せめて三つの願い (天皇杯3回戦 対G大阪)

本日は、パナスタ(吹田市立)で、ガンバ大阪と、エンペラーズカップ3回戦を戦う山雅、なのだ。

チームは、FDAで神戸経由だったのだろうか、すでに在阪のはず。

ガンバは、2回戦(6/16)、関西学院大学を 3 – 1 で退けて勝ち上がってきた。

それぞれ、ガンバ 21日、山雅 22日にリーグ戦を控えている中、大幅なターンオーバーのメンツで臨戦するだろうから、メンバー予想は容易ではない。

実際、対関西学院戦では、藤春、倉田、パトリック、宇佐美などは控えメンバーだったから、今回もそんな感じ?

強いて言うと、❶レアンドロ ぺレイラとやりあえればなぁ、そして、❷ガンバには、公式戦初勝利、これくらいか、願うことは。

なにせ、リアルタイム観戦ができない萬年でもあるし。

でもまぁ、直近のガンバはどうなんだろう?

と、第24節、アウェイ清水戦(8/13)のハイライト映像をチラ見。

3分程度の公式ハイライトは、ガンバ FW山見 大登(関西学院大4年在籍、特別指定)の、スーパーなゴール(後半37分) やら、ガンバの攻撃ばかりが編集されている。

シュート数は、清水14本、ガンバ 5本。

これを観るかぎり、エスパルスのほうが優位にゲームを進めていたに違いなく、だとしたら、このハイライトはないわ。

清水、DAZNにクレームをつけなくっちゃ。

それにしても、清水はこれで、4戦勝ちなく、現在14位。

勝ち試合では、けっこう得点しているんだけれど、失点もやはり多い。

ガンバ戦の先発をみると、馴染みは河井 陽介ぐらいのチームになった。

誰がチームとしての芯?、という感じですが、残留を期待してます。
ふたたび、トップリーグで対戦したいんでね。

さてと、ガンバのシュート内訳は、レアンドロぺレイラ 2、山見 2、黒川 1。

今回の対戦、山雅がつけ入るとしたら、ガンバの、こういった貧打、の部分でしょうか。

あとは、互いに3バック、ということでの、当方がやり馴れたやり方で、いかに相手を凌駕できるか。

とにかく、やるからには、❸山雅の新生面、特に、最前3人とインサイドハーフの作り込み、が観られると、なお、嬉しい。

では。

凡庸を責めることの 危険。

8月15日を、終戦の日、と呼ぶことが、なんとも滑稽に思われる。

もう戦いは終わりにします、と自分で決めたような格好にはなっているけれど、実際は、窮地に追い込まれた挙句に、待ったなしの無条件で掲げた白旗だったんだから、どうみたって、〈敗戦〉でありましょう。

敗戦、つまり、完全な武装解除と被占領、から始まったこの76年、という現実をどこかに置き忘れているので、平和論、国家論、果ては死生観までが、不毛な袋小路に入り込んでしまっているのが、僕たちの現実ではあるまいか。

人命はなによりも重い、とか言いながら、心身両面で平気で人を抹殺するような事件や事故が、この〈平和〉の国で跡を絶たない。

あの壊滅的な結末を迎えた戦争をおっぱじめ、そして戦った世代が、この世から去って久しい今。

各界の権威、有識者とか呼ばれる者はすべて、当時、物心もつかない幼児未満だったわけだから、いろんな意味で、戦禍の辛さや深刻さも軽くなるのは、これはもう、当たり前でして。

そうだな、特に、40歳以下の若い世代は、今大きな顔をして語る老人のほとんどが、あの戦いにまつわるところの苦労などしていない、と思って、その言動や教えにつきあったほうがいい。

特に、メディアを通して行われる、浅薄で、民に迎合的な情報操作が、真実を余計に見えなくしているから厄介だ。

COVID-19についても同様で。

人口1億2,600万人に対して、死者15,402人だから、人口100万人当たり 123人。

他方、人口3億3,000万人で、死者614,267人は、人口100万人当たり 1,861人。

日本に比べ、米国の、この流行り病における致死率は 15倍、というリアル。

なんらかの国家戦略が効いてこうなった、と言い切れないところが辛いが、

死亡という最悪の結果からみる限りは、現政権の対応や施策をガタガタ言うようなことでもない、と僕は思っている。

感染状況を災害と同じだ、とセンチメンタルな発言をするリーダーの姿勢。
または、専用の病床を増設もせず、ただただ狭いコップの中で困った困った、とうろたえているのはどうか、とは思うけれど、

批判の多くは、切迫感なき緩慢さとか、対策の不徹底をついているようだ。

けれど、どの政権や首班がやったにせよ、この国の制度下ではおそらく、諸政策は大差ない内容に落ち着くことは間違いない。

ここ数十年かけて日本は、多方面で護送船団方式の経済活動をぶっ壊してきていて、それを多様性の尊重、とかいって称揚してきたんだから、なにをいまさら、制限(規制)と補償をセットでとか、全員が救済されるべきとか、ムシのいいことを言っているんだか。

凡庸、愚策、無策内閣と、あげつらっているうちはまだ良くって、こういう状況の下、颯爽と、期待を浴びるように個人や集団が出現するほうが危険、というのは歴史が証明している。

