たとえ無残であっても (2020.8.29徳島戦レビュウ)

―観るに値しないゲームでしたね。

ゲーム後、駐車場への道で或るご家族に、こう挨拶してお別れした。

山雅としては、返金に値するゲーム。
でも、見事なゲームをやって魅せた徳島イレヴンがあったから、チケット代はくれてやる、という意味だ。

―ゲームの途中から、観る気が失せてしまって……。(そのご家族の娘さん)

―去年(トップリーグで)つまんない試合ばかりと文句言っていたのが、今となっては、ごめんなさいだわ、これ。
たとえ敗けても何かが残るようなゲームとは程遠いし。(二人組の青年)

―だれが、拍手なんかするものか。(ゲーム後、近くで観戦していたご婦人)

1 – 3 のスコアそのものよりも、サッカーをさせてもらえなかった、ゲームにならなかったことへの痛ましさと憤慨なんですよね、アルウィンを支配していたのは。

かと言って、単なる先祖返りや途中で投げ出すことを、皆さん望んでいるわけでもないでしょうから、次のゲームにも、やはり足を運ぶんだろう。
けれど、一番怖いもの、プレイに観たくないもの、それは〈諦め〉かな?

ゲームを総括するならば、プレビュウで悲観的に予想したまんまのサッカーを徳島に遂行させてしまった、これに尽きるでしょう。

徳島の3バックは、センターバックふたりに、ボランチ岩尾が降りてきて構成する。この三人と、もうひとりのボランチ小西が菱型を形成してボールの起点となって、他のプレイヤーはワイドに高い位置を取って前に向かう、そんな感じ。
守備から攻撃へと起動する流れが、すでに出来上がっている。
特に、岩尾は底辺と中盤を自由に行き来して、配球を切り盛りする。

この陣形の術中にハマったのが、昨夜の山雅。

ボールを狩りに行こうとしても、前線と中盤、さらには最終ラインが、相手への寄せに向かうことで間延びさせられ、連動性を削がれ、かつ左右に振られる、これの繰り返しでした。

ボールを奪ったり、手に入れても、味方の距離感が悪いので、次なるプレイヤーに展開できない、というありさま。

当方のボランチのところで奪取がなかなか機能しないため、米原から藤田に変える。そして、より厳しく岩尾をマークにかかると、事態は少々カイゼンしたものの、スコアが動くと、徳島はよりリラックスして選択肢が増した。

捕まえきれず、交わされて逃せば、そのまま持ち込まれ……。

4年かけてここまで作り上げた徳島スタイルを、まづは辛くとも認めるべきであって、次回対戦ではそれをひっくり返す戦略と戦術を身にまとわないといけない。
ですが、なんと、わづかひと月後(9/26)には、その試練が控えているとは。

挽回のポイント、と思われるのは?

ひとつは、ボールを狩れるプレイヤーの配置。
ふたつとして、狩ったその次、さらに、そのまた次のプレイヤの連動性を可能にする組み合わせ、これしかないでしょう。

相手は、みっつ先まで考えてプレイしているわけですから。

では。

失敗から学べる特権。

たまにメールのやりとりをしている旧友からのメール。

彼が昔から(おそらく嫌になるほど)たくさん聴き、あるいは演ったであろう、
ビートルズのナンバー(Hey Jude) をカヴァーしているYouTubeのテスト動画が添付されている。
動画の出来について意見を訊きたいとのこと。
これからじっくりと視聴して、思うところを書き送ろうと思っている。

ビートルズかぁ……。
すると、ジョージ ハリソン(1943 ~ 2001) の詞の一節が頭に浮かぶ。

―With eyery mistake, we must surely be learning
 失敗するたびに、学ばないとな。

僕たちの世代の大方は、退屈な高校の授業からでなくて、こういう歌詞で英語のイディオムを多く識った。

老いぼれた山雅ファンとなった今、現在の苦闘に、この言葉が重なって想起されるとは。

さらに、こんな歌詞でみづからを元気づける。

―I have to admit it’s getting better
    良くなっているって 認めていいんじゃないか。(by レノン&マッカートニー)

