山雅晴れに、余韻を楽しむ。

北Q戦の翌日、ひとりの山雅サポーターに、

― 勝利した後の、こういう天気を〈山雅晴れ〉と呼ぶのよ、と教えてもらう。

― へぇー、知りませんでした、と返したが、素直にココロに入って来る、良い造語ではありませんか。

同じ日、バネ指で悩む家人は、某整形外科(老舗) を受診。

面談の中、ご高齢のドクターに、趣味はなに?、と訊かれたので、

サッカー観戦、と答えると、自然、山雅の話題になったそうな。

― 前に1部にいたのに、3部に落ちるかも知れないんだって?

先生、よくご存じですね、と返すと、

― それぁ、知ってるよ、松本市民だもの。

― じゃぁ、長崎へも(応援に)行ったんだ。

……、などなど、そのドクター、Vファーレンの親会社が、ジャパネット タ〇タであることもご存知だった、という。

熱心なファン&サポーターの存在がこのクラブの特長のひとつ、というのは否定しないが、ふつうの市民の、こういったなにげない関心も大切にすべきだろう。

― 先生、機会があればアルウィンにご一緒しませんか?、安価ですけど、ゴール裏観戦がもっとも臨場感がありますから、とでもお誘いすれば?、と家人には伝えたが、なかなか切り出せないでしょうね。

ところで、あのゲームで、敢闘賞は、榎本 樹だった。

伊藤 翔の逆転弾へのアシストがめだつけれど、

橋内 優也による同点弾のシーンでは、前方で相手ディフェンスと共につぶれることでシュートコースを創り出していたし、なによりも、前方へと向かうチームの意識を活性化することに一役買ったこと。

そこを、いちばんに評価したい。スタジアムの雰囲気をも変えました。

特に、若手の場合、何をしたいか?、よりも、自分を使って何ができるようになりたいか?、を考えるべき。

そうすることで、(チームへの)貢使命感という、自分を突き動かしてくれる理念が浮かび上がってくるだろう。

実はこれ、ドラッカー先生の受け売りで、目の前にいくつもの選択肢を持つ若者すべてに、ためになる言葉でありましょう。

榎本、さらに村越 凱旋の仕事の中に、その典型を観ることができたのが、このゲームの最大収穫であったとも言えて、
さぁ、山田、横山らも、これに続かなきゃあな、となるわけであります。

もう11試合しか残っていない、と考えるのか、あるいは、まだ11試合チャンスがあると思うのかで、かなり違ってくる覚悟。

でも、まぁ、秋をできるだけ穏やかに楽しみたいのが、ホンネではございます。

では。

逆説のキマジメ (『堕落論』に寄す)

僕が二十歳の頃、同じアパートに、国会に勤める女性が住んでいて。

(たしか、速記者だったような。記憶が定かでないけれど)

或る時、最近どんな作家を読んだの?、との話題になった。

坂口 安吾が面白いと思う、『堕落論』(1946年4月発表)なんかが、というご説。

な~るほど、こういうマジメな人には、新鮮なんだろうなぁ、と聞いていた。

― (太平洋)戦争に敗れた社会的な混乱の中、かつての特攻隊員は闇商売に手を染め、寡婦は新しい男を作る。
封建的な倫理にあって、そういう行為は堕落とされてご法度だった。

けれども、そこで〈堕落〉とされたことこそが、人間性に合致した生き方であって、人性を熟知していたからこそ為政者は、巧妙な禁制を作りだしたわけだ。

いまや、人は堕ちて、堕ち尽くしたところから始めるほか手はない。
そして、人間を取り戻すのだ
― といったことが、安吾独特の、逆説的筆致で語られる。

〈堕落〉してこそ、そこに人間本来の生き方が存す、とはキワモノ的な表現である。
けれど、読んでみると、しごく当たり前のことを言っていて、作品発表から75年が経ってもけっこう素直に、心ある者の胸にハマるのではないだろうか。

書いた当人の安吾が、きわめて礼節を重んずる人だったことを勘定に入れるといっそう、そこら辺がしっくり腑に落ちる。

こんなことを、別のところで書いているのだ。

― 電車に、ご高齢の母とその娘とおぼしきふたり連れが乗ってきたが、混んでいて、あいにく座れる席がない。
すると、ひとりの男性が立ち上がり、母のほうに席を譲ってくれた。
次の駅になったら、母親の隣の席が空く。
そうしたら、娘がさっさと座ってしまったんであるが、それはない。
さっき母に席を譲ってくれた人がまだそこにいるのだから、彼に席を勧めるのが礼儀というものだ……。

つまり、安吾のいう〈堕落〉とは、分別もなく好き勝手に生きることとは違う。

『堕落論』発表から相当の年月が過ぎ、ひょっとしたら、時代の大勢が、彼の唱えた〈堕落〉とは異なる、やりたい放題の〈堕落〉に突き進んでいるのかも知れないな、と思ったりしているのです。

