カタールW杯とのつきあい方。

(当記事は、11/23 午前現在の情報で作成)

相模原戦当夜、北ゴール裏同志 チノ氏との会話が、ワールドカップに及んだ。

明日からのWカップは、観ます?、といった感じで。

― 山雅を応援するようになったら、ワールドカップへの興味がかなり薄くなって、と彼。

― 僕も、まったくそんなところ。

―でも、南米の強豪(ブラジル、アルゼンチン)でもない、ウルグアイ代表などは、注目して観ますよ。

― 僕の場合は、断然メキシコかな。
フィジカル的に超屈強でもないし、日本サッカーのお手本のひとつだと考えますけどね。

特に、ユニフォームカラーは、緑が基調なんで、山雅にも近い。
緑に、赤の3本線(addidas) の組み合わせは良いですよ、映えて。
ああいうの採用しないかな、山雅も。

前回ロシア大会のグループステージ。

ドイツを葬った、切れ味鋭い統率されたサッカーがいまだに想い出される。
(もちろん、個の躍動があってこそ実現する一体感でした)

でもって、萬年式観戦は、ハイライト動画をつまみ食いしながら、
朝食のテーブルで、その時にやっている中継をチラ見するくらいだろう。

さて、そのメキシコ。

グループリーグ緒戦は、対ポーランドで、結果は スコアレスドローだった。

ハイライトシーン。

レヴァンドフスキ (バルセロナ所属) のペナルティキックを、メキシコGKオチョアが止めて魅せた場面は見もの。

この時、キッカー(レヴァンドフスキ) が蹴る直前、右へとジャンプするようなステップを見せておいて、すかさず左へ飛んだ。

つまり、これ、コースを読み切ったわけでもなく、一歩踏み込んでフェイクを入れることによってキッカーを欺き、まんまと左に打たしているんです。

だから、キックの失敗を責めるのは見当はずれであって、

超緊張の極限の、しかも大舞台という状況下。

相手を心理戦に引きずりこめる、冴えた頭脳こそを、誉め讃えるべきでしょう。

では。

行く汝(なれ)に とどまる我に 冬の雨 (契約満了始まる)

(註:タイトルは、漱石先生の句のモジリです)

高卒は3年、大卒は2年、採ったらそこまでは面倒みるよ、が山雅式だと思ってきた。

高身長(181㎝) の体幹も出来てきて、プレイに攻撃的な雰囲気が備わってきた山田 真夏斗が 3年で契約満了か……、と惜しまれる。

ボランチ出身の監督からは、いろいろ教えてもらったことだろう。

とすると、大野 佑哉(阪南大) は、ディフェンスの要と評価され、山雅で成長した結果、どこかから声がかかったか。
相模原戦でも、船山 貴之とやりあって遜色なかったし。

なら、野々村 鷹人(流経大) は、あと1年やってみて、背番号#44のうち、4がひとつとれたら順調ということ。

ラストゲームの起用からすると、村山 智彦、パウリ―ニョ、中山 陸あたりが満了(レンタルバック) かな。

……、と考えをめぐらしていたら、

名波監督退任のニュースを、明け方の寝起きに知る。

指揮官については、2年契約をベースに、戦績上々であったりすると、それを再更新、というのがいままでのやり方だろう。

結局は、2部復帰ならず、が満了の決定的要素だったとは感ずるが、満了に至る内情は知る由もなし。

ただこれで、3年で3人の監督を使い果たしたことになって、まるで、神戸在の某チームと同じような、腰の定まりの無さ。

それが原因か結果なのか議論はあろうが、指揮者短命のチームは、パッとしない成績なんですよね、いままで。
(註: 2022季山雅の戦績は、決して悪くもなかった)

一般的な仕事にしたって、

ご本人がネを上げさえしなければ、(支援を前提として) 3年はみっちりやらせるのがフツーだと思っている僕からすると、サッカーの指揮官は、どうもひと味違う職種なんだ、といまさらに思う。

成功するまで辞めなければ失敗はなし、とは別の世界らしいや。

けれど、各人にとって、終わりは、次の仕事のはじまり。

山雅への貢献に感謝しつつ、次ステージでの飛躍と健勝をお祈りします。

そんなで、『We’ve Only Just Begun』(僕ら始めたばかり、1970年発表、ポールウイリアムズら) を静かに聴く、冬の日。

では。

なにを今更 (相模原戦レビュウ❷)

