勝ち目のうすい戦いは続く。

註) 既に散った、だいこんの花、白☞紫のグラデーションが美しい。

……山雅について。

八戸戦レビュウから導けることは、

現状レベルのゲーム運びと、ボール運びを続けている限り

(以前からの僕の読みでもあるけれど)

勝ち負けが交互に現れて、最終盤、勝ち数が、負けのそれよりか数個多くなる。

で、3部リーグは、序列格差があまりなく実力フラットなので、勝ち点基準は下がる傾向にあって、

結果、相対、順位がプレイオフ圏内に……というのが、希望的な観測。

それ以上に戦績が上向けば、もちろん、素晴らしい。

ここで。注文をつけるなら。

実直な正攻法に磨きをかけることを、より深めるべきだけれど、

もっと、トリッキーな、別の言い方だと、豪胆な巧妙さ、を追求するべき。

たとえば。

(コーナーキック数はリーグトップなんだから) デザインした セットプレイを立て続けに見舞う。

あるいは。

長野戦のゲーム冒頭でみせたような、基底から組み立てる、と見せかけて、センターバックが猛烈ダッシュ、同時に、大内がロングボールを蹴り上げる、そんな工夫。

それには、肉体的に走れるは当たり前で、フルタイム、頭が相手の予想より素早く回転しつづける〈体力〉が要るだろう、と昨日、書いた。

他にも課題はあるだろうが、山雅の奮戦には、まだまだ可能性があろう。

実は。

それよりも、ずっと苛酷な戦いを強いられているのが、この萬年。

数週間前から、家庭菜園の中を、モグラめが一匹、縦横無尽に走り回り、ミミズバレに土を盛り上げて、トンネルを掘りまくっている。

対し、トラップを仕掛けるなどして、とにかく、庭にだけは入らないようにと苦戦中。

つまりは、いまだに捕獲、あるいは、奴めの逃走には至っていない。

で、昨日やってきた息子が、

モグラとの交信によって追い払うのがいい、という。

訊けば、彼、小学生時代にやった実績があるらしい。

モグラは、縄張り意識が強く、単独で生活している。

その習性を利用して、

地面を叩くことで〈Go Away from Here!!〉のメッセージを送ると、

地中のトンネル上部を鼻先で叩いて、返信してくるのだそうだ。

それを執拗に繰り返して、ついには、根負けしてこの地から去ってもらう、というストーリー。

しかし、まぁ、コップを地面にあてて、さかんに地表を叩き続けるジジイの姿は、これまた、異様であるまいか?

……とは思えども、梅雨の今、なりふり構わず、あらゆる手段を使ってでも、

この希望なき戦いは続くのです。

では。

あの試合運び,では……(2024.7.6 八戸戦レビュウ)

