明快に徹せよ。(八戸戦プレビュウ❷)

ヴァンラーレ八戸とは。

3バックシステムを採用、カウンターをつねに狙っていて、右サイド攻撃に強み。

さらには、セットプレイ(含むコーナーキック)で活路をひらく力を持っている。
山雅、たしか、昨季は、セットプレイから失点している。

かと言って、ファール数はそれほど多くなく(ウチら並み)、カードについては、リーグ最少だから、ガツガツと削りにくるわけでもなく、

ボール保持にはこだわらず(ここまで、平均保持率 44%弱)に、

ボールを獲たら、とにかく手数少なく、相手ゴールへ向かう、そんなサッカー。

ゆえに、山雅からすれば。

いままで積み上げたサッカーを、より忠実、実直に信奉して戦う、それしかありません。

プレビュウ❶で指摘した通り、攻撃の不調からの立ち直り、それこそが、今節のテーマですから。

❶たゆまぬファーストディフェンス
前節を観戦していて、岐阜のほうが、出て行くと行かないの使い分け、パスコースの消し込み、このふたつをとっても、山雅より格段上手かった。

あれだけ前線からの追い込みに力を注ぐならば、もうちょっとは決め事、特定のパターンなりを作り込んでおけよ、と思ってますが、

とにかく。

八戸に対しては、3バックに対し、3トップと数は足りているから、
つねに圧迫をかけ続けることで、そのボール出しを窮屈、不精密にすることで、ボールを我が物にしたい。
その際、後ろも押し上げて、中盤に、空いたエリアを作らないこと。

❷縦に手早く、果敢に
パスミスなどから、カウンター攻撃に曝されてしまうリスクをおそれず、

思いきって、鋭く縦、あるいは、斜め前方向にパスを入れ、空いたスペースに人とボールが飛び出していく、そういう攻めを繰り返す。

中途半端さ、軽さを慎み、好位置、好体勢の他者を活かす、そんなところでしょうか。

山雅公式ページにの八戸戦に、

常田 克人がフューチャーされているのは、青森県(青森山田高)で過ごしたキャリアのゆえでしょう。

いまや、リーグ戦全28ゲームを、すべて先発出場し続ける〈鉄人〉に化けつつある常田ゆえに、彼に称賛を惜しんではいけませんが、

僕が注目するのは、同じ青森山田出身の、住田 将。

前節、山本 龍平にかわって投入され、10数分、左サイドバックをやっていたのは、

果たして、手薄なサイドプレイヤーを埋めるための苦肉の策なのか、それとも、住田の、新たな可能性発掘であったのか?

で、得体の知れない、左サイドバック起用が、まさか今節もあるんだろうか?

アクティブな八戸右サイドを、どう抑え込むのかも懸案事項ですしね。

しかしですよ、青森市と八戸市は、距離で90㎞近く。
車だと約2時間の所要。

常田や住田に、格別の馴染みがあるとも思えないのですが。

では。

復調あるのみ。 (ヴァンラーレ八戸戦プレビュウ❶)

