虎視眈々と照準をあわす (群馬戦プレビュウ)

ちょうどこの季節、かつて、親友がみた悪夢が頭をよぎる

高校に入学した早々、1学期の中間テストが終わり、担任に呼び出された。
― お前、今回のテストな、366位。最下位だぞ。

―  学年在籍はたしか 367人なんで、下から2番目でしょう?、先生。

―  違うよ、同点で、ふたり最下位なの!

こんな記憶で笑い飛ばしたいところをみると、よっぽど最下位が気にかかってるとみえる。

けれど、あくまで問題にすべきは、愛媛戦の惨憺、であるはずだ。

アクセルセーブの様子見でゲームに入った途端、相手の強圧に押されっぱなしで自分を見失う。
いいように中盤を制された結果、そこを越えてペナルティエリアになかなか侵入もできない、といった体たらく。
最後の15分間こそ、ボール保持で70%くらいを挽回したものの、修正するにも、時既に遅し。

……対ザスパ戦は、そこの反省から出発するのであって、むだに最下位脱出を唱えるような見当違いこそが、禁物。

【最終ラインから中盤を越えて】
群馬は、4 – 4 – 2 の初期陣形。
ツーボランチのひとり、岩上 祐三が最終ラインに落ちて、センターバックふたりと攻撃の基底を成す。その分、サイドバックは高く位置して侵入に備える。
ツートップの一角大前 元紀は、周囲を使えるし、自身がゴールまでいける。
要は、実質的な #10の役割を果たす。

前節の対岡山戦は、シュート20本を凌ぎながら、不利なゲームを 1 – 0 でモノにした。

ひと言でいえば、したたかでオーソドックスなサッカーなのだ。

ポイントは特に、もうひとりのボランチ内田 達也と大前に自由に仕事をさせないこと。

となれば、まづは中盤、当方のボランチが相手を上まわること。
これには、センターバックから巧くボランチにボールが入ることが前提。
今日は、そこが焦点だと思います。

ボランチが、できるだけ高い位置でボールを持って前方を向ければ、そこからボールを、サイドなり、シャドウなりへと渡せる。

これを、硬くならず、平常心で、時間の進行をこちらへ引き寄せながらやり続けること、勝機はそこに在り。

【才能の出し惜しみは するな】
プレイヤーの好不調を承知しているわけでもない。

でも、たとえば、小手川 宏基をベンチに温存ってのは、少々理解に苦しむ。
彼のような、時間を作れるタレントは、ゲームの進め方が硬直化しないアクセントになるはず。

さらに、足元へのパスを同じリズムで繰り返している現状へ、スピードの緩急をより加味するためにも、突っかけるタレントの多用をお願いしますよ、柴田さん。

シーズン開幕当初にチト触れたけれど、いまや奇跡に近いツートップ入りを狙うならば、大前 元紀には、夏の移籍ウインドウで、声をかけるべきといまだに思っています。

では。

なりふりかまえ (群馬戦プレビュウとは別に)

京子さんから、家人にメールがあって、その内容とは。

―離れて暮らすティーンエイジャアのお孫さんからメールがあった。
新聞を手にしたけれど、見出しで読むのが辛くなってしまい、とても紙面を開けなかった。
見出しとは、〈沈む山雅、ついに最下位に〉。

なんとも切なく、けれど、わかる話だ。

群馬戦へ行かないことにした、という家人も、同じような気持ちなんだろう。

なんだかんだ言っても、クラブを思う気持ちは変わらないんだし、
こと勝負事には相手のあること。

決意した、と見得を切るのはかまわないが、チーム内部で不信と疑心に陥らず、ひたすら取り組んでいるサッカーを全うする、でいい。

個やチームが、沈みゆくタイタニックの甲板の上で、椅子を片付けるような的外れなことに向かわないこと、それだけを望みます。

勝って気持ちよくやりたいけれど、不振の時だってあるさ。

周りが浮足立って、どうする?

