平穏であること。

The Band (1967~1976年)の、音楽的な極みは、アルバム『Northern Lights – Southern Cross』(1975年発表) のあたり、と思っている。

ついでに言うと、ボブ ディランの『Planet Waves』(1974年)で披露したバック演奏も、同じように最高な出来だ。

アルバム『Northern~』(日本名タイトルは、南十字星)は、是非、この時季、厳冬に聴くことをお薦めしたい。

さて、今回の『Christmas Must Be Tonight』。

アルバム『Islands』(1977年)に収められた曲。

このアルバムは、バンドとしての絶頂の後、どうもレコード会社との契約上発表せざるを得なかったもののようで、なんだか気抜けしたような仕上がりで不評だったためか、あまり注目もされない。

そのあおりを受けて、ほとんど話題にならない曲のように受け止めて聴いていた萬年。

でも、なかなか味わいのある曲で、けっこうカヴァーされているようだ。

今年は、バンビのクレープをほおばりながら、静かに、この曲を聴いている。

では。

 

戦いは 終わらず。

今年、当地の日の入りがもっとも早かったのは、12月5、6日の 午後4時33分。

以降、日没はすこしづつ遅くなっていて、その変化を、夕暮れ時の明るさとして感じる読者もいるに違いない。

いちばん寒い時季を前に、夜の帳が後ろに行くことを、わづかの慰めにしている萬年。

ゲームの笛が鳴るのは、あと2箇月先のことだが、ファンサポーターの戦いに中断はない。

自分の中の哀歓との戦い、というやつ。

プレイヤーの出入りを確かめるべく、しばらくは公式ページを見返す日々が待っているのだから。

昨日も、完全移籍によるふたりの加入と、ひとりのレンタルバックの報に接した。

田中パウロ淳一かぁ、いいではありませんか。

山雅は、対戦して厄介だったタレントを、やはり狙いますねぇ。

すべて20歳半ばの、伸び盛りのプレイヤーたちなのも愉しみが増す、というもんだ。

まぁ、やがてリリースされるであろう流失に備えた加入、という寂しさもあるが、これを楽しめないでは、ファンとも言えません。

鐵っちゃん(強化部)、期待してますよ。

では。

昇格と故郷 の話

―福岡がね、トップリーグに昇格を決めたよ。

―アビスパのことやろ?、まぁ、どうでもいい、って感じ。
たとえギラバンツでも、北九ではほんと、マイナーです。

―ふーん。

―福岡と北九州では、そんなかな。
ただし、ソフバン(※プロ野球のソフトバンク)となると、分け隔てなく好きです。
こっちでは、松本と長野がやはり、仲の悪い街なんでしょう?

―反目し合っている、って訳でもないと思うけどね。
ところで、福岡/北九州は、下道で、車だとどのくらいかかるの?

―国道を走ると、2時間半くらいですかね。

―なるほど、松本/長野と似たり寄ったりの距離なんだ。

で、ジョー氏との会話は、この後、北九州発祥の〈資さんうどん〉(すけさん)の話題に移り、
さらには、『喝采』を作詞したのは、北九州の若松出身のお方である、という話になっていくのであった。

……、みたところ、ジョー氏はいまだに故郷北九州に格別の思いを抱く。

松本で見上げるこの空は、ずっとかの地まで続いているなぁ。

なんてことを想いながら、米国西海岸の陽光が溢れる曲『Ventura Highway』を聴く。

アメリカ(バンド名)による、1973年の楽曲。

では。

 

 

獅子の悲嘆 (2020.12.20 長野 vs 岩手)

前節の対岐阜戦、南長野にお邪魔した義理もあるので、最終節もおつき合いせねばならない。(なかば義務感です)

息子のメールには、―長野って ほんと持ってないよね、とあった。

ゲームは、0 – 2で決着。

結果、長野は、勝利した相模原にかわされて3位に落ち、ディビジョン2昇格を逃した。

相模原の動向次第では、たとえ負けても2位確保の可能性有り、という意識がチーム長野から必死さを削いだ、とは、精神論者でもない萬年には思われず。

そういった追い詰められた状況とは無関係の、それぞれのサッカースタイルのせめぎ合いが、ゲームを決めた、と感じる。

〈時間の使い方の巧拙が ゲームを決めた〉
ゲームは全体的に、長野がより多くチャンスメイクして進んだが、最後の詰めを欠く。

中盤(ボランチの岩沼など)からの縦パスを中央に入れるところから攻撃にスイッチをオンにして、そのまま中央を割ってシュートまで持っていく。
あるいは、いったんサイドへ持っていって奥までえぐり、クロスに合わせて飛び込んでくる。
―長野の得点は、これをスピード豊富にやり切るとことから生まれる、とみる。

