あえて〈信州人〉の名を捨てて (福島戦プレビュウ 前編)

他人の知識をあらかじめ決めつけないで会話することについて、ずいぶんと気を使う話、その第二弾です。

(小倉っ子の)ジョー氏に、坂(さか)に、城(しろ) の町と書いて、なんと読むの?と訊かれ、

― サカキマチ。上田と長野の中間くらいに在るよ、と答えたら、

―〈おしぼりうどん〉って、知ってます?、ときた。

ジョー氏が送ってくれた紹介動画をみたら、手打ち風のうどんを、ねずみ大根のしぼり汁につけて食すので、おしぼりうどん、と呼ぶことを知る。

うーん。
伝統野菜を喧伝しようとして、無理して麺つゆに使っているようにしか思えないなぁ、というのが、僕の感想なんだけれど、
そのあたりは、ジョー氏と意見が一致。

たとえば、カツオダシ風、フツーの麺つゆで、いいんじゃあないか。

帰宅して、これを話したら、家人の言うには、
― 信州人なのに、おしぼりうどんも知らないの?
北信の方では、大ポピュラー、と思っているけど。

と、暗に、北信がルーツの萬年を、挑発するのです。

しかも、
― 昔、(あたしの)実家でやっていたように、ねづみ大根タップリで仕立てたうどんを出したら、もう、こういうの要らないから、と言ったのよね、あなた。

へぇー、数十年前に、おしぼりうどんを拒絶した自分がいて、しかも、二度と食さないと宣言して、更に更に、その事実をまったく忘失していたとは、なんともあっぱれなことと感心してしまった。

さてと。

僕としては、信州人などと呼ばれなくとも、〈山雅人〉(やまがびと)でけっこう。

だから、たとえば、信州ダービーで舞い上がる気が知れない。

損得で言えば、ダービーによる恩恵は、当方にはほとんど無いのだから、むしろ、チームもファン&サポーターも頭を冷やして臨戦しないと、余計な怪我も負いかねません。
リーグ戦残り3分の1の、落とせないゲームのひとつ、でいいですよ。

……ところで、明日は、ベビーシッターの役を仰せつかっている都合上、DAZNでリアルタイム観戦の予定。

で、ルーチンで、福島ユナイテッドFC様の公式サイトに目を通しておく。

すると、今節を、両指揮官同士の〈盟友激突〉とぶちあげて煽っていらっしゃる。

しかも、松本山雅ファン&サポーターに向けて、専用ニュースをリリース、アウェイユニフォーム着用可の席種については、赤字で強調するなど、なにかと手厚い。

これもまた、お決まりで、公式ツイッターを覗いてみたら、9/7時点の、チケット販売比率、なんてものまでご教示くださっていた。

それによると、福島側 43%、山雅側 57% 。

とうスタを赤く染めろ、と盛り上げも盛ん。

松本山雅を使って、最大限のセールスをもくろむ。
こういった営業努力には、頭が下がります。

……、でこれの、どこが、プレビュウなんだ?

このゲームの、見逃せない潮流は、すなわち、ボール保持。

これがイコール ゲーム支配では決してない。

が、両者スタイルの結果としてどのくらい、どちらにボール支配のシーソーが傾くのか?、は重要なポイント。

どちらが、スタイルを表現できているのか、ということにおいて。

前半戦、ホームアルウィン(7/17) では、山雅 35 : 福島 65 だった。

2箇月経って、さて、今回は、チケット販売比率の真逆にほぼほぼ近い、

山雅 40 : 福島 60 、くらいになるんでしょうかね?

では、明日の後編に続きます。

身勝手な常識を 押し付けるな。

相手がそれを知っていて当然、といったような勢いで会話に入って、途端に、家人の反撃に遭うことが、しばしば。

こういう切り口で話を強要されるのは、相当に不快なことには違いない。

いま流行りの言い方で、

― それって、〇〇じゃあ~、ありませんか。

と、まるで、暗黙に了解を押し付けられる気分がして、

― そんなの知らねぇよ、それ、あんたの勝手な前提でしょうに、と言いたくなりますからね。

それと、まったくおんなじことでありましょうから。

そう言う訳で、最近、もっとも気をつけている態度と物言いではありますが、フト同じ過ちを繰り返している自分には呆れるばかり。

では。

最上の尊称 とは?