勝ち馬に乗りたいだけならば、山雅を贔屓にしないほうがよっぽど平安な人生でありましょうし。

では。

闘魂も 商魂も。

2019年に関するデータがある。

監査法人大手のデロイトトーマツが、毎年発表しているもの(最新版)。

J1チームの、スタジアム集客率(%) だ。

ホームスタジアムに、定員に対しどのくらい観客を集めたのかという数字。
第1位は、川崎フロンターレで、83.7%。(23,843人)
我が山雅は、第3位で、78.0%。(15,861人)

あぁ、こういう日の再来を、恋い焦がれるわけです。

グッズ関連利益額、というのもあって、
第1位は、浦和レッズで、3億6,100 万円。
山雅は、第9位の、1億2,600 万円。
リーグ平均が、1億2,700 万円なので、ちょうど平均値ぴったりだった。

たとえば、ジュビロ磐田(14位)は、6,800 万円。

必死に売り上げないと経営が成り立たない山雅と、それを当てにしなくともやっていける磐田の、クラブの在り方の違い、と言ってしまえばそれまでなんですがね。

チームは闘魂むきだしで戦い、クラブは商魂まる出しで売りまくる。

それが山雅の歩む道。

ところで、手ぬぐい製造販売の〈かまわぬ〉とコラボレーションした、手ぬぐいが近々に登場する。

絵と文字なんかを使って、松本山雅を織り込んである。


写真のは、かまわぬを、鎌、〇(輪)、ぬ といった絵や文字にくだいて文様に仕立てている。

洒落ているので以前から使っているが、お店でフツーに購うと、880 円也。

で、山雅オリジナルは、1,500 円。

Jリーグも版権使用の名目で、かなりピンハネしているはずだから、同様なものの市価の、約2倍になるのも当たり前か。

まぁ、今回、萬年は遠慮しておきますがね。

最後は、山雅愛とか言ってこんな曲で、失礼を。

では。

この程度なのか? 山雅 (2021.4.21 愛媛戦レビュウ)

朝いちばんで、
― いやぁ、いよいよ最下位ですな、って挨拶を交わしているようでは、家庭の平和もあったもんじゃあない。

捲土重来、いつまで言い続ければ?
愚痴ですけどね。

遠く、松山の地で、1 – 3 の敗戦。

かの地では、COVID-19でいろいろと騒がしい様子ゆえ、今は、チームのつつがなき帰松を祈りたい。

念のため、はじめに 第9節終了時の、戦績を比べておくのも一興かと。

2020年 ➡ 2勝3分4敗  (第2節の前には イレギュラーな休止期間)
2012年 ➡ 1勝4分4敗

最下位に沈んだ、とは言え、勝ち点ではいまだに団子状態が続いているのを感謝せねばなりませんな。
最少のどんぐり、と思ってみても、大した慰めにもならないか。

【ゲームプランの破綻】
萬年の注文どおりに、初期布陣として、3 – 1 – 4 – 2 を採用した山雅。

この狙いは、わかる。

ただし、この布陣はあくまで、ボールを手中にしつつ、中盤の、インサイドハーフふたりと、サイドバックふたりが、運動量豊かに動き回ることを前提に成立するものであって、ここが不活発であれば、なかなか機能しないはずであった。

さらに、センターバックのところから丹念にパスを繋いでいく部分で、無理なボールの交換や、パスのずれなど、イージーなミスを犯し過ぎた。

これじゃぁ、前節、甲府戦の後半に魅せた、ボールを動かしながら相手を崩して侵入していった戦法が、なかなか発動、持続できなかったわけだ。

圧力をかけて押し込む、といったこちらがやるべきことを見事に相手にやられた結果、スローインから、クロスボール処理のハンドによるPKから、コーナーキックから、とデジャブ(既知感)満載の、失点の山。

自己省察に基づいて向かってくる相手は手強い、とプレビュウで指摘したことが実現してしまうとは、まったくトホホな萬年。

もちろん、その戦法でやり切って勝利した愛媛FCこそが、上等だったのです。

【プラン機能不全の 理由】
ここらへんは、もはや推定の領域なんですが、

❶先発およびベンチメンバーをみると、どうやら前半はドローで良し、あわよくば先制、後半に一気に突き放す、というプランだったのではないか?
前や河合を、前半温存したことが、それ。
ゆえに、力をセーブしてゲームに入ってしまった。
ところが、勇猛果敢に出て来た愛媛の圧力と躍動に対処できず、後手を踏む形になる。

❷予想外の事態にタジタジとなるのは、当然のことだろう、とは思う。
けれど、そこを堪えて、時間を自分流に進めることが、なぜできなかったのか?

