優しさと皮肉と『卒業』(1967年)

映画の原作(小説)を書いた、チャールズ ウエブは、昨年6月に、81歳で亡くなった。

監督は、マイク ニコルズ(1931~2014年)

(彼の作品ならば、実は『キャッチ=22』(1970年)のほうが好みです)

メガホンをとった当時、マイクは 35歳。

自身が既に青春の真っ盛りを過ぎていたためだろうか、自分より少し若い年代への兄貴分的な優しさが、この作品には漂っている。

そして、主人公とミセス ロビンソン(アン バンクロフト)の情事は、醒め切った眼で描かれた。

〈和解のない〉世界を、親しみと、苦い皮肉を織り交ぜて撮る姿勢。

それが作品を、魅力的なコメディーに仕立てたな、と思う。

萬年は、作品を観た当時、米国の東海岸アイビーリーグと、ウエストコーストUCLAの、雰囲気のおおきな違いを感じておりました。

原題『The Graduate』とは、卒業生のこと。
それを卒業、と訳出したのは、かなりのセンスですよ、これ。

目標のない怠惰な生活からの卒業、という結末をも暗示していて見事。

ラストシーンは、とみに有名。

バスに乗り込んだカップル(ダスティン ホフマンとキャサリン ロス)の将来がかならずしもバラ色でないことを暗示するため、監督は、カット!の発声を、敢えて遅らせることで、俳優が見せる独特の表情をとらえようとした、といいます。

主人公が画面の向こうに去っていく、ってのは、チャップリンも多用したように、もともとハッピーな終わり方ではない。

ならば、そのラストを楽しみながら、検証してみましょうか……。

 

 

では。

テストマッチも三度目で (対エスパルス)

昨日の昼間、京子さんから家人に、

―  公式の発表はまだないけれど、1 – 4 から、立て続けに3得点! で同点、とメールが入ったようだ。

どうも、エスパルスの公式ツイッターを追いかけていたんですね、京子さん。

トップリーグの下位で奮闘するエスパルスとならば、自力に圧倒的な格差もないから、それなりのゲームができるんじゃあないか?、の予想どおり。

そこそこの展開だったようだ。

こちらのオウンゴールもあるから、実際は、5 – 3 だね。

山雅はメンバーを開示しないのでなんとも言えない部分もあるけれど、ラストの3本目(45分)で、イーヴンに持ち込むってのは、気持ちがセイセイする。

若手が得点してアピールしているし、30mのループシュート、あれは、小手川が放ったのか。そういうアイディアっていいね。

ゴールを畳みかけるのは素晴らしいが、並み居るフォワード陣にも得点がほしいところ。

さらに、チト心配な点は、4バック時に失点が重なったこと。

それを、3バックに変更したら改善されたようだけれど、なんとしても、4 – 4 – 2、もっと攻撃的に、4 -1 – 4 – 1 くらいはモノにしてもらいたい。

ところで、永井 堅吾とは、このテストマッチでは対戦がなかった様子。

あと、2週間と少しで開幕。

実戦に投入するメンツの絞り込みが、いよいよ本格化するんだろうな?

では。

夢の名残りに (セルジ―ニョと)

セルジ―ニョの契約満了が、2/7、公式にリリースされた。

契約の裏話などは、この際、どうでもよくて、彼のようなクオリティが、4シーズンにもわたり山雅戦士でいてくれたことが、むしろ出来過ぎ。

違いを演出するテクニカルなプレイを、僕らはずいぶんと楽しませてもらった。

山雅史上、最高のパフォーマンスを披瀝した外国籍プレイヤー。

いい夢をみられた、と思うべきでありましょう。

だから、セルジ―ニョを呼んできた編成関係のスタッフはずいぶんと良い仕事をしたのだ。

ここでは、萬年式の、メモリアルなベストパフォーマンスを、三つ挙げて、心からの感謝を伝えたい。

❶2017.7.12 天皇杯3回戦におけるゴール
山本 大貴からのパスに反応、ペナルティエリアへ斜めに侵入すると、ツータッチで打ったシュート。
バーを叩いてのゴールは、見事だった。