先日、職場で、取るに足りないような話題を交わしていたら、

― 詩人だねぇ、と言われ、思わず、

― あぁ、それ、いただいていちばんありがたい呼ばれかたです、と返してしまった。

ほんの些細なことであっても、人生が、ふっと、立ち止まる瞬間のひとつ。

今から、95年前の、7月25日。

ひとりの作家が、みづから命を絶った。

今でも、年に何度かは、その名を聞くことがある その人。

芥川 龍之介 (1892~1927) だ。

僕からしたら、その自死の理由もよくわからず、深追いする気にもなれないけれど、当時の文学青年(少年も) にとって、芥川の自殺は、けっこう衝撃的な出来事だったらしいんですね。

現在、芥川の作品がどれほど読まれているかわからんが、その頃、最も目立つ作家のひとりだった。

約一世紀前の、30代の人間がどのくらい成熟していたのかは、ほとんど承知していない。
(少なくとも、2020年代の同年齢よりは早老だったのかも知れないが)

なので軽々に語れない。

けれど、自死するに値するような出来事が、芥川とその周囲には在った、と思うしかありませんな。

詩人の萩原 朔太郎(1886~ 1942) は、晩年の芥川にとって、比較的新しい友人だったらしい (と、本人がそう書いている、下の作品の中で)。

で、朔太郎は、芥川逝去の後、ひと月ほどのうちに、タイトル〈芥川 龍之介の死〉という文章を発表する。(『改造』1927年9月号に掲載)

それを読むと、生前の芥川は、朔太郎に対し、自分を詩人である、と評価してもらいたがっていたようだ。

ところが、萩原は、芥川に向かって、君は詩人ではなく、〈典型的の小説家〉だ、と言い放つ。

これに対し、芥川は、自分は詩人であり過ぎるのだ、と言って応戦した、と朔太郎は書いている。

当世第一級の詩人(朔太郎のこと) から、詩人として認められたい、とはなんともけなげなエピソードではないか。

けれど、『蜜柑』(末尾に大正8年、つまり1919年4月の注記あり) なんかを読めば、芥川に詩人の資質は乏しい、と僕には思われる。

電車で乗り合わせたみすぼらしい少女が、主人公の作家にとって、一瞬、神々しい存在に変化(へんげ)するといった内容の短編。

けれど、(主にその表現手法からだろうが) 作品の読後感として、詩人の特性である〈心の舞い上がり〉というものに、どうしても欠ける。

ああいう題材を、太宰 治だったら、もっと巧い語り口でまとめられるだろう。
(太宰が詩人であるかどうかは別にしても)

……、実は、ホンネを申せば、芥川詩人論など、どうでもよい。

今回、必要があって、萩原朔太郎の文章(交友録のような随筆?)を読んでみて、そこそこの作品を生みだした詩人でありながら、彼の紡ぎ出した散文は、おそろしくつまらないなぁ、と感じ入ってしまった。

あまりに散文的で。

それが、感動的なまでの、相当な意外感であったことが、よけいに僕を、憂鬱にしている。

では。

気がつけば、

周囲の農地の多くで、蕎麦の花が、風に揺れて白く輝いている。

所有者が〈営農〉に委託している土地では、労働集約型の農法は営まれない。

だから、植えっぱなしでも収穫できる、ソバが選ばれるんだろう、きっと。

素人は、そう考えている。

そんなにソバを作っても、買ってくれるほど日本人は蕎麦を食すようになってるんだ。

昨日、庭で今年初めての、アキアカネを見た。

そば所と 人はいふ也 赤蜻蛉  一茶

では。

ひとつ残った 秋の七草。

身近に楽しみたいと思って、庭に、秋の七草を集めている。

ハギ(萩)、キキョウ(桔梗)、クズ(葛)、フジバカマ(藤袴)、オミナエシ(女郎花)、オバナ(尾花、ススキのこと)、ナデシコ(撫子)、この七つ。

このうちクズは、とてもその繁茂をコントロールできるわけもないから、野にあるものを愛でることにして、他の五つを、庭の片隅にその都度植えてきた。

ナデシコだけ、いまだ手がついていない。

園芸市場を回っていて、これは、と思うものに出逢っていないからだ。

その名が、愛児を失った親が、その子の好きだった花を形見として撫でたことに由来するなんてのは、実に切々とくるではありませんか。

まぁ、気長に探せばいいや。

ところで、過日、中米コスタリカにおいて、2022女子サッカーU20ワールドカップが開催された。

日本は、決勝でスペインに敗れたものの、第2位の成績を残している。

立派な戦績だ。

ハイライト映像を観るに、なでしこジャパンは、なかなかテクニックに長けていて巧い。

俊敏な動きとパスワークを武器にしているんだろう、と思った。

僕はもともと、女性が、105m × 68mの、男性と同じ大きさのピッチでやることに疑問を持っている。

女性でも、白人種がやっていると、なんとか絵にはなるけれど、ピッチに日本人を置いてみると、とてもとても広大な中にプレイヤーが孤立していて、チト切ない。

男女で違うスポーツをやっていると割り切れば、それでいいんでしょうけれど、発想を変えていかないと、国際大会などでトップを獲ることはできないなろうなぁ、と思う。(日本の中で楽しむならばかまわない)

現在は、サッカーが好きで上手くて育ってきたプレイヤーたちを集めているんだろうけれど、特筆すべき身体能力を有した若人を集めてサッカーを習得させるくらいのことをしないと。

2011年ワールドカップを制したナデシコジャパンの残像に憑りつかれた者からは、この先ずっと、低迷し続けている、との評価しか出てこないだろう。

要は、この先、戦略的に強化をするとしたら、という話に過ぎませんがね。

では。