良識派でないから、

騒ぐ気持ちがわからない、というお話。

(気が向かないけれど、書いておきます)

相手に手を挙げた行為によって、レッドカードが出ると、

やたらと寄ってたかるのが、世間、というものの煩わしさ。

ゲーム開始2分もたたないうちに、ボールを持ち出そうとした菊井 悠介を、

愛媛ボランチの森脇が、当夜の挨拶代わりなんだろうか、

けっこう激しく削ったのが、そもそもの伏線にあって、その鬱憤が、ああいう格好で噴出した。

でも、わざわざフェアプレイや、人倫を持ち出すまでもないことで、まぁ、手を挙げた日には、結局は、当方が損をするのがサッカーの定石のオチ。

だから、やめとけや、

自分で、自分自身を傷つけてしまうことにもなるしね、村越よ。

……、その程度のことで、済ましては?、と僕は思う。

あくまで、損得上のことでケリ、でいい。

フェアプレイで縛らないといけないほどに、サッカーは、ズルさと手を切れない。

挑発と報復は、見苦しくもあり、もちろん、推奨はしませんが、

こういう事が起こると、

いかにも良識派ぶって正論っぽいことを吐く輩が湧いてくるけれど、

きっと、この野郎、といった感情を抑制できる、立派な社会人なんだろう、そのお方は。

乱闘を、子どもに見せてどうするんだ、とか。

僕の経験からすれば、ああいう舞台での立ち回りよりも、

もっと日常的な、たとえば、目の前の夫婦喧嘩や親の吐くウソによって、ずっと、子どもは落胆と侮蔑を学んでいるから、そう心配めさるな。

ファールをもらおうとして身体を使うこと。

実際の苦痛以上の見映えを演出すること。

そういう部分が、かなり疑わしいサッカーならば、むしろ、それを楽しんでしまいましょう。

ただし。

僕からみていて、食傷な演出はですね、

失点の途端に、ディフェンダーがそろってひっくり返って寝転がる、あれ。

サッカー定番?の落胆のポーズ、はどうしても、好きになれない。

では。

今さら,今でさえも。

アルベール カミュ(1913~1960年) の小説『ペスト』(1947年刊) 。

ペストとは、自分たちの所業とは、まったくおかまいなしに襲ってくる厄災の象徴。

それに立ち向かうための人間の連帯が、多様な人物が絡んで描かれている……。

登場人物のひとりに、小説家志望の公務員がいて、

彼は、帰宅すると毎晩、小説を書き進めているらしく、ひとつの文章をいくども推敲していることを友人に熱心に語る場面が挟み込まれる。

独白に近いような会話が、人物の名前も、具体的なセリフも忘れてしまったのに、読後何十年も経って、ふと頭の中に蘇ってきた。

文学作品の不思議、あるいは、現実のなにかに触発されて起動する記憶の不思議さ。

そんな折、1970年代の楽曲をカヴァーしている動画を見つけ、ずいぶん懐かしくもあり、その上質さに驚いている。

もともとポール マッカートニーのアルバム『RAM』(1971年)、あれは、かなりの名盤だろう、と思っているので、それをこんな素敵なカヴァーで聴けるなんて、嬉しい限り。

それにしても、『ペスト』の発表から、『RAM』までに流れた歳月が、たったの20年とすこし……なのか。

今さらながら、でも、今でさえ、価値あるものは、僕の周りにけっこう多い。

では。

こころ打たれた 雨の夜 (愛媛戦レビュウおまけ)

退場劇があったせいか?、はわかりませんが、

ミスの少ない、という意味では、好ゲームだった。

ひとり少なくなって、こっちはますます手数をかけられなくなる、

そして、愛媛からは、手数をかける余裕を奪いたい。

そういった切羽詰まった緊張感、それが案外、うまく作用したように思う。

交代カードにしても、クロス投入の可能性を高めること、ペナルティエリア内では高身長で優位に立つ、そういった観点が明白であったわけで。

アラートが常に入るチームであること、ゲームコントロールで意思統一が強固であること。

こういう学びを、時節琉球戦に繋げたいもんです。

スタジアムを一周して挨拶をしてくれた、森下 怜哉の丁寧な人柄。

飾らない玉林 睦実の、生のままの人柄。

あそこに居なければ味わえなかったのだから、雨に打たれた価値もあった、としておきましょう。

では。

こころ晴れた 雨の夜 (2023.7.01愛媛戦レビュウ)

