クオリティの残像を越えて (2020.6.27ツエ―ゲン戦レビュウ)


対金沢戦は、0 – 0 のスコアレスドロー。

#11杉浦 恭平が先発でないのが意外でしたが、今年の金沢はこじんまり、といった印象。
強烈なタレントも無い中、そこそこにチームを仕上げてきたのは、やはり柳下 正明監督の手腕でありましょう。

その金沢とは個の力量にかなり差があるとは言え、ボールの動かし方の部分で磨き上げてきたな、という印象の山雅。

身体を上手く入れながらのボール奪取なんかは、やはり昨季トップリーグで戦った遺産を感じました。
おおかたのメンツにそういった動きが共有されているチームになったのが素晴らしい。

狭いエリアをワンツーで抜いていく、それがオートマティカリーにできること。

これを見せつけられたのが昨年の残像ですが、今季は、こちらが見せつける側にいないといけない。
しかも、クオリティを高めながらやり遂げること。
でないと、トップリーグに戻り、かつそこに留まれない。
セルジ―ニョをひとつの核とした攻撃には、それが期待できそうです。

久保田 和音、のプレイスタイルを初めて見ましたが、攻撃に変化を加え得る逸材だ。

服部 康平のフォワード起用、これも支持します。

90分やって、打てた枠内シュートが13本くらいか。

これを当たり前とした攻撃をやり続ければ、勝ち点80点台は見えてくる、そんなゲームでありました。

では。

 

 

 

女類と男類。

4月に人事制度が改まり、その概要が給与明細に同封されてきた。

先頭に、同性パートナーに係る特別休暇(忌引)の適用、とある。

対象となる配偶者について、同性パートナーを含めるように拡大します、との説明。

〈配偶者〉の要件は正式な婚姻の有無かいな?、と思いつつ、これも時代か、と思う。

萬年、太宰 治と同様、人間に女性/男性があるのではなく、女類と男類が同じ人間を名乗る、と考えたい。

同性パートナーとは、だから同類で要をまかなってしまうことを言うわけか。

他方、異類間だと、互いの理解不能や、意思疎通のもどかしさは本来のことと思割り切れる。

むしろ、異質な者への敬意も生じ、遠慮ある共存が可能になるではないか。

助手席にあって、時速110km以上でないと高速を使っている意味が無いとか、歩行者用信号が点滅したらアクセルを踏み込んで行ってしまえ、と説く御仁。

これさえも、そういう境地にあれば、たいして腹も立たない。

では。

 

〈コメント〉
☞つーさんより  (6/27 8:51)
女類の美しさは永遠です。
芋虫から、あの美しい蝶に変化するのを完全変態と言うそうだ。人間を名乗る女類も、まさしく完全変態する生き物と言っていいだろう。
種を存続させるため、女類は人生初期、美しく変態する。
私もその美しさにどれだけ魅了されたことか。
神が創造した変態する生物の最高傑作であろう。
ただ、蝶などと違うのは、変態を遂げたあと長命であると言うことだ。
男類と違い、苦労の多い人生を歩む女類に対し、尊敬の念を持ち、優しさと愛情を注ぎ、一生共に仲良く生きなくてはなりません。
決して、爬虫類、両生類と勘違いしてはいけません。
では、また。

 

モンテーニュ その名答と誤算。

老いは、顔よりも心に多くの皺を刷り込む。

ミシェル ド モンテーニュ (1533~1592) の言葉。

幼年の頃は、自分から溌剌とした挨拶ができたのが、成人したら、憮然たる顔つきでロクな挨拶もできない人格に凝り固まる。

家庭と学校で築いた徳が、社会で揉まれるうちに崩れ去っていく見本。

 

美しい女はじきに飽きてしまうが、善良な女には決して飽きは来ない。

こっちのほうは、素直に賛成できない。

こと女性に関しては、美と善良を対比するのは間違っている。

萬年の経験からすれば、〈美〉にはたいてい善良が伴い、〈醜〉にはおおく険悪が連れ添う。

白雪姫の母(美魔女)はごくごく稀な存在。

シンデレラの姉たちこそ、身の回りに多い。

つい最近も職場で、不愛想と非礼の見事な結合に出逢って、妙に納得、感服してしまった。

思うに、モンテーニュ氏は、美形にとらわれる傾向が強過ぎたに違いない。

では。

 

〈コメント〉
☞つーさん より  (6/26 7:23)
くそ爺いの戯言です。
目は一点に集中して、鋭く見つめる。だが決して陰険な目付きではなく、強い意志がその瞳に宿っている。
しかし、人を見つめる目はあくまでも優しい。
顔つきは凛として、鼻筋通り眉は見事なシンメトリー、だが決して冷たい表情ではなく、笑うと太陽のような輝きを廻りに放つだろうなと容易に想像させるものがある。
時折、寂しそうな表情をするけれど、人と接する時は一転こぼれるような笑顔に変わる。
誰にも笑顔を向けて挨拶するがけっして八方美人ではない。
これまで、学校で職場で見てきた本当に美しいと思った女性達である。
では、また。

☞萬年より (6/26 8:29)
さすがです!
美形と感じる最大要素は、顔の対称性(シンメトリー)という研究結果がありまして。
萬年の場合は、下品ゆえに、化粧する女の、鏡を凝視する鋭さにタジタジではあります。では。

サイドの攻防が 鍵。 (ツエ―ゲン戦プレビュウ)


勝利の果実を味わえるのは、両者のいづれ?

