尽きせぬ問いに 答えを求め (3部リーグ開幕直前)

職場のクレ君が、
― 今季はJリーグも観てみたいです、と言ってくれる。

多分に、僕へのヨイショもあるんだろうが、かつての絶対的な強さがまだ戻らないバルサファンとしては、すこしは他を眺めてみようか、ということだろう。

ま、実際は、プレミアリーグなんかを、多く観るんでしょうがね。

そのプレミアのサッカーについて、
― いかに手早く空いたスペースを獲って、そこを起点に、人数をかけて攻め込むかを徹底してるよね、と言ったら、

― リバプールがその典型ですね、というのが、クレ君の答えだった。

これですよ、これ。

日本には寿司職人という良い模範があって、手指の熱が具材にうつらないよう、いかに手数をすくなく握って供するか、これを追求している。

ボール保持の態勢か、あるいはカウンターかはともかく、速く手数少なく攻め切ってしまう、これをモノにしてもらいたい。

それでも、念のために、カマタマーレのプレイヤーを下調べ、と思い、公式サイトを開けてみたんだけれど、旧知というと、重松 健太郎ひとりぐらい。

いつか観たプレイヤー探し、もう、そういう回顧趣味は捨てろ、ってことでしょう、きっと。

― ほぼ同じメンツをとどめた、ってことは、昨季と同じようなテイタラクを覚悟しなくてはと、とても楽観視はできません、が家人評。

もちろん、一筋縄ではいかぬ3部でありましょうが、もはや言い訳の効かない名波氏が、どこまでチームを鍛え上げてきたか?、の一端を期待するのみ。

以上、讃岐戦のプレビュウに替えさせていただき、明後日は、DAZN観戦します。

では。

R★E★S★P★E★C★T

― ほんの一握りの人間が決めた賞になど興味はない、私が欲するのは、大衆の喝采だ。

とは、チャールズ チャップリン(1889~1977) の言葉。

確かにな、とは思う。

思うものの、人間にはどうしても優劣をつけたい要求があるようで、それが他意の無いお楽しみであるならば、師チャーリーには、大目にみてもらいたい。

米国の音楽誌Rolling Stone は、ベストソング歴代500曲、というランキングを、17年ぶりに更新して公開した。

昨2021年の、9月15日朝のこと。

500曲のうちおよそ半分、上位100曲のうち3分の1に、前回(2004年)には選ばれなかった曲が、入選している。
時代はとめどなく流れているんだから、当たり前といえばそれまで。

その第1位は、『Respect』(1967年)by アレサ フランクリン(1942~2018)

作者は、オーティス レディング(1941~1967)。

アレサはこれを、もっと、この私を大切に取り扱ってよ、という女性からの恋歌として、仕立て直した。

第3位は、『A Change Is Gonna Come』(1964年) by サム クック(1931~1964)

ボブ ディラン(1941~ ) の『風に吹かれて』にインスパイアされてサムが作ったが、ディランの曲を聴いた彼が、― これを、白人の若僧が作ったのか……、と感慨深そうにもらしたらしい。
そこには、プロテストは、俺たちのやることだろうに、という矜持と義務感が読み取れるような気がする。

そのディランは、第4位に『Like A Rolling Stone』(1965年)によって、ランクイン。
アコースティックギター一本で時代を評して歌う自分、との訣別を宣言した曲、というのが僕の持論。

ローリングストーン誌のランク付けの姿勢は、単なる愛唱歌、秀歌の収集という視線ではない。

時代や音楽に対して、どれだけ革新的なアンセムであるか、あったか?、という目線が際立つ。

その立場をリスペクトしながらも、このランキングは、けっこう楽しめる。

そんなこんなで、第1位のアレサが、第3位に入ったサムの曲をカヴァーしているのを、ただただ聴いているのです。

では。

どこが,狂気なものか。

理解できない暴挙であることを強調したいために、〈狂気〉による行動、と言うんだろうが、メディアの煽り文句は論外として、狂気、で片付けてしまうのは、まづい。

あえて言えば、ご本人からすると〈侠気〉だった、と思う。

侵食されて弱まる祖国ロシア、それを建て直すための一手を発動する、という。

原油高騰の追い風による国家財政の好調、米欧とシナのいさかい、国内統治の磐石などなど、ここぞ、というタイミングで仕掛けた、ウクライナ侵攻だったはず。

20世紀末に首相に就任するや、役職に異動があったものの、実質的な国政トップに居続ける力量を持つ頭脳が、冷徹な判断によってゴーを出したのだ。

ただし、今の状況は、相手やその支援者の出方について読み切れなかった、ということにはなっている。

その狙いはともかく、侵攻して4日目にはすばやく停戦協議に応じているんだから、正気でなければできないことだ。

最終兵器の使用にまで言い及んでいるのも、計算づくに違いない。

いまから80年前、欧米相手に単騎決戦を開いた、どこぞの小国にしたって、エネルギーを絶たれようとして相当に焦っていたとは言え、なんとか活路を見い出そうと、〈正気〉でパールハーバーまで出かけていったのだ。