特に、戦火もないこの国で、平気で幼児を虐殺する行為を聞かされるたびに。

では。

覚悟の修正 (停滞から躍動へ 2021.9.26 北Q戦レビュウ)

後半に逆転して、2 – 1 の勝利。

勝利の街と、日曜日よりの使者を聴くのが、久しぶり過ぎてぎこちなく感じられたアルウィンでありました。

― (萬年が)来る前にも絶好機が何回かあったが、やはり、さっきみたいに決め切れなかったんですよ。

― ボールにかかわるプレイヤーはたしかに動いてるけど、それ以外が、棒立ち、って感じ。判断が遅すぎます、これ、北Qにも言えることですが。

― 常田が左サイドをサイドバックを追い越す動きを何回かしたけれど、そこにボールが出ないんですよね。
チーム内の信頼感が、あれじゃあ、生まれないわ。

― 後半開始から、榎本と村越を入れてきたのをみて、あぁ、名波さん、たとえ降格しても、指揮を執り続ける覚悟を決めたな、と思いましたね。
今日、結果が出なければ、次節、横山 歩夢の投入もあったんでは?

―榎本、よかったです、高崎を感じさせます。

……、以上すべては、北ゴール裏の同志 チノ氏の感想を時系列に並べたもの。
まったく同感です。

勝ち、がなによりの特効薬。
美しい夕陽を、心地よく楽しむこともできました。

とは言え、それですべてをオーライにするわけにもいきません、明日のためには。

前半は、右サイドでのボールロストが目立ち、逡巡と、諦めの後ろヘ逃げるボールが多かった。

仕事の都合で、ゲーム開始から15分くらいしてスタジアムに着いたんですが、入った途端に、アルウイン全体に、なんだか盛り上がりのない、寂寥感を感じる。

あぁ、そうか、こういうのを、寒いゲーム!っていうんだった。

山口からはフラストレーションが発散され、さらに、セルジ―ニョはみづから交代を訴えるほどに痛んでしまうし。

ところが、ここから、指揮官による手当てが、上手くゲームを立て直したと思います。

ハーフタイム、全員にハッパがかかったであろうことは想像に難くないが、特に、ふたりの若手が前方への志向と負けず嫌いをプレイで表現し続けたことによって、チームに躍動感が戻ったのでした。

2つのゴールはいづれも、セットプレイからによるもの。

特に、2点目。
この時間帯(50分そこそこ)から、自陣深い位置からでも、村山がロングボールを蹴り込むんだ、とチト驚きました。

こういうやり方を、後で指揮官は、〈力づく〉(強引)と表現しているところをみると、これを最後の切り札にはするけれど、やはり、やりたい本質は、ボールを活発に動かしながら、ペナルティエリアに侵入するサッカーだよ、と言っているんでしょうね。

北Qが、ゲーム進行の中で、やり方をほとんど変えてこなかったことに大いに助けられたこともあって、後半はボールがよく回るようになりましたから、流れの中から、あと1点は獲りたかった。
後半開始早々の、佐藤の放ったミドルシュート。
競り上がったボランチが中央から打つ、ああいうシーンをこそ観たいのです。

伊藤 翔による逆転ゴールは、榎本が頭でパスする格好になりましたが、今度は、縦パスを蹴り込んでいく、それを期待します。

最後に、これからも残留争いのライバルとなるであろう北Qですが、#10高橋 大悟が、なぜあれほど後方に沈んでいて存在感がなかったのか。
こちらとしては助かりましたがね。
#13前川 大河が孤軍奮闘、かつ痛んで倒れ込むばかりでは、文字どおり〈痛い〉ゲームになってしまいました。

では。

ミステリ礼賛 その❷(Fマリノスの場合)


永遠の#3と 、それを継いだ現在の#3の貢献に、多くを負っている僕らだからこそ、もう再び、#3 をみられないFマリノスにまつわるミステリアスなお話でございます。

9/23、公式リリースされた 「笛系音による、試合妨害行為について」がそれ。

……、9/18 対グランパス戦で、ゲーム進行を妨害する笛のような音が発生したことについて、ネット上では弊チームの監督がその音源である、との疑惑が持ち上がっているので、これについて、本人、ベンチ周りの当事者に聴いてみたんだけれど、皆が身に覚えがない、という。
さらに、映像によっても、発生源、目撃者などを確認できなかった。
ついては、今後、他のゲームでの出来事も検証しつつ、わしらのベンチの動静を監視していきたい、と思うわけ。

