初夏の雷鳴に。

この前の月曜日、午後4時頃、僕は庭先に居たのですが、

暗い雲が西方に湧き出すと、少しの間、雷雨が当地を見舞った。

後日、職場のモモ氏によると、塩尻では雹が降ったらしい。

この夏、僕が、はじめて聞く雷鳴。

……家人にうながされて家に戻ると、季節がら、この曲を、聴きたくなった。

『Thunder Road』(1975年発表)、ブルース スプリングスティーンの作詞作曲。

自身3枚目のスタジオ アルバム『Born To Run』の冒頭曲だ。

最初に置かれるからには、製作者の、それ相応の気持ちが込められた、と考えたい。

……、季節は 6~7月。

ロイ オービソンは寂しい人に向かって唄っている。
俺もそのうちのひとり。
そう 決して、ヒーローじゃあない。
けれど、俺たちは勝利するために、この敗残の街から出ていくんだ
さぁ、雷鳴の道を疾走して

……と、ハイスクールを卒業したばかりの恋人を、自宅まで迎えに行くと車の助手席へと誘う、そんな歌詞。

今回は、メリッサ エスリッジ (1961年~) が、COVID-19で、Stay Homeを余儀なくされた当時、自宅で、ひとり演っている動画を見つけてきた。

メリッサは、ハイスクール時代にスプリングスティーンに影響を受けて、歌い手を目指すようになったから、ロックンローラーとしての、自身のアンセムみたいなもんですな。

余談ですが、松田 優作 (1949 ~1989年)もスプリングスティーンを好んで聴いていたとか。

なお、時間の惜しい方には、6:30頃から歌が始まるので、そこからを。

では。

無題。

ほぼ麦秋の候。

麦秋も近い季節。

小津 安二郎の撮った作品では、

カメラは、人の腰からすこし下の高さに、ずっと固定されていて、

役者は、そのフレームの中を、

右から左へ、あるいは、奥から手前へと動いて演技する。

封切られた当時、それを観た日本人は、作品に描かれたことを、どのくらい身近、というか自分たちの生活に近い、と実感していたんだろうか?

めったに声を張り上げもせず、極端な生活を過すこともなく、そこには劇的なドラマもない、そんな生き方を。

昔の作品に触れるたび、最近は、そういうことがヤケに気にかかってしかたがない。

では。

追悼 ノッポさん。

高齢化社会であるから、訃報は身のまわりに満ち満ちて、そのひとつひとつに思い入れしている暇もないくらい。

けれど、

ノッポさん (高見 映) の死は、こころにグッ、と来るものがある。

享年 88。

教育テレビの、工作番組で、無言で演技していたのを、なんとはなしに観たおぼえしかないんだが、

家人に、

氏が、爪に(透明の)マニキュアをしている、と聞かされ、なかなか配慮ある御仁と思ったことがある。

観る者の視線は、彼の手もとに集中するんだもんな。

逝去が判明したのは先日だが、実は、昨年の 9月10日に亡くなっていた。

死はすべての人間に訪れる自明のものであるから、自分の死で周囲を騒がせることはしたくない。
自分はひっそりと逝くので、半年以上の時が流れるまで死は伏せるように、が故人の意思であった。

そこで、ご遺族は、誕生日5月10日のタイミングを見計らって公表した。

最後まで、配慮をつらぬいた人生……。

では。

パイオニアこそ,彼ら。

3部リーグにあって、いままでにない新しいサッカーに取り組んでいるトップチームはさておいて、

今の山雅で、未知の領域に挑む〈旬〉は、やはり、

〈松本山雅FC レディース〉、ということになろうか。

中学生年代の、レディースU – 15 は、5年の年月をかけて、北信越エリアでは、いまや、トップツーの一角(2022季第2位) を占めるまでになった。

(以前より萬年が指摘して来た) では、その中学生たちが高校生時代を通過し、さらに成年になる時、その受け皿をどうするのか?、という課題。

地域で一旦ことを起こしたら、その先の責任まで持たねばならぬのが、山雅。

その解決策として、今季、山雅レディースを発足させた、と考える。

(ここらの事情は、5/3のマッチデイプログラムに特集が組まれているから、ご高覧下さい)

それなりの準備はしてのことだろうが、既に〈北信越女子リーグ〉に参戦中。

正式なメンバーは、9人。

まるで、1974年頃の、池田高校(徳島県) みたいに。

で、不足分は、U – 15のプレイヤー(中学生)を転用、補充して闘っているのか。

星取表をみると、大量失点 (対リリーウルフ 0 – 7) のゲームがあったりするが、

その技量と、経験の差から、これからも苦戦が、いくらでもあり得るだろう。

が、そんなのは、もちろん想定内のはずだ。

大切なのは、松本の街を本拠に、前人未到の道を拓くこと。

というわけで今後、監督としてチームを率いる小林 陽介氏の采配に大いに注目しなければなりません。

では。

初夏の夜の夢 (決して正夢になるな)。

火曜日。

職場に来たドライヴァー(山雅サポーター,女性)が、(敗戦の憂鬱で) 夜眠れない、と洩らすから、

― 昼間、うとうとして事故しないようにね!、とお返しした次第。

勝手に応援していることであっても、敗戦の事実が、松本市中の交通安全にも多大の影を落とすことを、山雅には、わかってもらいたくもなる。

さて、不眠も辛いが、悪夢に落ちるのも、また辛い、というお話。

……元監督の反町 康治氏は、山雅ファン&サポーターにとって、Jリーグの水先案内人のような役割を果たした。

(徐々に整備してはいったが) どうしても不足しがちな戦力であっても、その強みすべてを活かすようなサッカーをやって魅せた。

持てるカードの限定という現実から、おそらくは、本来やりたいスタイルには背を向けた方法論を採用したのではないか、と察している。

山雅における、プロリーグ参入の揺籃期に、その手法がかなり巧く機能したことは事実であり、氏が、クラブ史上、多大の貢献をしてくれたことは間違いない。

だが、その離松以降、チーム創りには舵が切られ、数年もがきながらも、山雅は、次なる時代をたどろうとしている。

が、苦境になると、いまだに氏の時代が持ち出され、回帰論が説かれるのは何故なんだろう?

思うに、アルビレックスファン&サポーターにもかつて、同様の葛藤があったのではないか?、と推測したくなるが、長い雌伏を経て、トップリーグで戦う今季。

ともかくも、今季の賽は投げられているわけで、霜田山雅が成功を収められるよう、支援することが、我がチームの未来を拓く。

今、ここの山雅で花咲こう、とする指導者、プレイヤーを支えずして、LOVE YAMAGA と言えるのか。

花いちもんめを遊ぶ子でもあるまいし、あの子は要らん、あの子がほしいで、事が進むはずがない。

ところが、要らぬ雑音が増し、体制に軋みが生じると、成績も低迷に陥り、その結果。

霜田氏が、ついにその職から解かれると、現スポーツダイレクター 下條 佳明氏が、暫定監督に就任。

まさか。

おいおい、また、元の木阿弥、積み上げた石も瓦解なのかい?、と嘆息。

……と、ここまで来たら、目が醒めた。

今の夢、いったい、どのくらいの長さだったのか?、

ボンヤリと、ブラインドの外を見たら、空は青白み明るく、午前の 4時近かった。

では。