前半35分に退場者が出て、ひとり少ない不利なゲーム。

後半10分に先制されて、もっと困難にはなったけれど、

追いついて、1 – 1 のドロー。

勝ちに等しい引分け、といった安堵感。

けれど、追加点のチャンスはけっこう作れていたから、勝てたゲーム、と悔しがらなくてはいけないんだろうなぁ。

数的優位の愛媛が、ひたすら左サイド攻撃に専念してくれて助かりました。

左から、ひと手間かけて右へ展開され、守備が振られた結果、中央が空き、そこから打ち込まれたら、とヒヤヒヤでしたが、

強みへの固執が、裏目に出てしまった愛媛、としておきましょう。

それと、後半になって足が止まったのは、数的に苦しい山雅でなくて、愛媛のほうだったのも、こっちにゴールが生まれる伏線でした。

今月末には、アウェイでこのチームと再びやるんですけれど、

フツーにやれば、どっちに分があるか?、は観ていて納得され、ある意味、いい準備となった、と前向きに考えたい。

……、で、このゲームから学べた重きこと、ふたつ。

❶苦境に立たされた時こそ、チームの真価が問われるし、そこを切り抜ける智恵と技量を発揮するチャンスである、ということ。
山雅のプレイヤーすべてが、それを体現していました。

❷苦しいゲームを挽回しようと、スタジアムは一体になれた。

どうでしょうか?、観戦者のココロがチームを後押しすることでひとつとなれた、ワンソウルが戻ってきた、そんなアルウィンだった。

スタンドの誰ひとりとして、諦めていないのが解かりましたから。

逆境がむしろ、チーム山雅の真価を魅せつけてくれた、そんな、強雨の夜に感謝しています。

では。

現実的サッカーに対処する?(愛媛FC戦プレビュウ❷)

本日は、ずっと雨予想。

となれば、とにかく、出来る限り、良いピッチコンディションでやらせたい。

せいぜい、雨しぶきの中、一平芸を楽しもう……。

山雅公式は、トレーニングマッチの画像に、隠れたメッセージを込めることが多い。

先日は、松本大学とやったようだけれど、
#7ルーカス ヒアンが写り込んでいたから、きっと、実戦ができるまで復調した、という情報提供、と僕は勝手に思っていて、今節、登録されれば面白い。

滝 裕太とのポジション競争、となろうから関心が湧く。

で、愛媛FC。

前節、ホーム相模原戦を、開始20分まで観たが、

ひと言でいうと、ボールを手にしたら素早く速く前へ、そしてシュートまでを完結する、骨太なサッカー、という印象。

石丸サッカーは、極めて現実的。

かつて、愛媛は、スパッ、スパッとパスを小気味よくつなぐ洗練サッカーをしていた記憶がある。

が、今や、そんなスタイルとは手を切って、中途半端なボールが行き交いするシーンにも倦まずつきあう、リアリスティックな流儀。

森下 怜哉(センターバック)から、ロングボールが前線に入りもする。

システム 4 – 4 – 2の、ダブルボランチには、森脇と矢田の、ヴェテランセット。

ツートップは、松田、ダンカン、となれば、布陣、メンツ的には極めてオーソドックス、ではありませんか。

相模原戦を観て、意外だったのは、〈強度〉には、かなり欠けることだった。

攻撃の鋭さは、相模原のようがよっぽど活きがよくて、2 – 1で愛媛がゲームを獲れたのは、どうだろうか、詰めにおいて相手より優った、のでは?、と思う。

つまり、愛媛の強みはおそらく、決定的シーンで決め切る力に違いない。

なので、愛媛のツートップが、山雅の最終ラインを追い込んでおいて、回避的に出されたバールを奪取、反転攻勢をかけて、仕上げまで一気に、そんな狙いでくるように思う。

山雅は、プレッシャーをおそれず、相手をはがすような速いパスでボールを前へ動かし、サイドを多く使ってペナルティエリアに侵入したい。

されば、やっぱり、下川、宮部(藤谷)らのサイドプレイヤの奮起に期待。

対処するよりは、あくまで自分流儀を貫く、で行きましょう。

では。