点でなく線でみれば、山雅の目指す地点と進歩は可視化されている、と思っているのだ。

たとえ、勝ち点は、点であるゲームの結果で積む、としても。

今回は、フィル スペクターの『To Know Him Is To Love Him』(テディベアズ、1959年発表)を ビートルズがカヴァーしたやつ。

お、マジメに演ってるじゃん。

なお、元歌は女性がリードヴォーカル、ここは男性が歌うので  him ➩her となります。

では。

〈コメント〉
☞つー さんより (8/29 16:50)
性格の向上より生活の向上を
人生に躓く度に、これは神が与えた試練、それを乗り越えれば人は成長する、などと言われるが私の場合、失敗から学んだと言う事があるのだろうか。
失敗の度、「逃げるが勝ち」「触らぬ神に祟りなし」「君子危うきに近寄らず」と言ったマイナス思考を深めるばかりで成長の痕跡はほとんど見られないように感じる。
けれども、成長しないまま老いぼれを自覚するこの歳まで来てしまって、それにも関わらず今居る場所の居心地は決して悪くないと思うようになった。
むしろ良くなっていると認めていいんじゃないかと思う。
性格は向上せずとも、人生なんとか成るものだ。
では、また。

【加筆です】徳島戦プレビュウ 。

……先のプレビュウに、蛇足をば少々。

〈攻撃面で 変調を多用せよ〉
ヴォルティスが、その思うようにゲームを進めれば、こちらに勝ち目は限りなく少ない。

リーグで3位につけているのは伊逹じゃなく、自分たちのスタイルで戦えるゲームを重ねている証拠だ。

だからと言って、徳島スタイルを分断するために、あまりに汲々として守備的になるのもどうか?
相手=攻撃的、なので当方は専ら守備的に、では工夫がなさ過ぎでしょう。

しかも、下手に守備ラインを下げた日には、ディフェンス時身体の張り方に不満がある現状では、ペナルティエリアに押し込まれて万事休す、が目に見えている。

我慢して後方に下がらないで、高い位置でボール奪取することに注力、あとは手早くサイドへ、中央を経由してサイドへを多用して、シンプルに決めきる。

いくら足元から足元へパスを重ねても意図を読まれて、脅威にはなりにくい。
パスワークのリズムに変調/乱調を生み出すのは、ダイレクトパスによる加速と、空いたスペースにボールと人が同時に入っていくことの2点か。

〈イーヴンなボールを敢えて使う〉
そのまた先のボールを獲るために、意識的にボールをどっちつかず(=イーヴン) にしておいてから回収。
ロングフィードによる競り合いの価値が、ここに在る。
徳島は飽くまでボールを支配したいのだから、その流れに石を投ずる、という策。
で、競って落ちたボールの回収に徹する。

〈フォーメーションの選択は 重要〉
これ、スタッフの悩みどころでしょうね。

徳島が3バックで来ると予想して、4バックを採用した前節京都戦の成果をさらに深掘りするのが良いか、と思います。
フタを開けてみて違ったら、必要に応じて修正ということで。

ひょっとして徳島が2トップで来たら、3バックにするにせよ、その時でも、
3 – 4 – 1 – 2 で、攻撃的にやってもらいたいですね。

すくなくともこのリーグにあっては、切羽詰まっての劇場開幕を必要としないようなゲーム運び、つまり、主導権を握る時間を長くするやり方にもっと習熟していかないといけません、山雅は。

J2の土俵でヒイヒイ言っているうちは、上のステージに落ち着くのは尚早というもの。

では。

山雅流に徹せよ (徳島戦プレビュウ)


〈あえて総括を……〉

3分の1を終えて、多分に印象論になるが書いておきます。

❶友人の奥さん曰く、
山雅の闘いぶりが、あっさり(失点)、淡泊(ボールへの執着心)なので、とても熱くなって応援できない。
―なるほどな、と思う。

❷例えば、Aチームと対戦する。
すると、そことの勝敗に、A対B、山雅対Bの戦績がそのまま反映することがほとんどだ。
となると、千葉に対して前節2 – 1で逆転勝ちした徳島と、千葉に 0 – 3を喰らった山雅が対戦すれば、これは、なんとも切ない結果になる……。

