情けない話と、有頂天と。

僕の居室。

建物の、日の当たらない北東部分にあるから、

古式の、コロナ社製石油ストーブ(電気を使わない) を使っているけれど、

この寒さでは、室温が、なかなか 10℃を超えてこない。

で、その中、読書にも耐えがたくなって、最近はその習慣もやまってしまい、ひたすら毛布にくるまっている。

……と、まことに情けないお話から、始まってしまうのです。

が、そんな中、今朝は早々、嬉しいニュースに出合えて、ずいぶんと力をもらった次第。

イングランドFAカップの4回戦で、ブライトン&ホブ アルビオンFCが、

対リバプールFC (前回覇者) に、2 – 1 で逆転勝利した。

ゲーム後半のアディショナルタイム、セットプレイから。

左方からのクロスに反応した三苫 薫が、右サイドから、ゴールを決めている。

トラップ後にリフティングを入れた、素晴らしいシュート!!

リバプール守備陣、および、観衆のココロを、まさに、手玉に取るようなその様子を、ハイライトでご覧ください。

思うに、某ナショナルチームはもはや、三苫と久保 健英、この二人をサブ扱いで使うなんて贅沢はできなくなりましたね、名波氏よ。

では。

春よ 来い。

暖かくなるのを、恋い焦がれる気分。

― そんな感じですかね。

寒いと言っては愚痴り、はたまた熱いと愚痴る、その浅はかさかな。

2023シーズン、山雅は、奈良に始まり、奈良で終わる……か。

それも、わかりやすくて良いではありませんか。

で、すでに、早春の〈あをによし〉の街に、思いを馳せているわけです。

 みすずかる 信濃を立ちて 
 向かふ 古都
 その青芝に 狩れよ ボールを   (by 萬年)

今からお断りしておけば、

奈良クラブについては情報も無く、この先、取ってこようという気になりそうにもないため、いい加減なプレビュウになることは必至で、まことに申し訳ありません。

では。

嚆矢のプライド持て 山雅。

(註: 5時間をかけて、素人が、四苦八苦。
サポートが無くなったWindows8.1を、やっとWindows10にアップデートした今日です)

嚆矢〉は、こうし、と読みます。

漢字「嚆」は叫ぶ,呼ぶ、の意。

鏑矢(かぶらや)のことです。

ヤジリのうしろに鏑(中空の筒状)を装着した矢。

これを射って放つと、鏑が笛の役目をすることで、矢は、空気中を音を立てて飛んでいく。

古来、この矢を放つことで、合戦の開始を告げたりした。

このことから、事の最初、始まりを、嚆矢、というようになった。

前置き長くて恐縮です。

つまりは、先駆けのこと。

今季、山雅が、それについて、ひとつのレコードを打ち立てようとしている。

これ、5年(2019~2023)をかけて、ようやく達成するであろう記録でして、

Jリーグ60チーム体制になって、山雅がはじめて、59の全チームと対戦するであろう嚆矢のクラブ、となるのです。

ま、やりたくたってできる偉業でもありませんが、できてしまう以上は、プライドを持ち、こころを込めて参戦しようではありませんか、ファン&サポーター諸氏よ。

すべてのクラブから学ぶ、という謙虚さを置き忘れることなく。

では。

笑い飛ばす 人生。

できることなら常に、憂鬱であることを、自分に許さない心持ちでいたい。

笑いながら、人生の多くの時間を過ごしたいものだ。

かといって、TV番組などで、カメラのこっち側でスタッフがよくやる、甲高いバカ笑い、あれはいただない。

職業的な使命感で、必死に練習した結果がそれかよ、と哀れになる。

 

自分はせいぜい、すこし唇の中央が微かに上がるような、物静かな笑いをモノにできれば、とは思うけれど、

本人はそういうつもりでやっていても、

家人からは、

― また、鼻の先で(人を小馬鹿にして) 笑っている、

と 一刀両断されるのがオチなんである。

 

でも、それにもめげずに、笑える材料は探さなければならぬ。

某ご高齢のご婦人が、戦地ウクライナへ渡航した。
その地で、直接に支援をおこなう目的らしい。

すると、その国の官房長官なにがしが、

彼女については、速やかにそこから退避なさるように、と会見で述べた。

きっと、ご婦人の熱きココロと行動力を強調したいがために、わざわざおこなった広報活動であったと信じている。

しかし……。

わがプライムミニスターが、訪欧の際にも敢えて避けたウクライナに、よくぞ。

と付け加えたならば、事の切実、果敢さがよっぽど強調されたのになぁ、と残念。

同じやるでも、スピーチを効果的におこなう工夫は、大切。

では。

訃報、またひとつ。

ひとつの詩の一節を、想い出している……。

野のなかに小鳥の死骸があるように わたしの頭のなかは死でいっぱいだ

わたしの頭のなかに死があるように 世界中の窓という窓には誰もいない

(『幻を見る人』(1946年 田村 隆一  より)

 

デヴィッド クロスビー(David Crosby)が、1月18日に亡くなった。

1941年生れの、享年 81歳。

彼の、高音のヴォーカルが好きだ。

バーズ(The Byrds)時代の、『ミスター タンブリン マン』(1965年発表)を聴く。

もともとボブ ディランが書いた曲だが、バーズの演奏のほうがポピュラーではあるまいか。

タンブリンマン氏よ、何か一曲演ってくれないか?、で始まる、なんとも他愛のない歌詞。

それを、なんだか突き放したように醒めて歌うところに、60年代を感じてしまう。

というのも、かなり牽強付会な解釈だとは、思いつつ。

(註;マントを羽織って、リズムギターを演奏するのが、クロスビーです)

では。