【ツエ―ゲンの現在?
❶垣田、小松 蓮が去った最前線をどういうメンツで来るのか?

❷サイドから中へ、という強みの部分、特に、加藤 大樹(山形へ移籍)の抜けたポジションをどうカヴァー?

❸下川 陽太は不在 (山雅とのレンタル契約上)。
すると、サイドバックとボランチはどうなる?

❹J2屈指のGK白井 裕人。
彼の牙城を崩すには、シュートは、緩く逃げていく弾道でこそ打て。

【ゲームの力点】
❶システム4-4-2 同士の衝突。
手堅いはずの陣形、に穴を開けるための戦略で上まわれ。

❷サイド(外)から中へ、が攻撃の起点、または、仕上げ前の大仕事だろう。
つまりは、ビッグスイッチ(大胆なサイドチェンジ)か、裏のスペースを狙うスルーパス。
先手を取るには、相手DFを置き去りにするようなスピードが、鍵だ。
そのために、左右サイドバックが常に高い位置を取り、相手の同ポジションを圧迫する。
キーパーソンはゆえに、サイドバックだ。

❸相手ディフェンスをはがすには、実態的には、4-2-3-1で行きましょう。
とにかく攻撃的に。
ワントップは阪野。
2列目に左から、杉本、セルジ―ニョ、鈴木で、どこからでも撃つ。

4箇月も前の記憶(対愛媛戦)に頼ったプレビュウは、こんなです。

では。

 

自分の前で ラッパを吹くな。



善行は、他人に見せるようにしてはならない
、という教え。

聖書(マタイ伝第6章)にある。

収益と、ファン&サポーター心理の高揚のために、クラブはさまざまな取り組みをしている。

企業としてのチャレンジは、おおいに支持したい。

ファン&サポーターは、我がこころと財布に相談しながら参画したりすれば良い。

今季シーズンパスの扱いにしても、それぞれが判断して行動するだろう。

ただ、それだけのことなんだが、どうか、他人に同調を求めたり、〈べき論〉がゾロゾロと登場してこないことを切に望む。

かりがねに練習を観に行く(あぁ、懐かしい!)と、まるで自分がプレイヤーのパトロンのような口ぶりで話し続けるご婦人が居たりする。

選手をインティメートに思うのは結構だが、当方はのんびりひっそり時間を過ごしたいのに、まるで騒音だ。

こういうのも含めて、うるさいラッパは一切お断わり。

満足と誇りは、胸に秘めておくから価値が有る。

では。

〈コメント〉
☞つーさんより  (6/24 17:10)
ラッパを吹かずにいられない。
サッカーから話題が離れて恐縮です。
若い頃良く映画館に足を運んだが、その帰り連れと喫茶店など入り感想を述べあうなんて事が良くあった。
しかし、私はこれが大変苦手。
本当の感動は言葉にならない。言葉にしようとすると、陳腐な言葉しか浮かばず、その真意を上手く伝える事が出来ない。なんとも歯痒い限りだ。
映画の始まる前から、その映画の蘊蓄など語られるのも閉口する。
深く椅子に沈み込み、静かにその感動を心に刻み付ける。
それが映画の醍醐味かと…。
ところで、私もラッパをふく時がある。「ゴミ捨ててきたよ」「お風呂洗っておいたよ」等々、ところが相手は「あ、そう」の一言。まさに「ラッパ吹けど、奥さん踊らず」です。
では、また。

☞萬年より  (6/24 18:15)
映画評は、我がこころに刻むもの。
思うに、暗闇の仁義は、次のふたつあたりでしょうか。
❶上映前、上映中はウンチクを語らない。
前に座るふたり連れ。男のほうがやたらと女性に映画、役者についてご高説を告げる。後ろから座席の背を蹴り上げてやりたくなります。
❷座席には、姿勢悪くどっぷりと沈み込む。
後方の観覧者の視界を妨げない配慮なり。
背筋をキリッと伸ばしているド素人様には、やんわりとご指導したくなる。ただし、最近は劇場の勾配がカイゼンされていて、グッド。

新宿のオールナイトではカストロジャンパーのオッサンが、舞台に上がり寝てしまう。それはそれでよかった、古き良き時代のお話です。
では。