で、当初は対応に手こずっていた岩手であったが、やがて長野の攻撃を抑止することに成功しはじめた。

ひとつは、長躯なDFがズラリと並ぶことによって、中央やサイドから入ってくる長野のプレイヤーとボールをひたすら弾きかえす。

ふたつめは、長野のサイド攻撃をタッチラインへと追いやること。
これを徹底して、反転攻撃のチャンスをうかがった。
(岩手はシュート3本で2得点、という効率的な攻撃を披露)

勝機の分かれ目は、サイド攻撃の際、ボールを回して時間を作れたかどうか。
岩手にはそれができて、長野にはそれがなかった。

つまり、サイドで時間を作っている間に前線に入ってくる枚数を多くするやり方。
スピードを持って直線的に勝負をしていく横山サッカーには、もともと装備していない戦法だったのかも知れない。(ないものねだり)

最終節での逆転は、むしろ相模原の粘りを称賛すべきだろう。

DAZN画面からの印象では、ピッチ上のプレイヤーよりはむしろ、観戦者のファン&サポーターに悲嘆の色が濃いようにみえたのは、カメラによる印象操作のゆえに違いない。

では。

やけに淡々と (2020.12.20 愛媛戦レビュウ)

2 – 0 の勝利。

それも、(杉本)太郎による2得点が観られたゆえに、心中こんなにも平静なんだろうけれど、自分の心の中で、リーグ戦がやけに淡々と閉幕したことに、すこし驚いている。

〈どうして、こんなに淡々なんだろう?〉
おおかた予想通りにゲームが展開したから?

ほとんど零度の中、寒さに縮こまりながらの観戦だったため?

挽回したものの、せいぜい13位どまりの戦績のせい?

来季、チームに、このクオリティ(とプレイヤー)が保たれているのか、との大いなる不安のゆえ?

勝利へのぶざまなまでの執着を、あまり感じさせない愛媛FCの雰囲気から?
(ただし、岡本 昌弘をのぞく)

はたまた、信州ダービーは遠のいたので?

そのどれもが、軽重はことなれど、原因であるに違いない。

そして、どれもが自分の手に負えないことがらばかり。

こうして、短いオフの一喜一憂に、時間がすべり込んでいく……。

〈相手に左右されない攻撃性 が課題〉
カウンター攻撃の発動は堪能できたんだが、中盤あたりで手中にしたボールが、どうしても引っかかってしまう。
当方は(そして相手も)、微妙なところで、パスがずれてしまう。

それが、山雅として球際に厳しく、敏捷に連動しているからこそなのか、あるいは、なすべき仕事が中途半端の結果だったからなのか。

おそらくは前者、と思いたい。

地上戦とロングボールを織り交ぜ、シュートへの意識も高く、ピッチを存分に使えていたのだから。

特に、佐藤 和弘を経由しながら前進する攻撃には、安定と迫力が増していた。

愛媛にしたって、時折、巧みにボールを動かして山雅ゴールに迫る。

ただ、愛媛は、あれだけピッチ上にプレイヤーが、ほとんど均等に散らばっていては、互いの距離がどうしても遠くなってしまい、ここぞ!という時に攻撃圧が加えられないのでは?、と思って観ていた。

それと、山雅ボールホルダーに対し、あまり厳しく寄せて来ない。

ある種の〈緩慢さ〉にふっとつきあってしまうようなところが、山雅のアグレッシブさを減じたような時間帯もあったように思う。

もちろんゲームは相手の出方次第の部分があるけれど、軸のぶれない、再現性の高い攻撃力(=得点力)、これこそ、来季どうしても上積みしたいところでしょう。

対戦チームのスタイルや特色がどうあったとしても。

なにせ来年は、リーグ戦46試合を戦い抜かねばなりませんし。

……と、なんとまとまりのないことで恐縮ですが、まづは、共に戦った同志たちに感謝とお疲れさまを。

では。