本日(7/7)、息子家族がやって来て、共にした夕食の席。

あの試合運びをしてたら、勝ちはないわ、が息子のご感想。

彼、ちょうど、

セットプレイの跳ね返りを、再度入れたボールに合わせた

八戸の、文字通り、ワンチャンスヘディングゴール(78分)の直後から観はじめて、そう思ったらしい。

なるほど、と感じるものがあるので、

0 – 1の敗戦を、その言葉をまんま借用して、評しておきます。

八戸は、3バックの布陣を、あえてピッチ左右前後いっぱいに拡げ、

そうすることで、相手にボールの獲りどころを絞らせないようしておいて、

いざ、ボールを手に入れるや、速く一気に、相手ゴールに向かう戦略を採る。

〈前後に速い〉とプレビュウに書きましたが、帰陣も、やはり素早かった。

こういう相手なので、

パスによる侵攻が、もっぱら端正、淡泊だと、その守備網になかなか穴は開きませんでした。

ファーストディフェンスもあまり効果を生まないし、

もし、サイドから侵すのならば、もっと相手守備を、左右に振る手間をかけるとか、

あるいは、

引き出した相手ディフェンスのその背後に、こっちのプレイヤーが入っていき、

そこを起点に、ゴールマウス中央にボールを持っていって、そこから撃つ……、

そういう工夫が、ほとんど印象に残らなかったのは残念です。

マトモに打てたシュートが、ありませんでしたよね。

失点から終了までは、20分近く残されていたので、やりようはあった、と思うのですね。

手こずりはしたが、決して、球際で劣ったわけでもなく、

また、つながらないパスワークが散見されたので、

きっと、ミスを糾弾するような浅薄な議論も湧き出るでしょうが、

それと、失点や敗戦を、原因と結果として、ひもづけするような内容でもありませんでしたから、

そんな箇所をつついてみたところで、生産的でも、ありゃしません。

……つまり、こっちのリズムに変調を起こさせたり、正攻法を発動させないようなやり方を採ってくる相手に対し、

では、どうやって、それを、うわまわる狡猾な(=賢い)手を、開発するのか?

折り返して、残りは、18ゲーム。

対処的なサッカーで押して来るチームはけっこうありますから、

そういった課題に、面と向かわないといけません。

今節は、コーナーキックなどセットプレイに、もっと相手を出し抜くアイデアを注入してもよかったか。

90分フルタイムを、走り切れているので、そっちの体力はいいとしても、

そこにプラスして、

90分間、途切れることの無い〈頭脳的な体力〉が必要なんでしょうか?

では。

剛直に押し込めるか (ヴァンラーレ八戸戦プレビュウ)

ひとつのデータ。

〈無失点試合率〉山雅 ☞ 26% (5ゲーム)  八戸 ☞ 32% (6ゲーム)

〈無得点試合率〉山雅 ☞ 11% (2ゲーム)  八戸 ☞ 47% (9ゲーム)

ここから、

両者、失点率はほぼ同等だが、得点力になると、断然、山雅のほうに傾くのがわかる。
(山雅が得点できなかったのは、対大阪、対福島の 2回のみ、これらとは今月のホーム、夏限定ユニで闘う日程!!)

では、八戸が攻撃していないの?、と思ったら大間違い。

攻撃回数は、リーグトップ。

シュート総数は、山雅(203本)がリーグトップで、

八戸は、リーグ10位(167本)、シュートはそこそこ打っている。

コーナーキック総数をみると、

山雅(114本)は、リーグトップ、八戸は、第7位(92本)。

さらに、

被シュート数では、八戸が、山雅より、ゲーム当り 2本ほど少ない。

要は……、

八戸は、カウンター攻撃を主体にしたサッカー。

反則数が、リーグ 4位であることは、ボール奪取に向かう強い姿勢を表している。

ゆえに、被ファール(怪我)はいやですが、

ボール際で及び腰になると、カウンターを発動されます。

ホーム(敗戦)の対戦では、

ヴァンラーレは、リードしてから、むしろ、攻撃圧や、強度が高まったことが強烈な印象だった。

……となれば、これはもう、アウェイチーム(山雅)が、よほど新奇な策に走らない限りは、

ボール保持が、山雅のほうに傾くのが、自然の成り行きなんだから、

こっちは、終始、ボールを握って相手ゴールへと向かい、攻め続ける。

八戸は、前後に速く襲ってくる。

ならば、それをうわまわる、隙のない剛直さを、青森の地で、披露するしかありますまい。

プラス。

セットプレイにますます磨きをかけて、ゴールをゲット。

このブログでも、4 – 3 – 3 の採用とその運用については、いろいろと議論してはいます。

が、システムは、そのサッカー思想と流儀を具現化するための、単なる〈奉仕者〉に過ぎず、

めざすのはあくまで、豊富な手法による攻撃的サッカーであること。

ここから、目を逸らすと、不毛な議論になります。

では。

Stella Blue Eyes, in the Summer of 1962…….


季節の憶え ☞ このところ、夏椿の落花を、朝夕で、100個は拾っている……。

柳 ジョージ&レイニーウッドが、

1980年に、シングル盤で発表した曲。

日本語の曲名は、『青い瞳のステラ、 1962年 夏……』。

それを、それらしく、英語にしたのが、当記事のタイトルであります。

(取り立てて、他意もない、お遊びで)

ところで。

僕は、いままでずっと、

青い瞳(め)のステラ、と当たり前のように読み、そして、発音してきた。

ところが!!

