ホームベースは空けておく。

4年前、職業野球ではルールが変わり、キャッチャーがホームベース上でブロックすることが禁止された。
三塁線上に立てなくなり、ホームへ駆けこんでくる走者(の足または手)へ、ミットを差し出すようにしてタッグ(触球)する。

それ以前、キャッチャーはボールを持っていれば、ホームベースをブロックしてよかったけれど、その時でも、ベースの一角を空けておくのがルールだった。

走者に生還の道をすべて閉ざすような行為、たとえば、ベース上に覆いかぶさるような守備は許されなかった。

いまの風潮を眺めると、窮地に立った者を徹底して追い込んで、息の根を止める。
それを面白がっている感さえある。

生還のために、ベースの一角を空けるような仁義が社会全体から無くなってしまったかのようだ。

選挙において金銭をばらまいた、というが、むしろ受け取った方の腐敗に目が行ってしまう萬年。

こうなったらほんと、悪として糾弾される側に立ちたくもなる。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より (6/20 15:53)
無理矢理、押し付けられたので。
贈収賄と言うのは、互いに公務員でないと成り立たないのだろうか。贈賄側は大きく取り上げられるけど、収賄側は、特に一般人だったりすると、あまり取り上げられない気がする。悪質性が少ないということかな。悪代官も越後屋も平等に裁いてほしいものです。

我が家では、困ったもので、加害者が突然裁判官に変身する。そして被害者である私が断罪される。冤罪を主張しても受け入れてくれない。これでは、一生家庭と言う刑務所に服役してるようなものではないか。自由と三食は保証されてるのですが…。
では、また。
☞萬年より (6/20 16:13)
受け取っておいて、それを漏らす、ってのが卑劣に思えてなりません。
素晴らしき結婚は、盲目の妻と、耳の不自由な夫の間に生まれる。
……、とモンテーニュは言っていますが、どうなんでしょうか?
では。

東京に、讃歌を。


よく考えてみたら、東京にだって、讃歌はいくつも捧げられてきた。

なぎら 健壱『葛飾にバッタを見た』(1974年発表) なんかは、そのひとつ。

かつて『悲惨な戦い』中で大いに茶化されたのに、今や、なぎらを使う某公共放送であるから、そのうち、年末の歌番組に、バッタを見たが歌われるかも知れない。

さて、本題。
1971年、はっぴいえんどは、消えゆく古き東京を惜しみながら、曲をひとつ仕上げた。

それが、『風をあつめて』(アルバム『風街ろまん』に収録)。

それから、半世紀経って、米国の若いミュージシャンがそのまま日本語!でカヴァーしてくれるとは……。

では。

〈コメント〉
☞つーさんより   (6/19 6:19)
あ、見つけた
某放送局でたまに面白い番組を観ると、思わず「流石天下の○○K」と、メロディ付きで口ずさんでしまうのだが、その度、奥さんに睨まれる。出どころはそこだったのか、スッキリしました。
「葛飾にバッタ…」いいですね。初めて聞きました。あの映画の風景と重なり、また子供の頃、渡良瀬川の土手でバッタ取りに夢中だった頃を思い出し、なんとも懐かしい気持ちになりました。ありがとうございます。
では、また。

☞萬年より  (6/19 7:00)
長年の秘密のひとつが解決されて、なによりです。
決して、なぎら 健壱の才能を否定している訳ではなく、異端は異端であるからこそ多勢を堂々と撃てる、と言いたいわけです。
いぬいっちけーが、やたら異端をよいしょしてはいけません。それは他の者がやることでしょう。

希望? or 重荷? 【エゼキエル書】

エゼキエル(Ezechiel)は、紀元前6世紀に活動した、古代イスラエル王国の預言者。

彼自身が、バビロンに捕囚された者のひとり。
異国の地で、ヘブライ人を宗教的/精神的に指導した、とされる。

ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井画に描き込んだエゼキエル(1508~1512年に制作)は、キッと、横顔をみせて身構えていて、緊張がみなぎる。