ただし、日本の決定的なミスは、出口、つまり、終戦にもっていく戦略がほとんど無かったことだろう。

それがために、いたづらに人的な損失を招いてしまう。

東条 英機を首班から引きずり下ろす工作はあったんだが、いかんせん、昭和天皇が、終戦の可能性を探れ、とはじめて下命したのが、1945年6月22日だった。

追いつめられ追い詰められ、結局は、敗戦の4箇月前たった2箇月前のこと。

天皇はこの日、最高戦争指導会議において、首相、外相、陸海両相、陸軍参謀総長、海軍軍令部総長の 6名を前にして、

― これは命令ではなく、あくまで懇談であるが……、という言い方で、
戦争終結について具体的な研究を遂げ、実現に努力せよ、と発言された。

と、当時、鈴木貫太郎内閣の書記官長であった、迫水 久常(さこみず ひさつね 1902~1977)が、その回想録で語っている。

なにかを始める時は、どのようにして終わるのかまでをプランニングすべきなのは、これはもう、仕事師にとっては、当たり前の話でありましょう。

それにしても、今度の件で、僕がいちばん気になるのは、外相や大使などのいわばスポークスマンは別にして、たとえば、メドベーチェフメドベージェフといった、首脳級リーダーたちの動静についての情報が全く入ってこないこと。

こういうのが、一流の警察国家、ということなのか。

では。

食傷の 5月は ごめんだな。

そうか、讃岐戦まで鹿児島にとどまって、開幕に備えるんだ。

長い距離を行ったり来たりするよりも、それが、理に適っている。

ところで、102回天皇杯サッカー(兼長野県サッカー選手権) の件。

山雅は、決勝戦(5/8)から登場するような格好で、シードされたんですな。

で、パルセイロは、準決勝から参戦するというシード権。

2週連続で対戦が確定か、などと思うのは、これはもう、他の参加チームに失礼な即断でありまして、なにが起こるかわからないのがサッカーでありましょう。

もちろん、2週連続、メンツが違ったとは言え、同じカードで食傷、というのはご免蒙りたいものです。

とかいって、ビージーズの、1st of May(5月1日)、なんかを聴くんであります。

果たして、今年は、どんな5月になっているんでしょうか、世の中も含めて……。

では。

そろそろ,お色直しなどを……。

いよいよ、リーグ戦の開幕週へと突入した。

ガッシュ(アクリル不透明水彩絵具) のノリと乾燥具合が悪いので、もうすこし暖かくなるのを待って。

と、引き延ばしていたゲートフラッグの意匠直しを、しなくてはならない。

ユニフォームの柄を、2022シーズン仕様に上書きしよう。

第2節の、アウェイYSCC横浜(@三ツ沢)のチケットは、すでに購入してあるから、これも近いうちに 7 – 11 で発券してもらおう。

職場のモモ氏は、有給未消化が多いために、4~9月間で、計画的に(=強制で) 5日の取得を勧奨された。

特段の予定もないのならば、山雅のホーム戦の日を、それに充ててよ、とお願いしたら、なんと、そうしてもらえた。

5回は無理でも、これで、アルウィンにお誘いできる日程の確保が、出来た!

さてと、前に予告したとおり、圧倒的な情報不足もあるから、リーグ戦開始後のしばらくは、プレビュウは、ご辞退。

ただし、山雅の側に関しては、ひとつ。

昨年、証明してみせた(皮肉) ところの、2部リーグ最弱チーム力を、3部リーグに移ったとはいえ、どこまで挽回してみせるのか、ほぼ、これにしか興味は無い。

つまりは、システムだの、戦術だの、それはそれとして、
ピッチに立つひとりひとりのプレイヤーが〈選ばれている〉という矜持を、プレイそのもので表出できているか?、それを、注目します。

具体的にいえば、臆病さのカケラもない、こっちから仕掛け続けるサッカー、これでありましょうか。

では。