使いたい、けれど使えない

清水キャンプも今日まで。

ナショナルトレセンは清水区の山中に在るので、残念ながらこんな富士山は拝めない。

チームは、これから鹿児島へと向かい、桜島を眺める地でキャンプを張る。

旧聞に属すけれど、先月28日の 対モンテディオ山形テストマッチ(@御殿場)。

45分 × 3 本やって、合計で 2 – 2 の結果、という公式リリースだった。

―公約の、ゲーム当り 2得点したんだから、いいんじゃないの?、と家人。

―まぁね。でも、山雅の失点のひとつは、オウンゴールだから。
山雅が挙げた得点は、3 点だった、ってことだよ。

鹿児島入りして早々、サンフレッチェとテストマッチが組まれていて、楽しみ。

更に、昨年のように鹿屋体育大ともできれば、いいんだが。

結果はともかく、まづは、取り組み課題の達成度を感じたいね。

ところで、身辺整理をしていたら、10年位前の、山雅オリジナルのメモ帳(未使用)が出てきた。

旧エンブレムがなんとも懐かしく、クラブ名を透かしで印刷するおごりよう。

このエンブレム、個人的には気に入っていて、復刻の記念グッズがそのうち出てきてもいい。

ところが。

さて、メモとして使いたい。
……が、なんとも勿体なくて、手をつけられない。

そんな優柔不断に、呆れます。

では。

【挽歌】クロリス リーチマンに捧ぐ

女優のクロリス リーチマンが、1月27日に亡くなった。
1926年生れの、享年94歳。
老衰の、大往生だったようだ。

萬年が、リーチマンを認めたのは、『ラストショー』(The Last Picture Show 1971年)と、『ヤング フランケンシュタイン』(Young Frankenstein 1974年)の、ふたつの映画だった。

特に、ラストショー。

1971年はキネマ大収穫の年であったから、〈令和キネマ座〉トップ10では、たまたま選外となってはいるが、同等の評価を与えるべき作品かも知れない。

その映画の感想は、いつ(何歳のどんな時に)、どこで(または誰と)観たか、という個人的な事情に決定的に左右される。

なので、ラストショーのように、滅びゆく、ゴーストタウンに近いような、辺鄙な街の青春群像が描かれていると、評価は、なおさら大きく別れて当然だ。

たとえば、テキサスの空っ風が渡っていく、閑散と寂れたメインストリートを、カメラが、左から右へとなめていくシーン。

これひとつとっても、ご鑑賞になるあなたの年代(=人生経験の集積)によって、景色の見え方が、よっぽど変わってくるだろう。

それはさておき。
この作品の良さは、観てわかっていただくしかありませんが、
ここでは、役者陣の充実した演技に脱帽、とだけ申し上げておきましょう。

ティモシー ボトムズ、ジェフ ブリッジス、シビル シェパード、ベン ジョンソン、ㇰロリス リーチマン、エレン バースティン、アイリーン ブレナン、ランディ クエイド…、これだけ並べてみても、おそろしくなるほどの芸達者ばかり。

よくこれだけ集めたもの、と感心するけれど、実は、ㇰロリスにはゴメンナサイ。

萬年的にはここでは、アイリーン ブレナン(1932~2013年)の演技に、いちばん惹かれる。

『スティング』(1973年)で、ポール ニューマンの情婦役を演ってた、と言えば、ピンと来る方もいらっしゃるか。

アイリーンには、『プライベート ベンジャミン』(1980年)の、ルーキー兵(ゴールディ ホーン)に、さんざ振り回される鬼大尉役があって、これもおすすめ。

ラストショーは、130万ドルの製作費。
対し、2,900万ドル超の興行収入。
脚本と役者以外には、大したお金をかけていない、という意味で、模範的なヒット作なのだ。

作品40周年を記念して、監督(ピーター ボクダノヴィッチ)と4人の出演者が集ったリユニオン(同窓会)めいたパネルディスカッション(2011年頃)を観たことがある。
杖をついてそろりそろりと登場するクロリスを、皆が次々と抱擁するシーンには、泣けた、泣けた。

心の中で、老いることの魅力と迫力に大いに感涙した、のであります。

では。

突き放して 眺める。

或るSNS上の書き込みを読んでいて、ずいぶんと笑いながら、しかし、考えさせられてしまった。

その内容は、こうだ。

―自分が若かった、ずいぶん昔のこと。
入院した時に、同室になった爺さんは、戦争中はいかに大変だったか、今の若い者がどれだけ恵まれているかを説教する人だったが、食事の時に、こんなものが喰えるか!、と病院食を放り投げていたので、案外戦争の時って楽だったんな、と思うようになった―