そういう意味では、出ては叩かれる、足の引っ張り合いがマシな場合もある、と割り切れ。

この国では過去、おそろしいことに突っ込んで行く時、かならず誰かの権威や、他国による圧迫が理由として使われるのが常だった。

これからも、そこのところには注意しないと。

では。

失意のクレ に捧げる。

註:クレとは、バルセロナファンの愛称。

同僚のカン太くんは、たしか20代。

彼にとって、リオネル メッシのいないバルセロナFCなど、あり得ない。

2003年以来、クラブに18年間も所属して、輝かしい時代と実績を残したスター選手なんだから。

なので、バルセロナファンのカン太氏、リオ メッシが、2021/2022シーズンからパリ サンジェルマンの一員としてプレイ、との報に接し、その落胆たるや甚だしい。

たしかに、ボール扱い、パスセンス、FKを含むシュートの秀逸、どれをとってみても、どのポジションでプレイしても、卓越した才能だもんな。

重心の低い、独特のリズムで刻む、俊敏なステップワークのユニークさは、僕にでもわかります。

その年俸(推定) 50億円にたまげていた家人、他に、例えば、アディダス社との年間契約料が11億円と聞いたら、どんな顔することやら。

ところで、パリサンジェルマン(PSG)は、フランス1部リーグ(リーグ アン)に所属するクラブ。
このところ、(中東のマネー力を使って?) ビッグプレイヤーの蒐集に精を出している。

DAZNは今回、リーグアン独占配信を獲るべく動くでしょう、多分。

さもないと、メッシのプレイが世界中の耳目から消えてしまうわけで、その存在が、放映の世界構造を変えてしまうくらいのプレイヤーなんです。

さて、PSG。

リーグ アンでは〈一強〉といえる存在。

Jリーグでは、某ヴィッセルというクラブが近年、高名なプレイヤー集めを繰り返していて、どうやらリーグ一強の座を狙っている。

これ、人気を獲るための、マットウな手段のひとつでもあるわけで、たとえ巨人化、と批判されても、そういう球団がひとつやふたつあってもいいではないか。

この手法でトコトンやってもらって、リーグの注目度が挙がれば、なにより。


さて、失意の底に在る、東洋のバルサファンに対しては、

―いっそのこと、山雅に眼を向けたらどう?  いまここに在るサッカーも、なかなか味わいがあるから。

と、他人の不幸を逆手に取っている僕なんであります。

では。

『Who’ll Stop the Rain?』

天候だけを言うんだったら、サッカーという競技の特質上、ゲームをおこなわないといけなかった。

ただし、密着をうたっている、その地域に、警報が発令されたり、避難指示が出た日には、アルウィンだけが愉しみに浸っているわけにもいかないし、交通も遮断されていれば、出入りする人々の足許も危ういし。

―まぁ、セルジ―ニョとか、万全の態勢でサンガとやれる、って考えればいいことで。

―あらま、ツイッターなんかでそう言ってる人がけっこういたりするのよ。

さすが、山雅ファミリー、考えることは同じ、ってことでしょうか。

では。

山雅 決意の河を渡れ。


京子さんから、煽りのメールが家人宛てに入る。

―もろもろなこと、今朝ジャンプの新聞で確かめて、と。

そこで、隣家に頼み込んで、読み終わったニュースペーパーをもらい下げて来た。

ふむふむ。

首位京都との対戦の厳しさ、新戦力に関する内輪話等々、話題には事欠かない。

どうやら本日のゲーム、注目のひとつは、昨秋に大怪我を負った 山口 一真がメンバー登録されるかどうか、であるらしい。

秋田戦で途中投入された伊藤 翔(移籍加入)に続き、新しい戦力がいよいよアルウインのピッチで、あからさまになるのか。

で、その次は、コンディションを100%にまで高めた、セルジ―ニョと御目文字、という流れ。
(選手登録の手続きは、8/13に完了したので出場はいつでも可能)

まるで、ホップ ステップ ジャンプ の、FWの揃い踏みストーリー。

2021初秋のプレゼント、とでも名づけてしまおう。

阪野、鈴木、ルカオらにしたって、当然、黙っちゃあいないだろうから、なんとも熾烈な、前線の定位置競争、になるわけだ。

もちろん、新戦力のピッチ投入によって、すべてがオーライ、と思うほど能天気でもない僕なんだけれど、切れるカードや、引き出しが増えるという報せは、嬉しいもの。

お客さん商売は、とにかく話題性が大切。

チームがこれから飛び込んでいく、リーグ戦のクライマックス。

期待の高まりとドキドキを、この曲に託しているんです。

Many Rivers to Cross  (渡るべき河の多さよ)
written by Jimmy Cliff ,
recorded in 1969

渡るべき多くの河を眼前に
はるか自分の道を  見とおせない私
まるでドーバーの白い絶壁に沿って航行するかのよう
迷い、そして、自分を見失いそうなんだ

生きているのは  自分の意思のたまもの
何年も試され続け、疲れ切ってしまったけれど
ただただ、プライドってやつのおかげで 生き延びている

孤独は 私を 解き放ってくれそうにないが
独力でやってみよ、という試しなのか
恋人は何も言わずに去っていったけれど
そうだ、チャレンジしよう、と 自分に言い聞かせる……

今回は、トニ チャイルズ(Toni Childs 1957~ ) によるカヴァーで。

では。