滅び急ぐ者 『デリンジャー』など。

美は、滅びゆく者の側に存す。

新興勢力が成熟した端正な美しさで魅せる、なんてことはあまりない。

Jリーグでやっと9年生の松本山雅は、だから、その稀有な例だ。

映画『デリンジャー』(Dillinger、1973年米)は、秋の東京で観た。

ウォーレン オーツ(Warren Oates)も ようやく主演を獲ったか……、
そんな感慨と一緒に暗闇に座った萬年。セーターを着ていた憶えがある。

1930年代の米国。
銀行強盗を繰り返す青年ギャングの群像を、その末路まで描き切った作品。
上映時間107分にまとめたのは、監督(脚本も) ジョン ミリアス(1944~ )の手腕。
ミリアスは、『ダーティハリー』『地獄の黙示録』のシナリオも手掛けている。

ギャング一味のひとりとして、ハリー ディーン スタントン(Harry Dean Stanton)が出演していたのだが、萬年の記憶からはまったく消し飛んでいた。

田舎の道端で、農民たちによって無様にトドメを刺される役柄。

そのギャングと、『パリス テキサス』(1984年)の冒頭、埃まみれで現れる髭面の中年男(主人公)とは、僕の中で、つい最近になって結びついたわけ。

(『エイリアン』(1979年米)で、機関士ブレットを演じたハリーに馴染みが多いかも知れない)

ハリーはまた、歌手としても堪能だった。
かつて沖縄戦に従軍した彼は、2017年に91歳で亡くなったが、その歌声を聴きながら偲んでいる。

では。

それが 良識……。

9月入学、つまり、9月に新学年が始まる制度の導入が見送りになったようだ。

きわめて常識、というか良識的な判断でありましょう。

4月に新年度が始まるのは、ひとり学校だけのことではない。
学制だけイジれば良い、というのは、まことに浅はか。

軽いアタマが言い出したつまらぬ事案につき合わされるなんて、政府や官僚は、なんともお気の毒。

それでも政府は、海外留学の利便性もあるゆえ、長期的に検討していく、との報道が目につく。

やる気もないのに、とってつけたようなエクスキューズをするのはいけません。

全体の8割が、外国の学校を志向するような世情なら別だが、一握りの者たちのために、日本の学制全体を変えるとは、正気の沙汰じゃない。

フィリピンや南韓のように、米国在住権の取得願望が抜きがたい国民性でもないのだから、そんな世界は来るはずもないのに……。

では。

立原 道造 のタッチ。

立原 道造(1914~1939、詩人)は、東京帝大工学部建築科の卒業。
新進建築家としてデビュウした矢先、肺結核によって他界した。
信濃デッサン館(上田市)には、彼に関するささやかな展示室がある。


原稿用紙に書き込まれた詩文 (1934年11月頃の作)。



秋元邸新築外観デッサンと、平面見取図 (1938年5月6日)。

撮影禁止だったが、そこは倫理観乏しき萬年のこと、かまわずに盗み撮った。

ひっそりと小さな住居の考え方は、当時でも異色だったとは思うが、80年経ってさらに魅力的だ。

デッサン館はけれども、今は無期限で休館中であるから、読者諸氏に来館をおすすめできないのが、まことに残念なのだ。

では。

開田高原は、今。

地蔵トンネルを抜けて高原に入る頃に、雨が静かに降り出した。

シラカンバの森も、フキの葉も、濡れる。


湿原の中、たっぷりの水が流れ下る。
川底は、御嶽山が吹き上げた火山灰の、黒い地質。

訪れる人は少なく、まるでシーズンが終わるころの閑散。

開田を楽しむには、こうでなくちゃ……。

では。

はるか此方の 野次馬よ。

野次馬の語源は、おやじ馬、との説あり。

もはや役立たずとなった老馬が、その責任のなさのゆえにむしろ、世の事象についてやたらコメントをしたがる、というのがその真意らしい。

ポリスによるアフリカ系青年の殺害をきっかけに、全米に沸き起こったデモや暴動。

そうしたら案の定、太平洋のこちらでは、無責任なコメントを、さも良識派であります、とばかりに言う連中がわいてきている様子。

不当な差別への抗議と、略奪とは全くの別物。前者は容認できるが、後者はご法度だ、云々とか。

抑圧されたエネルギー奔出の実相を、火の粉を浴びないような場所にいて、さも訳知り顔で言ってくれるよ、まったく。

自分で手を汚す覚悟もない評論家ばかりなのか、この国にあるのは。

では、ごめんください。