れたトマト(ミニサイズ)を入手したようだ。

帰宅後、薦められて食したのだが、これが、かなりの優れモノなのだった。

皮が厚いこともあって、その甘味ともども、ずっしりと味に迫力がある、という感じ。

みると、フルーツトマト〈フルティカ〉の名。

トマトはアンデス高地の原産というから、標高1,000mのあのあたりで栽培するのが本来なんだろうな。

……と、毎年酸っぱいトマトしか育てられない萬年さんは、感心しきりである。

では。