❷2020.12.6 第39節ホーム新潟戦におけるアシスト
55分、阪野のゴールをお膳立てしたシーン。
常田から出た縦パスを、スルーすることで新潟ディフェンスを置き去りにして阪野に繋げたプレイ。
ボールを持たずして、決定的な局面を創ってみせる腕前。

❸レフェリーへの無言の抗議
特にオフサイドなどの判定に対し、ルールに抵触することなく、けれど、不満を訴える視線。
こういうのは、ゲームをこちら側に引き込む伏線を作ってるわけで、重要な仕事。

Boa sorte ,  Serginho !

ご縁があれば、またいつの日か。

では。

ホンネを申せば、

という題名エッセーの、受け売りではありませんよ。

オフレコの、内輪で話すようなことをおおやけで発言して、オリムピック組織のリーダーが吊し上げを喰っているらしい。

寄ってタカってここぞとばかり攻めたてるのは、いただけないけれど、内々と公言の使い分けをしない、できない、という無頓着は、もはや許容されなくなったのだ。

議論をかもすような内容は、かなり上質のオブラートに包んで発声しなければならない、とは、生きづらいことだ。

ただし、指導者の舌禍があったので、ボランティアをやめる、聖歌は持たない、というのは、あまりに浅薄な反応で論外でありましょう。

先の失言に戻ると。

男性は~、女性は~、と四角四面の入り方をしないように迫られ、かつ、その価値観を内面化して発言、行動しないと、リテラシー欠如の烙印を押される、今。

でもね、違いを認めたうえで平等に、ってムシがいいよなぁ、と萬年思うこともある。

ビジネス上で、女類らと接していると、形勢が悪くなると、とたんに〈女〉に逃げ込むようなお人やシーンを見てきた。

まぁ、こういう時は、あぁ、持てる武器を全部使っていらっしゃるんだと、その奮戦を認めて、楽しむことにしている。

反面、男類は、使える武器を、カードとして出し尽くした感がありますなぁ。

では。

一喜一憂は 常なれど……。

― ねぇ、1 – 8、ってあんまりじゃあない?

今朝、書斎に入ってくるなり、寝惚けまなこな萬年に、こう言い放った家人。

― 合計80分(45/35) ×  2 本を、総出でやったからには、これもありなんでは?

― それは、相手にしたって同じことでしょう?

― いや、最後の40分の、1 – 4 がスコアに大きく影を落としているんであって、この対戦メンツの詳細もわからないでは、軽々にモノは言えませんよ。

とは、いっても、こちらは無得点で、相手に、1点、2点を獲られているのが、他のパート。

仕上がり状態も含んで、それが現在地での実力差、といえましょう。

今回の結果を酷評するのは自由なんだけれど、みづから発したネガティヴな言葉が、みずからの気持ちを更にネガティヴにしているとなれば、少々辛い。

城福サンフレッチェであれば、100% 3 – 4 – 2 – 1 を採ってきたであろうゲームにあって、当方は、4バックを試行したものと、萬年信じている。

となれば、必然、こちらから仕掛ける流れに持ち込まないと、ゲームの狙いが成立しなくなるはずなんで、そこのところばかりが大いに気になっています。

失点は、攻め込んでのカウンター被弾であったかどうか?

攻め込むための戦術やカードが磨けたのかどうか? ……、ということ。

結果として、無得点であったことは、まだまだ課題が多いんでしょうし、課題が在るからこそ面白い。

根底部分での実力差を、山雅の対戦成績でみると、トップリーグ経験チームの中では、

川崎、FC東京、横浜FM、柏、ガンバ大阪、サンフレッチェ。

この6チームには、過去勝利がない。

ここらから、勝ち点3を獲れるチーム力、それを2021年で蓄えていって、2022年で証明する、というのが手近な目標ではありませんかねぇ?

では。