どうも、青い瞳(ひとみ)、と読ませるらしい(当たり前か) ことに、今更ながら、気づいた次第。

だが、しかし、待ってもらいたい。

すくなくとも、100年このかた、宮沢 賢治の詩作を持っている日本語と日本人であるならですよ、

やはり、〈あおいめ〉と読むのが、自然、かつ、歌詞における品格だと思うんですよね。

おそらくは。

クロスビー スティルス & ナッシュに、

名曲〈組曲; 青い眼のジュディ〉(1969年) があるから、これとの区別をはかりたいネーミングだったのかも知れず、僕の語感も、それを、そのまま踏襲したのかも知れず。

でも、もういいや。

この季節になれば、1962年の夏って、一体どんなだったんだろう?

……そう想いながら、これを聴いていることに、変わりもないのだから。

では。

好きな山雅で,眼が曇る? (長野戦レビュウ 終了 ❹)

チームスタイルや采配、

それに対しては、BOOをたれたり、毒も吐くが、

究極は、これも、みんな山雅が好きだから……か。

 

こういった免罪符めいた論法は、まぁ、聞いてはおくが、

〈好きな山雅〉のその中身が、現在/現実の山雅とズレていると、いきおい、

かつて観た、あの山雅が、論評の〈分母〉になってしまうから、

なんとも辛いことだなぁ……。

と、普段の 4、5倍は密になった北ゴール裏で湧く野次、わめき声の中で、考えておりました。

ひとつ。
長野戦のボール保持率は、長野に傾き(52%)、

4 – 4 – 2で動かすボールに、次々とプレシャーにいく山雅プレイヤーの姿があった。

これは、相手に、ゴールキックを 20回蹴らせた、

つまり、相手ボールでリスタートをさせる、山雅好みの立ち合いの中で、

我慢して、やらせていたことなんだけれども、

― 好きにやらせるな!、との不満の声が湧く。

相手をはがして前進するために、相手をひきつけたり、寄せたりするためのパスを多用すると、

― 後ろに動かすな、前だろ、前!

……責めたくなる気持ちも、わからないではない。

何故ならば、

シュートまでいかずに挫折するパスサッカーは、弱腰にみえる。

けれども、それらは、

所詮、自分の心情の〈窓〉に制約された意見、気持ちのダイレクトな表明だから、

ピッチ上の意図とはかけ離れた、負の声援となり得ることを、すこしは自覚したほうがいい。

ふたつには、
原因と結果(たとえば失点)の、結びつけ。

これは、人の悟性の基本的欲求なんだが、それをかなり短絡的に、粗雑にやってしまったりする。

たとえば、78分の被弾。

プレイの連続性からすると、あれは山本 康裕の挿し込もうとしたパスがカットされたところが、起点。

ただし、ネットが揺れるまでには、数個のハードルを敷くチャンスがあったわけで、こういうジャッジは、綿密に検証する要がある。

ただ、こういう感情が生じるのは、

多く、詳細などが了解されないスタジアムの、2度見できない、一瞬の時間進行の中でのこと。

吟味もされないまま、粗雑、心象に傾いて湧いてくるのが、ある意味、サッカーの宿命なのかも知れない。

ただし、ここで。

分別をわきまえない周囲からの批判が、

チームの仕事を窒息させるかも知れないし、

あるいは、クラブが、それにすり寄ったり、懐柔しようとしたらロクなことにならない危惧を、

それをもって、後半戦に向けての、現在の課題❹とすることで表明しておきます。

19戦して、7勝6分6敗。

これが、相当に踏ん張っての戦績ならば、

チーム及びファン&サポーターは、技量相応の出来だったと自認して、

その技量を増していくしか、道はありますまい。

付記〉
昨日、ソネさんに、職場で会った際、彼のご説だと、

長野は、ドローで上等の考え方だったんではないか、10月のホームで叩けばいい、と。
でなけりゃ、今季採ったことのない、4 – 4 – 2を試したりするわけがない、と。
……なるほどね、そういう観方もできますわな。

では。