さて、彼の手になる、エゼキエル書の第18章20節。

曰く……、子は父の悪を負わない。父は子の悪を負わない。義人の義はその人に帰し、悪人の悪はその人に帰す……と。

これ、当たり前のこと過ぎて、ピンと来ないか。

それほどに僕たち日本人は、ヘブライ社会が編み出した法観念の中に浸っている。

ただ、僕らが、血縁から解かれた個人主義社会に生きている、という意識をどれくらい深く持っているかは、けっこう怪しい。

自分次第で、自己の生き方と将来を選びとることができる。
―これを、希望と思うのか、重荷に感ずるのか。

せいぜい30歳を通過したら、今の自分は父母や祖先の仕業でこうなっちゃった、と言い訳は通用しないでしょうね

では。

〈コメント〉
☞つーさんより (6/18 16:09)
親孝行したい時には父は無し

いよいよ実戦回帰。(J2リーグ戦日程決まる)


6/15、再開版のゲーム日程が山雅公式上にリリースされた。

❶12/20までに、残り41ゲームをやり切る覚悟。
日程を眺め、そのシビアさを今ぞ思い知る。
できれば、全部を消化したいもんだ。

❷平均すると、4.2日毎にゲームが来る。
本来ならば、6.2日に一度だったのだから、J2は、ホント苛酷。

❸水曜開催が、15ゲーム。
これらは、季節に関係なく、ナイトゲーム。
反対に、デイゲームは、最大で16試合。
となると、(夏季を含め)ナイトゲームは、計26で全体の 63%。

さて、2節(アウェイ金沢)、3節(ホーム甲府)は、無観客。
まぁ、これはもうどうでもよい。

それ以降に、智恵と工夫が試されるのだ。

アルウィンは収容率でいくのか、観客数上限でいくのか?
待機列、シャトルバス運用、入場時の体調把握、感染予防処置、席種変更、応援スタイル、等々。
さらに、アウェイ参戦可否。

クラブが鋭意取り組み、追って沙汰があるはず。
その際、最大限の協力/共闘を惜しまず行動しよう。

それが、チームを〈勝たせる〉ことに通じるのだ、同志諸氏よ。

では。

 

 

リニューアルのポンチョは 良き。

2012シーズンからずっとお世話になっている現在のポンチョ。

首元、裾あたりが裂けたので、ビニールテープで補修して使っていたが、この機会に更新しようかと、石芝へと出かけていった。

―写真だけでは不安だったけど、丈もキチンと長くて十分。材質(ポリエステル繊維)が柔らかくて着やすい。 (試着した家人評)

……、ということで購入を決めた。

萬年的には、デイバックを背負った上から着用できるゆったりめはありがたい。

畳めば、けっこう、コンパクトである。

本体の胸と、収納バッグに配されたエンブレム。

たとえば単色のシルヴァー、でもよいんだが、律儀にフルカラーとは。
こういうところ、おおいに振る舞ってますな。

で、あとは、今季これを着る機会がどれほどなんだろうか、などと心配しているのであります。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より (6/16 17:06)
滑り続けた話。
昔、得意先の女性店員さんと2人で、ガーラ湯沢に新幹線でスキーに行く事になった。生憎、現地は小雨模様。そこで雨よけに、当時スキー場で流行っていたピンク色のポンチョを買ってあげた。20才も年下の彼女には大変似合って可愛らしかった。私もポンチョを着てペアールック、スキーは大変楽しく過ごせたのだが、調子に乗りすぎたおじさん、帰りの新幹線の中がまずかった。ついビールを飲み過ぎ、かなりの絡み酒、口説き酒になってしまった。そう、新幹線の中で、スベってしまったのである。ただの「うざいおやじ」に成り下がってしまった。それ以来、勿論口も聞いてくれなかったのを覚えている。
ポンチョと言うと、そのことを思い出す。その後、スキー場でポンチョを見る事は無くなった。そして、私は今でも寡黙に、真剣にスキーに取り組んでいる。
では、また。

☞萬年より (6/16 17:50)
赤いヤッケ、ではなくて、ピンクのポンチョ、ですか。
いっそのこと、スベッたことも忘れるほどの酩酊であれば良かったですね。