山雅プレイヤーの技量からすれば、最終ラインにひきつけておいて、いなしながら前進できるだろうと観ていたが、余裕のない不正確なプレイからボールロストが多い。
自分たちの焦りから、やくやく主導権を渡してしまっている印象。

プレビュウで、狡くやれ、といったのはこういう局面での、沈着なプレイを期待したんですけどね。

ゲームを通じ、結局は、愛媛の5人が並ぶ中盤を突き破ることは、ほとんどできませんでした。
愛媛プレイヤーの程よい距離感を断ち切って間延びさせる手法、たとえば、ボールのサイドへの散らしにもっとチャレンジできなかったか?
縦パスが、あれほど機能しないのならば。

ほとんどなにもできずに終始する、といった我がチームの惨憺たる姿は、一年ぶりぐらいに観るが、

― わくわくさせてくれる、あの山雅は何処へ行ったの?、と家人は評す。

❸精神論には走りたくないけれど、あの程度の追い込みと圧力の前に、積み上げたスタイルが瓦解してしまうのは、自分ならびにチームメイトへの信頼感が低下している感を持たざるを得ない。

自己不信が、考え過ぎであれば、と願うばかり。

チームがバラバラになるのはまづい、というプレイヤーが居るんだから、なんとか、そこはクリアする、ってもんでしょう。

時間は戻せない。
ならばサバサバと、ここからやるだけ。

では。

100年前に学ぶ 模範解答はこれ。

緊急事態宣言といったところで、内容は〈お願い〉ばかり。

うむを言わせぬ実行もないから、発令するたんびに、新鮮味と権威? も失っていくのでむしろ逆効果、とは、真っ当なご意見。

80年前の戦争にしたって、民の協力と忍耐を取り付けていたのは、結局のところ、隣近所や世間から〈非国民〉と指をさされる恐怖であったことを思えば、民を動かすこの国のやり方は、100年近く経っても、ほとんど変わっちゃあいないことに、むしろ感動する。

こういった、子供だましみたいなことを真剣にやっている世のリーダーたちを、こどもたちは、一体どういう思いで観察しているんだろうか?

前にも書いたが、本当にヤバい!、人の移動を止めたい、と思っているのならば、都営メトロも都バスも止めて、JRイーストともダイヤ変更について真剣に協議するはずなんだが、そういう話は、あまり聞かないのはなぜなんだろう?

およそ1世紀前(1918~1920年)、A型インフルエンザ(H1N1亜型)が世界的に大流行した。

今では季節性インフルエンザと呼ばれ、毎冬ワクチンを受けて予防する(それでも罹ることがある)が、当時、人類はその抗体をほとんど持っていなかった。

人口5,500万人の日本では、2,380万人あまりが患者として報告されて、39万人弱の人々が亡くなった。(45万人とする説もある)
人口の、47%が感染したことになる。

スペイン風邪、と呼ばれたパンデミックだが、100年も経てば記憶の彼方へ行ってしまう。

日常的に風邪に苦しんでいる日本人ならば、コロナウイルスを制するなんことを考えないのがむしろ賢いわけで、

せいぜい自身でできる予防策を怠らず、
国や他人をあてにせず、
噂や雑音に惑わされずに、
基礎体力をば温存しながら、
おとなしく3年間を耐える、
さういふひとにわたしはなりたい ― これが模範解答なり。

ところで、画家エゴン シーレ(1890~1918年)とその妻エーディトは、スペイン風邪の犠牲者だ。


稀有の才能。
個性的な人物描写を試みた
シーレは 当時28歳、ようやく世間に売り出し始めた矢先の落命だった。

シーレは、ウィーン美術アカデミーで学んだ。

彼が入学した次の年とそのまた翌年に同校を受験して不合格になったのが、アドルフ ヒトラー(1889~1945)だ。

ヒトラー政権がナチス時代に退廃芸術展を開催した際、シーレの作品は、堕落した芸術として没収される。

彼の作品は多く性的な領域に踏み込んでいるから余計に攻撃の対象になったんだろうけれど、いまでも、オーストリアからは、ドイツ国内の美術館に対して返還請求がなされているらしい。

では。