くどくどとコメントするつもりもないが、あの戦争をまるごと、ナマのままで読み解くには、こういう観点が必要だろうなぁ、と思う。

これを、フテブテしく眺める視点、といってもいい。

けれどね、老いての傲慢さ、これだけは、いただけません。

老醜、という言葉があるくらいですから。

では。

碌山美術館の ケチ

荻原 守衛(もりえ、1879~1910年) は、第一級の彫刻家である。
号は、碌山。

安曇野穂高の、碌山美術館は、たまたま碌山の生まれ故郷に在る、ってだけの話。

ご当地が生んだ芸術家、とわざわざことわる必要のない、卓越した才能なのだ。

思い立ったら簡単に、その作品に接することができるしあわせを、僕らは持っている。

が、この地へ赴く楽しみのひとつは、美術館のチャペル風なたたずまいを味わえるところにあった。(1957年建設)

ところが、である。

いまや、この敷地内へ足を一歩踏み入れるだけで、入館料(大人700円也)が求められる。

いつから、なぜに、こうなったのかは知らないけれど、たとえば、今回は、館内へは入らずに、この敷地内を散策したいと思っても、あなたは、散策料を払わなければならない。

たとえば、静かなる庭の緑陰。

落ち着いて恋人と時間を過そう、なんてお洒落を禁ずるとは、まったく、なんというケチで、無粋なココロなんだろうか。

もちろん、碌山氏には、これぽっちも恨みはない。

では。

凋落を計測する(ブレグジットの余波)

球には、マジメな話題。

遂に、と言うか、やれやれと言うべきか。

2021年1月1日、グレートブリテン&北アイルランド連合王国(以下、英国)の、欧州連合(以下、EU)からの離脱が、発効した。

ブリテンが(EUから)離れる(エグジット)、という合成語〈ブレグジット〉が盛んに使われて、約4年あまりかけての決着だ。

この際、GDP世界第5位、貿易立国である英国の最大関心事は、EU原産地品の輸入における関税ゼロ、であったに違いない。

(英国は、貿易収支ではずっと輸入過の国である)

関税ゼロを、EU事務局(大統領府)との交渉で勝ち獲ったジョンソン首相が、勝利宣言するくらいであったから。

けれど、本来、離脱は言語道断なEUからすれば、オメオメと相手にばかり有利な条件で合意する、とも思われない。

きっとこの部分にだって、したたかな罠を仕掛けてあるのではないかな?
(おそらく、しばらくすれば、それが露わになるだろう)

大陸から離れた島国という地政もあって、どうも英国は、他者(=EU)から画一的なルールで縛られたくない、といった情緒が濃厚な感じがして、それが離脱のムード面での最大な要因だったりして。

EU圏内の中で比較的に好調な経済を、他者都合で下降させたくないのだろう。

さて、当初。
メディア論調では、絶え間ない移民流入にネを挙げた英国が離脱を決意~、だったように記憶する。

英国はもはや、他の先進国と同じように、移民労働力がなければ経済が成立しないはずだ。

絶対に必要だけれど、のべつまくなしでも困る、というのは、これも先進国に共通した、ずいぶん身勝手な話ではないか。
(たとえば、研修生制度、とかいう大義名分のウソを編み出したのが日本)

特に、英国の場合、かつて面積と人口ともに地球の25%を植民地化していた大英帝国という過去を持っているのだから、いまさら、それをサラリと忘れてもらっても困るのだよ。
いまでも〈英国連邦〉は存続させているわけだし。

とにかく、EU離脱によって、外国人労働者の流入にも制限が加えらるようになった。

もちろん、サッカー選手もその対象だ。

プレミアリーグでは、いままでEU加盟国の国籍を持つ選手の登録には制限がなかった。
この条項自体は存続したとしても、労働ビザ発給条件が厳格に適用されるから、さまざまと実質的な条件が増える。

豊富な資金力をベースに、外国籍者をふんだんに雇用してきたビッグクラブ。

つまり、マンチェスターシティ、マンチェスターユナイテッド、リヴァプールなどは、新たなプレイヤー補強に、足かせが加わるようになる。

今後は、思い通りのプレイヤーばかりでチームを創ることができなくなる。

そのなりゆきを、時間をかけて観察しよう。

何年かかって、生まれかわっていくのか、と。

これも、せいぜいブレグジットの愉しみのひとつ。

果たしてプレミアリーグは、どんな智恵で人気リーグの地位を持ち堪えるのだろうか?

では。