……、というのが、その要旨。

他のゲームというのは、対鳥栖戦8/25、対鹿島戦8/28でも、同様な笛が聴き取れるからだ。

これらはすべて、相手チームが攻撃に移った瞬間に響いている。

つまりは、相手がオフサイドを犯したように見せかけて、その攻撃をくじく狙いがある。

名古屋戦の主審は、笛音については名古屋側から指摘があったので、マリノスベンチには、紛らわしいことはやめれ、またやったら違う対応を取りますよ、と言った、と述べているようだ。

主審によるオフサイドの笛、とプレイヤーが認識すれば、そこで攻撃(守備も)をやめますもんね。

ただし、こんな卑劣な笛にもめげずに、ゴールを奪う上田 綺世(鹿島) はたいしたもんです。

サッカーから卑劣をとれば、ボールの行き来が残るだけ  (by 萬年)、という妙味もあるが、それだと、すぐに若人への教育的視点を持ち出すような正義の人々が、黙っちゃあいまい。

現監督による初指揮は、8/9。
で、疑惑の笛は、それ以降に鳴り始めたので、彼に疑いの目が及ぶのは自然といえば自然。

というわけで、今回のタイトルは、
〈豊スタに響く 疑惑の笛〉
〈笛のマジック 犯人はどこへ?〉
〈スタジアムに消えた目撃者 〉 ……、といったところ。

しかし、どこの誰が、どうやって音を出したのかは知らないけれど、こんなことしなくたって、マリノスは十二分に戦えるチームなのに、と思いますけどね。

まぁ、これからのゲームでこの音がしなくなれば、この件はこれで終了……一件落着、ってことでしょう。

おそらくは、知っていても余計なことは言っちゃあダメ、という箝口令がチーム全体に出ているんでしょうが、
大然よ、良心が咎めないようにだけはしておくれ。

こんな曲でも聴きながら、では。

死ななくてもいいけれど (北Q戦プレビュウ)

必死とか、命がけとか、昔から恥ずかしくてなかなか口にできないタチ。(書きはしますがね)

火事場のバカぢからを否定はしないけれど、いつも火事に巡りあえるわけでもない。

なので、良い準備が結果に結びつくこと、それをひたすら願うだけ。

もちろん、良かりし昔日へのラブコールや、回帰ばかりを願うような風潮にも賛成しない萬年。

だから、せいぜいなりふりかまわずに行こう、って感じか。

後がないのは、どう言ってみたところで変わりないのだが、

― いくら説いても理解しないプレイヤーに嫌気がさして、名波さんやめちゃわないかしら、とついに心配し出した、この頃の家人。

― それ相当の覚悟で松本には来てるんだろうから、それはないでしょう。
……、とは言ってはみるが、誓えませんよ、僕になんか。

さてと、本論。

まづは、下川 陽太の出場停止が1試合で済んだことに、ひと安心。

そこで、彼を勘定に入れないでいくとなれば、いっそのことこの際、金沢戦で10人になって急遽試した4バックをやってみたら?、と思う。

あの時は、センタバックに大野と常田、サイドバックは、田中パウロ (左)と宮部 (右)を配して、これで後ろを4枚に。
その前には、アンカーとして平川をひとり置く。
2列目は、セルジ―ニョ (右)と、河合(左)) のふたり。
そして、鈴木と榎本のツートップで、4 – 1 – 2 – 2 。(つまり10人)

けっして流暢なサッカーではなかったが、金沢が何故か数的優位を押し出してこなかったことと、一番大きな理由として、こちらのお尻に火が点いた切実さで、けっこう攻撃的にできていた。

特に、宮部と田中は、自分の後ろには誰もいないという覚悟と、サイドを制すという使命感からでしょうか、上がり下がりに迫力がありました。

で、今節は、4 – 1 – 3 – 2 で、いかが?

アンカーにひとりで、中盤を縦の菱型にする格好でやってもらいたいんですが、北Qが安定の4バックなので、無理な注文でありましょうか?

そのギラヴァンツ、なけなしの戦力(失礼!)でダマシダマシ奮戦しているのは、なんと言っても、小林監督の手腕。

3連敗をふたつ含む8戦勝ち無しから、持ち堪えて、ここ6試合を、2勝4分で通過している、とは素晴らしい。

チーム生え抜き4年目の、高橋 大悟(22歳) に#10を背負わせる姿勢を良し、とすべきでありまして、そもそも下位でもがくであろうことを想定した中シーズンを始めたんでしょうから、それなりの平常心で臨戦してくるはず。

対し、およそ想定外の沼地に苦悶している当方。

かつてのギラヴァンツ#10、小手川 宏基を待望しつつ、上に述べた中盤のプレイヤー(インサイドハーフ)が、ぐっとペナルティエリアへと駆け込んでくるぶ厚い攻撃を期待。

真ん中スカスカでは、跳ね返りをミドルで打てず、波状で攻め立てられません。

さて、どちらが自分とチームメイトを信じて戦えるのか?

プレイのひとつひとつの熱量に注目することにします。

では、アルウィンで。