
数時間の眠りから戻ってきても、やるせない心は変わらない。
ホテルの23階から、9歳の少年が転落して亡くなった、母親の女性は、無理心中したかった、ともらしている……。
若い命がこういったかたちで現世を終えることのないように、というのが僕の祈りの一部であるから、そんなニュースには、すっかりやられてしまった。
某クラブの経営責任とか、28日になって届いた喪中葉書とか、そんなことはどうでもよくなって、キーボードを打つのが嫌になる。
というわけで、今日は、ひたすら快復を待つばかり。
では。

数時間の眠りから戻ってきても、やるせない心は変わらない。
ホテルの23階から、9歳の少年が転落して亡くなった、母親の女性は、無理心中したかった、ともらしている……。
若い命がこういったかたちで現世を終えることのないように、というのが僕の祈りの一部であるから、そんなニュースには、すっかりやられてしまった。
某クラブの経営責任とか、28日になって届いた喪中葉書とか、そんなことはどうでもよくなって、キーボードを打つのが嫌になる。
というわけで、今日は、ひたすら快復を待つばかり。
では。

車中、この曲をCDで聴いていたら、隣から家人が、歌詞を知りたい、と言う。
つれあいの、こういったご要望には応えなければならない。
義務感といえばそれまでだが、以前、ブログでやったのはデータが消し飛んだこともあって、ここらで一回は記録しておこうかと、といった塩梅。
激流に架ける橋のように
くたくたに疲れ切って
自分を ちっぽけに 思う時
君の眼にあふれる涙を
僕が ぬぐおう
僕は君の味方
苦しくて
友人がひとりもいない時でさえも
激流に架ける橋のように 僕が身を投げ出そう
意気消沈してしまい
宿る家もなくて
夜のとばりが 辛く降りる時
僕は 君を慰めよう
そして 支える
闇が 立ち込めて
苦痛が そこかしこにあろうとも
銀髪のおとめよ 漕ぎ出だせ
船出の時は 来た
君に 時は輝きはじめ
すべての願いが 叶えられるのを見届けよう
君に 友が必要なら
僕が すぐ後を進んでいこう
激流に架ける橋のように 僕が身を投げ出そう……
伴侶にプレゼントしたジョシュ グローバン(1981~ )のCDを紛失されたことが、いまだ大いに不満な家人。
ゆえに、止せばいいのに、ジョシュによるカヴァーを、敢えてここに引っ張り出してくる。
こういうのを、虎の尾を踏む (= 危険を冒す)、と言うんですな。
では。

〈道化〉は、僕の言語感覚だと、動詞〈おどける〉に由来するように思うんだが、どうなんでしょう?
歌舞伎の世界ではかつて、観客を笑わせながら、劇を進行させる役回りを、道化師と読んだ。
興業時、劇場正面には役者の大看板が並べて掲げられた。
最初に主演、次に、面食いご用達の、容姿端麗な役者、3番目には、道化役、という順序。
二枚目、三枚目、という言い方は、そこから来ている。
歌舞伎における道化はその後廃れてしまったらしく、いま、僕たちが見聞きするのは、西洋風の、ジョーカーが主流。
あの白く塗りたくった顔に不気味な笑い、にはいささか食傷。
子どもゴコロに怖かった、あのチンドン屋御一行を、想い出すばかり。
でも、道化の本質は、その容姿の仰々しさではなくて、その内面だろう。
英国では、ジェントルマンである証明は、(経済的な基盤はともかく)、たとえ、リング上に這いつくばってカウントテンが告げられる寸前であろうとも、窮地に追い込まれた自分を、冷静に突き放して眺めていられる精神を持つこと、なんだそうだ。
自分を笑えること、自分を使って他人に笑いをもたらすこと。
そこにはかなり強靭な精神が求められるから、道化とは、大人であることの一側面ともいえる。
こういう映像を観ると、もちろん、西洋的な道化をすべて否定してもいられない。
エンターテイナー、ですから。
では。

青森市に住む親族から、
― パウリ―ニョの帰還、おめでとうございます!!
と、ショートメールが届いた。
― ありがとうございます、ラインメール青森FC の新監督(柴田 峡氏) もよろしく。
上手くいけばと、願っています。
と返信する。
相方など、青森に出向いた折には、クラブ事務所を探して、お菓子でも差し入れしようか、などと言い出す始末。
ところで、ジョージ ハリソンから話題が進み、ヴァン氏のお気に入りシンガーが、判明したのである。
― フランスの……、とその名をたぐろうとなされたので、すかさず、
― シルビー バルタンでしょう、きっと。
と申し上げると、これが的中でして。
― バルタンのはシングルで持っていてね、ショッキング ブルーは、LPで買ったよ。はて、どこにいったかな? とご思案の様子。
青い海原、青い果実。
爺いたちの、冬の追憶。
アイドル、と呼ばれるには、これくらいに生のままの輝きがなければ、という見本。
では。

タムっ、という音でドアが閉まるような車もいいよな。
……と思ったこともあったが、そういう気持ちも、いつしか消え失せた。
バムっ、で上等、分相応に暮らせ、というのが、亡母の遺言なんだから。
持ってる車がステータス、なんてのは、遠い遠い過去の話。
何故かというと、現在、すべての車種において、それなりの仕様が装備されてしまっている。
実際、僕の使っている車のエンジンは、頼んでもいないのに DOHC (カムシャフトが2本有って、高速回転に適す) であるし、レギュレータハンドルもなくて、ボタンひとつでウインドウのガラスが上下する。
パワーステアリング、なんてのは、もはや死語ですな。
個人的には、SOHC (シングルカムシャフト) で十分。
自然過給式の、非力、かつ素直に吹き上がってくれるエンジンでいい。
走って、曲がって、止まることがストレスなくできれば、グッド。
ジャガー氏の知り合い(女性)は、脳の老化をおそれ、現行ジムニーの、わざわざマニュアルシフトを選んだ、というから人それぞれ。
ところで、サイズ、これがやっかい。
特に車幅が、北米向け輸出規格に引っ張られてしまうのか?、3ナンバーで大きくなるばかり。
こうなると、ロータス エリーゼが、車両重量を少しでも削ろうと、パワーウインドウですらない、そんな姿勢が新鮮に映る。
エコ、とか言ってるのに、車ばかりが豪勢になっていいのかね?、とつくづく思う。
しかも、力づくで電動化に突っ走る、この世界。

そんなわけで、昔々の(現行ではない!) ミニクーパーに出逢うと、ホッとします。
では。