果たしてこれを、ラストゲームのレビュウとすべきか?、とも思いましたが、来季へつなぐこと、として記します。

篠つく雨に視界を悪くしながら、北ゴール裏同志のチノと肩を並べて、ゲーム後のセレモニーに立ち合っていて思ったことです。

❶名波監督による、かなり的確な、リーグ戦総括。

終わってみれぼ、勝ち点であと、たったの2つ届かずだったから、やはり〈痛恨の昇格逃がし〉。

逆に言えば、最後まで期待を持たせるほど追い込んだチーム指揮に、僕の評価は相当に高いです。

❷社長による、昇格できなかった根底には、まだまだ〈甘い〉部分が在った、との発言。

クラブ、チームの組織内部的突き詰めについちゃあ、当事者の方々にお任せするしかないんだろうれど、やはり山雅は、強くなければならない、というもの言いには、外してはもらっては困るポイントがありまして。

最高のファンサーヴィスは、勝つこと (by 落合 博満)、の定理には僕も同意する。

けれども、〈強い〉の中身が、山雅が、単なる常勝チームになればそれでいいか?、となると、チト、違うような気がします。

これは、前にも指摘した〈原点回起〉の、原点とはどこか?、をもっと突き詰めないと出て来ない答えのように思う。

セレモニー最中、近くのご婦人が、ビジョンを示せ、とか不平を漏らすのが聞こえて来たんです。

ですが、求めるのは、軽々しいビジョンやスローガンとは、まったく別の、具体的な行動と行為を伴った、もっと奥深いもののはず。

いちばんやってはいけないのが、クラブ経営、事業運営、チーム管理と運営、ゲーム催事運営、そういったもろもろのセグメントをごっちゃにして批評、評価を加えること。

それらをはっきりと区分して語っていかないと、どうどうめぐりな批判が繰り返されるだけでしょう。

僕はどうかといえば、クラブ経営はかなり堅調、チームも、あらたな世代形成へとなんとかシフトしつつある、とそれなりの評価です。

ひとりのファン&サポーターとして、せいぜい、どんなサッカーをやってもらいたいのか、それを中心に注文しつつ、見守りたい、この先も。

では。

ラスト20分間の光明 (2022.11.20 相模原戦レビュウ❶)

ゲームどんづまりの90分。

外山 凌によるクロスに反応して走り込んだ、中山 陸のゴールによって、

1 – 0 の勝利。

山雅が、反復攻勢に手が届くようになったのは、ようやく 70分過ぎから、

それまでは、良く言えば伯仲、悪く言えば、チャンスを潰しまくりの行ったり来たり、その中に、相模原の惜しいセットプレイが挟まれる、そんなゲームでした。

ディフェンスラインを下げなかったために、センターバックとボランチの距離感が良いといった美点もあって、悪くはなかった。

ただ、横山 歩夢よりは、ルカオのほうが数倍走っているといった面白い現象も在ったりして、チト不足感はありました。

で、息を吹き返したラスト20分。

ここでは、新卒から2~3年の年代のプレイヤーたちが、しっかりと働きを魅せていた。

その意味で、これからの山雅の方向性は確かに提示された。

いや。

ゲームを通して、それらの世代が躍動しなければ成り立たない山雅の将来が透けて見えていた、と思います。

では。

なんとなく勝てる,と思うな!! (相模原戦プレビュウ)

このメンツで戦うゲームも、これで最後。

……と思うと、若干は、感傷的にもなる。(各方面で引退ニュースもあれば)

―  もう来季ですね、ユニフォームも買ったんで来年も応援しますよ、とクレ君。

―  いや、山雅が 9 – 0 で勝って、裏で、藤枝が長野に 0 – 9 で大敗すればさ、

などと、およそみっともない悪あがき。

それはともかく、前期の対戦で4点獲ったからといって、楽観視すると痛い目にあうでしょう、きっと。

しかも、下方をみれば、勝ち点で今治、富山が追って来ていて、最悪、6位転落ですからね。

勝って、なんとか藤枝と勝ち点で並び、2016季のデジャブが、最高位。

けれど、どのリーグで闘っていても、どこでゲームをおこなおうと、誰がユニフォームを着ていようと、山雅は山雅。

じゃあ、山雅なるものの核心とは、なんなのか?

今日のように天候が芳しくなくたって、〈山雅〉を楽しむために週末、10,000人内外の熱心がアルウィンに集う生活、結局は、これ。

もちろん、チームの戦うスタイルと作法、それは時々で、どうにでも変容、変転していくのが当たり前。

〈山雅らしさ〉という形容詞によって求められる、なんらかの不変性は、それとはまったく別次元のことであると思うし、しかも、それを云々する時代は、かなり前に過ぎ去っている。

(追記)
だから、実は。

〈原点回起〉の、回起は方法論で対応するとしても、原点の部分に関しては、いまだ議論が尽くされていない、と思います。

さて、対戦相手の相模原。

既に契約満了を告げられたプレイヤーが多く、元山雅戦士もピッチに立つ。

でも、えいやあ!、と感傷気分をかなぐり棄てて、お互いに手加減なしの激戦を期待するのだ。

では、長い冬ごもりの前、それを求めて、アルウィンで。