― 残り10試合を、10勝すれば、勝ち点は、ちょうど 70になって、

そうすると、2位以内(昇格ラインクリア)は、確実ですよ。

周囲の方々には、こんな話をひろめている、今週。

反応はさまざまなれど、どうも発言者のおもむきを察知なさるようで、

ほとんどがジョークと受けとめている気配。

うまい皮算用には、飽きの気配、といった感じで……。

たしかに。

これまで、勝ち負けの数が、週ごとにシーソーみたく上下しているのが実態なのに、

つまり、いままで、テストは 60点ぐらいの出来だったのに、これからは、100点満点でいきます!! と言われて、さて、どうする?、ってことですな。

もちろん、そういうプロパガンダが必要なこともわからなくもないですが、

僕的には、大風呂敷は、この際要らないので、

前節岐阜戦で、かなり傷んだ、というか、格好にならなかった〈守功一体型攻撃〉を、修復、再現していただければ、それで本望。

― テレビで観たけど、サッカー素人の俺からも、バタバタと、つまんないサッカーでしたよ、時間が経てば経つほど。

……、と当時、コロナ禍療養中だった同僚にも言われましたから。

創り込んだはずの〈攻撃スタイル〉が再現されれば、おのずと結果など、ついて来るはず。

八戸さんには、たいへん申し訳ないが、

ああいった下心や遊びとは無縁の、真正直なサッカーとやって、

高品位で、自己流サッカーを表現できないようでは、大口を叩かないのが、身の為、世の為。

では。

不善を.なさないために。

,

秋の好天には。

ポール デズモンド (1924~1977) のサックスで、

グリーンスリーブス、など聴いていたい、と思う。

が、しかし、それではあまりに心地好すぎて、なんだかふやけてしまい、

僕のような者は、結局は、

小人閑居して不善を為す(『大学』)おこないに走ることは、目に見えている。

だから、大して変わり映えもしないが、

すこしは、身の裡に、凛とした気概を満たすべく、

ジェームス テイラー(1948~ ) の『That Lonesome Road』(1981年発表)を聴こう。

そこで、チトこの曲について調べようと、ウェブ上、これ面白そうだ、と入ってみたら、

あらま、2016年7月の、自分のブログ記事だったとは!!

こういうの書き棄て、っていうんでしょうね。

7年も経つと、なにかと未熟なことも語っていて赤面ですが、

当時、日本語訳を試みているので、多少改訂して、記載します。

That Lonesome Road (ひとりで辿る道)

その道を ひとりきりで 歩いて行く
肩越しに後ろを振り返ることもなく
樹々の上高く、銀の月が輝く夜に

聴くために立ち止まることができたなら
黙して目を見開くことができたなら
智について、なおも 情に寄り添うことをしていたら
今宵、この道を辿ることはなかったろう

持ちこたえよ、私のこころ

弱い自分がそこにいても 気にかけはしまい
自分を不憫に思ったところで 悩みは 僕から消えはしない

つねに ひとりきりでその道を歩いて行く
肩越しに後ろを振り返ることもなく
樹々の上高く、銀の月が輝く夜も

で、楽曲は、ジェームスが、タバナクル合唱団と共演しているものを。

では。

(拝啓 ウルトラス様)その安永についてですが。

岐阜戦。

開始の笛が鳴る前には、

新しくお披露目されたチャント(個人用応援歌) の練習もおこなわれて、

その中で、安永 玲央には、おなじみの

やすなが オーレ
やすなが オーレ、というやつが割当てられていた。

これ、名前の〈レオ〉からの着想によるものと推定しますが、

であるならば、その中の一節に、

やすなが レーオ、と挿し込むのは、どうだろう?

たとえば、アビスパのゴール裏は、これを永遠と、飽きるくらいに演っている印象があるけれど、

ちょっとひねってあげてもよし、そんな気がしますがね。

いかがなものでしょうか?

では。

山雅で,やりたい放題 (FC岐阜戦レビュウ 対策篇)

アルウィン交歓。

北ゴール裏の同志 チノ氏。

彼のご家族全員(奧様と息子さんふたり)には、初めてお逢いできたし、

奥様同伴のモモ氏には、ゲーム後、(参戦したのに) 勝たせられなくて申し訳ない、と、ありがたいお言葉をいただいた。

チーム山雅には、アルウィンには、(声に出さずとも)ひとりひとりの思いが詰まっていることを感じてもらいたい、と願う。

さて……。

ゲーム後の場内アナウンスだと、今節、敢闘賞は、安永 玲央のようだった。

たしかに。

執拗、かつ、堅かった中盤でのボール持ち出しでは、随所に奮闘を魅せていたから。

ただし。
米原 秀亮が多く基底に降りてでも、安永にはもっと、前を志向して攻撃に参加させることを、チーム意思としなければもったいない。

同様に、

菊井 悠介が創れる決定的な(攻撃)起点、村越 凱光のつっかけ、野澤 零温と滝 裕太の、スペースを縫えるドリブルなど、

素早く前へ、という霜田イズムの中で、それなりに輝いているんだけれど、

注文をつけるなら、

各自がその強みで、いい意味、もっと山雅で、やりたい放題するためには、

同時に、有利なポジションの他者を活かす、使う、それを約束事として表現することが、絶対に必要。

これは、ひとつの逆説。

〈自己のタレントを魅せるためには、他者を活かせ〉が、連携の本質であって、

岐阜戦に価値を求めるとするなら、
そこらへんを克服しないと、確実な得点を獲れないことが切実になった。

連携を高めよ、というのは、

今後、再起を賭ける山口 一真、鈴木 国友、渡邉 千真らが、決定的仕事をするには、その一歩手前の工夫がどうしても要るからで、

あとはなんとか頼む、行く先はボールに聞いてくればかりでは、まだまだ無責任な仕事でありましょう。

たとえば、フリーな状況(体勢)であれば、一辺倒にボールを蹴り出すことなく、軽いプレイを慎み、もっとしぶとくボールを大切にしよう。

そんなこと。

では。