萬年の中では、対町田戦(7/29)が、ワーストゲーム。
連動性に乏しいから、ほとんどの局面で後手を踏んで、強みを表出できず。
町田は、李 漢宰と中島 裕希を帯同までして準備、このゲームへの執着心でも優っていたのかも知れない。


〈徳島の容貌とは〉

監督4年目となると戦術理解と練度の深化、これをまづ受け入れる必要あり。

前節千葉戦の前半を観る限り、グラウンダーのパスで最終ラインから組み立てていって、ロングボールは、サイドチェンジか、相手DF裏を急襲する時以外は禁じ手。
攻撃は、究極、サイドを崩して侵入してクロス、あるいはカットイン。

千葉が堅い陣形をベースにして前からボール奪取に来ても、巧みなパスワークでかいくぐって前に向かう。
どこか大分っぽさを感ずるが、かと言って極端に誘うわけでもない。

徳島の攻撃思想は、数撃ちゃ当たる方式ではなく、確実な攻撃でしとめることを重視する。
やたらむやみに走らない。
巧緻なパスで交わしておいて、ここぞで裏かサイドを獲っておいて、スピードアップ。
ボールをイーヴンにするような局面を極力避けるので、ルーズなボールは多用しない。
―考え方としては明快だ。


〈狩って、そして前へ〉

これに対しは、ソリッドな守備にあまりにも体力を使うこと、これには賛成しない。
要は、できるだけ前方の、どこでボールを奪うかをハッキリさせて、そのポイントに集中だ。
ここではボランチとインサイドハーフが汗を流す。

今は、攻撃の仕上げのところをクリアすべき山雅。

ならば、失点もある程度覚悟しておいて、前へ前へ、と割り切ろう。

進化途上なのだから、ゲームの中で回数(=量)を伴ったクオリティ向上、それを行なうしかない。

徳島のリズムを削ぐためには、ロングフィードなどで乱調を演出しながら、当方が仕掛ける側に立つ時間を長くした上で。

セカンドボールを回収して、サイドへ、そこの回数を増やせ。

システム採用をのぞいては、それほど奇策に走らない徳島であれば、なりふりかまわず自分流に実直に、これで行きましょう。

山雅流を削り出す、そんなゲームになれば、と願う。

では、アルウィンで。

ダラダラと誠実に。


Jリーグは25日、現行態勢でのゲーム開催を9月末まで延長する、と発表した。

上限5,000人の入場、不自由な応援が、少なくともあとひと月は続くことになった。

毎日途切れることなく各地で集団感染が報告されているのだから、
せめて先手で判断してダラダラと、リーグ戦をやり切ることに専念するのが、今いちばん誠実な行動だろうな、とは思う。

ホーム4ゲームは(おおよそ)いままで通り、アウェイ4ゲームは参戦No! の、9月の過密日程。

他方、とりあえずは一年延期の開催が決まっている、2020東京五輪。

選手/スタッフだけで数万人規模の来日、期間中の感染防止措置とその実効性の困難を考えると、COVID-19 の脅威が今のままである限り、開催など論外だ。
観客受け入れにも、めどは立つまい。

開催者は、まだ一年有るとダラダラ放っておくのではなく、開催可否に関する条件を、適時小出しにでもコメントするのが責任ある行動だ、Jリーグのように。

が、現実は、メディアはアスリート目線の、未練に訴える報道でお茶を濁し続け、責任ある地位の誰もが、この課題に対して口をつぐんでいる。

メンツはともかく、莫大なお金が動く催事であることが、決定すべての足かせになっているのはわかるが、それを避けて説明もなく無為に日を過しているので、ギリギリになってすったもんだの大騒ぎが、目に見えるようです。

開催可否を言い出したら、えらい責任を引き受けるハメになるから、猫に鈴をつける度胸のある者は現れない。

巨像化したプログラムはとかく機敏性を欠く。

せいぜい各国(エリア)開催によって、各ゲームの記録を集計して順位を決める、これくらいが関の山ではないか?

これからもオリンピックを続けたいのであれば、永久的に開催地を固定して、無駄な資金の費消と都市の疲弊をやめてしまえを持論とする萬年だから、
2020大会は、元来どうでもよい話だったんだですけれども。

では。