自分をどう使うか? (2021.8.29大宮戦レビュウ)

― もう、やだ!  こうなったら、あたしゃ、磐田戦には行くもんか。

なす術もないような、0 – 4 の敗戦。

しかも、Jリーグきっての、理知的な、かつ、客観的解説者 佐藤 悠介氏の ゲーム案内であったのだから、その傷心は限りなくて、当然。

リアルタイム観戦、山雅ファン&サポーターの皆様ほとんどDAZNであったに違いない。

とすれば、佐藤氏の解説によって、チームとしてやるべきことの不足感が、かなり辛辣に胸に落ちた、というか、応えたはず。

2000年に大宮(当時J2)に在籍した、というゆかりでの解説起用だとは思うけれど、その佐藤氏、2008年のヴェルディ(当時J2)時代は、名波監督とはポジション競争をしていたチームメイトだった、というのもまた、サッカーの織りなす人生が垣間見られて感慨が深い。

〈大宮は あくまで大宮だった〉
優秀なFW,果敢なサイド攻撃、前と後ろを中継するボランチの存在感。

それらすべてはプレビュウで指摘したところでありますけれど、そこを忠実、徹底してきたのが大宮でした。

フツーにこれが出来れば、これくらいのプレイをする、ってことなんですよね、大宮は。

しかし、これで、やっとこさの4勝目なんだから、これからも厳しい戦いが続く。

〈負けて締める、緒とは何か?〉
プレイがすべてにおいて緩慢、棒立ちの印象だったのには、ファーストディフェンスの連動性の欠如、みづからのパスミスによるところが大きかったとは思うけれど……、

❶前半、上手くいかない現象に対しての、ピッチ内での修正能力が発揮されなかったこと。― これが最大の勘所でした。

大宮が最終ラインの裏、サイドを狙って突破したいのは露骨だったんだから、その起点をマークするとか、であるならば、同じ手法を使って動揺を与えてみせるだとか、たとえ、監督やスタッフの指示がなくとも、自分たちで状況判断できないと、チームとして機能しない。

❷要は、現況、個の技量で戦っている山雅、だと思います。
年俸の総和だけでは、チームとして高まっていかないだろうし、創造的なプレイ が単発に終わっている。

あれだけ攻めたてた愛媛戦。

そこに見えたと思った光明が、個による突破に多く負うものだった、としたら、僕としては、勘違いの認識だったのかも知れない。

単純ですが、サッカーは 11人でやるもの、ということから組み立てないと、現状突破はむづかしいように思えます。

ゲーム終了の笛が鳴ってしばらく、宮部 大己は突っ伏したままでありましたが、凄惨な失点はなにも彼ひとりの責ではなく、前線のほうの怠慢、というか責任感のないプレイのタマモノだった、のではありませんかねぇ。

〈自己をみつめ、自分を使う〉
指揮官のインタビュウでは、人選の大幅変更を示唆していて、まぁ、そこへの着手も必要かも、とは思います。

その際のポイント。

自分を使ってチームに貢献しようとする意思の者 を集めよ。
古臭いような話かもしれないが、どうやって貢献するか、に焦点を絞ることでしか、チームワークの質とか、コミュニケーションの能力はあがりません。

もちろん、その先には、成果を挙げるという目標があるわけですから、スタッフやプレイヤー同士、お互いに求めるものがもっと厳しくならないとこのまま行ってしまいます、名波さん。

実際のところ、昨夜のゲーム、山雅がマットウにやっていたのは、後半70分あたりからの20数分だった。

ファーストシュートは、たしか、71分でした。

20分すこしの仕事で給料をもらえるようなことはあってはいけません。

たとえば、クロスに競うにせよ、ボールの次の行方、そこまでを想定して自分の 位置を決めていく、とか、一度渡したボールを再度もらいに行くといった姿勢、大まかにいえば、責任感が鍵ではないでしょうか?

そういう意味では、途中交代で入った 山田 真夏斗が放ったふたつのシュート、これが、救いでした。

駆け込んできて果敢に打った山田も良かったけれど、あそこに優しいボールを出した、たしかセルジ―ニョでしたっけ?、ああいうプレイがもっと出て来ないとペナルティエリアの密集は破れませんわ。

これから、磐田、京都、それがたとえバルサであっても、ベストを尽くす。
―これ、セルジ―ニョの発言ですが、むしろ、その前に吐いた言葉を噛みしめたい。

では。